第121話 春梅の銀鎚


外は快晴。心地よい昼下がりであった。


敬龍館ケイリュウカン”で生活していた人々はこんな人生の終わりを予測出来ただろうか。


いつもと同じ朝を迎え、鍛錬を積んで過ごす日常が来ると疑っていなかったであろう。


昨日まで共に生活してきた家族が突如殺人鬼に変貌する様にどれほど驚愕し、絶望しただろうか。


悲劇は突然襲ってきて、日常は崩れ去った。


海騎カイキの遺体を取り囲むように立ち、春梅シュンメイを見つめる三人。


「何故戻ってきた…?

 何故、首を持ち歩いていた!?」


「なぜって?」


カートが問いかけるも、春梅シュンメイはまるで悪びれもせずに問い返す。


「わざわざ首を切断して、被害者の特定を遅らせるつもりなら…。

 首を持って現れた時点で、全部台無しじゃあ…」


「台無しってなんですか?

 あたし、最初から逃げる気なんてありませんよ?」


彼女は困ったように首をかしげて苦笑した。


「“これ”はみんなをびっくりさせようと思って

 持ち歩いてただけだもん。

 もっと効果的に使いたかったんだけど、

 思いのほか早くバレちゃったなぁ」


なんという不合理な理由。


何故首が無いのか。何のために犯人は首を持ち去ったのか。


最初から考えるだけ無駄であったのだ。


理解を越えた感覚に相対し、カートは全身に戦慄が走った。


「異常者を見るような目はやめてください。

 あたしの行動って、ちゃんと理屈は通ってますから」


「お前の話を聞いて、俺たちが納得するってのか?」


厳しい口調で問いかけるも、カート自身自分が動揺している事を理解していた。


心臓が激しく鼓動する。恐怖ともまた違う、味わったことのない焦燥。


その感情の正体がわからない事が、ますますカートを苛立たせた。


「何故お師匠さまを殺したか?

 そんなことは簡単な話です」


片手で師匠の首を弄びながら、春梅シュンメイは続けた。


「ひとつは、もう必要なくなったから。

 お師匠さまの技は全て体得しました。

 別に、いつ殺してもよかったんですけど」


当然のように吐き捨てる。自らの師を、まるで使い捨ての道具のように。


そこに一切の罪悪感を感じさせない笑顔があった。


「ふたつ目。カートさんが現れたから」


「俺が?」


名を呼ばれ、びくんと身体が反応した。


春梅シュンメイのきらきらと輝く瞳がカートを捉える。


「お師匠さまが、カートさんを鍛えようとするから。

 カートさんの才能を、あんまり褒めるから。

 まさか、本当にあたしより才能があるなんて

 信じちゃいないけどね。

 どうせ消すなら今かなって」


確かに海騎カイキはカートの才能を高く評価していた。


だが、カートがこの先敬龍館ケイリュウカンに入るかも龍形掌リュウケイショウを学ぶかどうかもまだ不確定だったはずだ。


そんな浅い根拠で自分を育てた師匠を手に掛けたというのか。


「あたしは跋虎バッコみたいな戦闘狂じゃないの。

 一番になりたいのであって、強い人と戦いたいわけじゃない。

 お師匠さまの言う“切磋琢磨”なんて、必要ない。

 でもカートさんだけ消しても、いずれまた別の

 才能ある人間を探し出して鍛えようとするでしょ?

 だから、元を断った」


この人の技を全て受け継いだのはあたしが最初で最後です。と言って、春梅シュンメイは笑った。


「で、最後に。ちゃんとお師匠さまより強い事を証明するため」


ぽーんと高く放物線を描くように、春梅シュンメイは海騎の首を馬大に投げ渡した。


「あたしがどんなに強くても、

 お師匠さまの方が強いって信じて疑わない人たちがいますから。

 でも見てください。

 あたしは無傷。お師匠さまを一撃で倒しました」


春梅シュンメイは流れるような動きで、手刀を横に薙ぎ首を刎ねるモーションを取って見せた。


見惚れる程に素早く美しい所作である。


それがほんの数時間前に人を殺害した手段だと忘れそうになるほど。


「言っておくけど、

 お師匠さまが手を抜いたとは思わないでね。

 ちゃーんと敬龍館の人々ここのみんなを人質にして、

 対等な条件で決闘しましたから。

 結果はこの通りです」


腕を大きく開き、春梅シュンメイが自身の勝利をアピールする。


“この通り”とは、敬龍館ケイリュウカンに広がる惨状を指してのことだろう。


「でもまぁ、自慢の弟子が自分を越えていって

 お師匠さまは満足だったんじゃないかな?」


「なんでだよ…!冬梅トウメイ!!

 俺たちは血こそ繋がっていないが、

 家族だったんじゃねえのかよ!

 なあ、冬梅トウメイ!!」


馬大の悲痛な叫びが道場に響き渡る。


しかしそんな彼の言葉は彼女には届かず。


春梅シュンメイ


「え?」


「厳しい寒さは去り、冷たい雪は溶け、

 ぽかぽかした陽気と温かい日差しが包み込む

 優しい季節」


唐突に脈絡を無視し語り出した春梅シュンメイに、一同は呆気にとられた。


「冬は嫌い。春が好きなの。

 だからあたしは春梅シュンメイ


子供が大人たちに愛想を振りまくように、愛らしくお辞儀をする。


そしてすぐに、あの凡夫を見下すような視線を馬大に向けた。


「次に間違えたらあなたから殺す」


馬大は言葉を失い、海騎の頭部を持ったまま崩れ落ちた。


「みんなの事は家族だと思ってたよ。

 優しかったし、一緒にいて楽しかった」


今は亡き家族の思い出を語る彼女の表情は安らかである。


どこにでもいる年頃の少女のようだ。


「でもね。

 そもそも家族って

 そんなに大事にしなきゃいけないもの?」


その言葉に、カートは強い嫌悪感を覚えた。


「…海騎を脅す事が目的なら、

 彼らまで本当に殺す必要はなかったはずだ」


「ええっ?

 カートさんそれ本気で言ってます?

 あたし、察しの悪い人と話すの嫌なんだけど」


まるで自分だけが正しく常識を学んでいるかのように春梅シュンメイは驚いて見せた。


「あの人たちを生かしておいたら

 あたし、すぐお尋ね者になっちゃうじゃないですか。

 目撃者を消して発見を遅らせないと。

 その間に、あたしはどこか遠くへ流れて

 また道場破りでも始めようかなって」


目撃者を消す。


彼女の告白は、これから三人をどうするのかも示していた。


「ね?理解出来たでしょ?

 本当にわかりやすい、シンプルな理屈だもん」


合理と不合理が混在する彼女の弁は紛らわしいが、確かに“彼らを殺す理由”だけを取り上げてみれば理屈の上では合理的と言える。


だが、そこには人間が持ってあるべき“情”が存在しない。


“人”として生きていく以上、“理屈”と“感情”は分断すべきでない。


そこを切り離して考えては、人は人と共存していく事が出来ない。


「…自分にとって不都合ならば、

 育ての親も平気で殺せるのかよ?」


カートはどうしても納得出来ない。いや、納得したくなかった。


彼女の理屈を正しいと受け入れるなんて。


「それは普通じゃない?

 逆に、変ですか?それ。

 みんなそうやって生きてますよ。

 お師匠さまも、鸞龍ランリュウさまだって」


「どうして理解出来ないんですか」とでも言いたげに眉間にしわを寄せ、春梅シュンメイはやれやれとため息を吐いた。


「不要なものが不都合になったんだから

 処分するのは合理的でしょ」


「そんなはずはない!

 俺は…俺たちは…」


春梅シュンメイは失望したような視線をカートに向ける。


先程馬大に向けたのと同じ、あの眼差しを。


「ああ、カートさんはまだ“そっち側”ですもんね。

 理解出来ないのは、

 強者にすがって生きてるからじゃないですか?

 フェラクリウスさんはどうです?」


フェラクリウスは答えない。


ただただ股間を硬化させたまま悲しい視線を春梅シュンメイに向けていた。


自分が正しい。


自分の行動は間違っていない。


理解出来ないのは、そいつが自分よりも劣っているから。


結局のところ、それが彼女の理屈だった。


怒りよりも、悲しみと葛藤がフェラクリウスの胸中に渦巻いていた。


これだけの人間を殺した事に対し、彼女が一切の罪悪感を抱いていない事を痛感させられたのだ。


「そろそろいいですか?

 もうお分かりの通り、

 あたしはカートさんを消すために戻ってきたんです。

 あ、でも他の二人も殺すよ?

 じゃないと、ここの人たちが死んだ意味も

 なくなっちゃいますから」


そう言うと春梅シュンメイはゆっくりとした動作で体に流れる“氣”を整えた。

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