第119話 惨劇の舞台


更に一時間ほど歩いた先に、“敬龍館ケイリュウカン”はあった。


多くの門弟たちが出迎え、海騎カイキの元へ案内してくれる。


彼らが修行する様を学ばせてもらい、新たな技術との出会いがある。


そんな状況を自然と思い描いていた。


だが、現実に彼らを迎えてくれたのは、数多の死体とそこから湧き出る血の池であった。


長い石段を登り、木造の大きな門を開いた先にその光景は広がっていた。


累々と倒れている門弟たち。


いや、よく見ると門弟だけではない。


この道場で働く使用人や、その家族たち。


女、子供も見境なく。


皆一様に血を流して倒れている。


「なんだこれは…?

 なにがあった?」


事態を飲み込めず立ち尽くす馬大バダイ


フェラクリウスは側に倒れている男のところへ駆け寄り、抱き起こす。


既に冷たく、息は無い。


首筋をパックリと開いた斬り傷が致命傷となっていた。


誰がこんな事を。


心当たりが無い訳ではない。しかし。


カートが周囲を見回すが、あるのは死体の山のみ。


まだ歩けるようになったばかりだと思われる幼子おさなご亡骸なきがらを抱きかかえ、カートが絞り出すように呟いた。


「人間じゃねえ…」


わなわなと肩を震わせ、ぎりぎりと歯を食いしばりながら。


「人に出来る所業じゃねえ!!」


怒りに任せてカートが叫んだ。


彼の脳裏に浮かぶのは、カートキリアで出会ったあの男。


鸞龍ランリュウの語っていた“異界の影”を宿したと考えられている、老師の事だった。


「誰か!生存者はいないか!!」


フェラクリウスが叫んだ。


その声に呼応して我に返ったかのように、馬大がハッと気付く。


「師範!師範はどこだ!!」


そう叫んで奥にある建物へと駆けて行った。


「待て、まだ犯人が…!」


どこかに潜んでいるかもしれない。


そう言い切る暇も無かった。


カートはフェラクリウスと共に馬大の後を追った。




大きく立派な建物の中。


ここにも倒れて動かなくなった“人”しかない。


廊下を走り、広間へと辿り着いた。


五十人以上いる門弟全員が集合出来るほど広い、板張りの訓練場。


その中央に。


あった。師範の身体が。


仰向けに、大の字になって倒れている。


いや、大の字というには少し足りない、欠けている部分がある。


駆け寄った誰もが、一瞬足を止めて近づくのを躊躇ためらう。


師範と思われるその遺体は、首から上が欠損していたのだ。


「うっ…師範…

 そんな…うそだ…!!」


馬大はよろよろと師範の前にひざまずき、硬く、冷たくなった手を握った。


フェラクリウスが彼に近づき、声をかける。


「落ち着け。まずは冷静に状況を把握しよう」


身内を失ったばかりの人間にこんな言葉をかけるのは非情かもしれない。


だが自分たちの身も危険に晒されている可能性がある以上、言うしかない。


「確認してほしい。

 この死体は間違いなく師範のものなのか?」


「あ…。え?どういう…」


馬大は質問の意味を理解していないようだった。


代わりにカートが後ろから近づき確認する。


「いや…背格好は…

 前に会った感じこのままだと思うけど…」


自信なさげに、カートが馬大を見る。


「そう…だな。服も今朝と同じ…いや、

 体つきも間違いなく師範のものだと…。

 証拠になるような体の特徴はわからんが…」


馬大は動揺こそしているが、寸前のところでパニックにならず我を保っているようには見える。


…いや、まともではないのかもしれない。


現状をまともに受け入れていたら、とても平静ではいられないだろう。


尊敬する師が、親しい仲間が、共に過ごしてきた家族が一人残らず殺害されている現場にいるのだから。


事実、彼は涙を流す余裕すらないのだ。


「首を持ち去った者がいる。

 なんのためだ?」


フェラクリウスが二人に問いかける。


自分で思考するのを放棄しているのではなく、二人の昂った感情を落ち着かせるために。


「…被害者が特定できないように…か?」


カートが答える。


何故特定できないようにする?何かを隠そうとしているのか。


ならばこれは海騎の死体ではない?


徐々に脳が働きを取り戻してくる。


この死体が海騎ではない別の人間を偽装したものだとすると、外で倒れていた人々は身代わりになった人間を特定しづらくするために殺された?


そもそも超越者である彼を簡単に殺せる人間がそうそういるだろうか。


だとすると、海騎はまだ生きている可能性があるという事?


いや、推論に過ぎない。なんとか死体が海騎のものだと確認出来ないか。


馬大に尋ねるが、すぐに思いつく方法が無かったようだ。


「フェラクリウス、理由は後回しだ。

 いったんこの死体を海騎のものとして考えよう。

 では、彼らを殺した人間がどこにいるのか」


カートは唯一の心当たりについて二人に問いかける。


「…春梅シュンメイがすれ違ったって大男は?」


そう、他に考えられない。


では何のために海騎を殺したのか。


それはなんとなく想像がつく話である。


超越者である海騎を殺し、この国に自分の名を轟かせる。


事実、そうやって国中に名が知れ渡っていたのがあの“跋虎バッコ”なのだから。


「…犯人とはすれ違っていない。

 まだ敬龍館ここにいるのか?」


「あの道は敬龍館ケイリュウカンまでだ。

 もっとも、山に入ればどうとでも逃げられるが…」


そこまでで馬大は言い淀んだ。


この惨状を見る限り、犯人がこそこそ逃げるとは考えづらい。


「じゃあ、まだ敬龍館ケイリュウカンに潜んでいるのか。

 もしくは、俺たちが屋内にいる間に

 門から出て道を下っていったか…」


自ら口にしながら、カートはゾッと血の気が引いた。


少し遅れて馬大も気付いたようだ。


「そうだ、冬梅トウメイが戻ってくる!

 あいつが危ない!」


馬大が立ち上がる。


だが外へ向かおうとしてすぐに足を止めた。


「おい!一人で動き回るのは危険だ!!」


静止しようとしたカートも、それに気付いた。


訓練場の入り口で、呆然と立ち尽くしている春梅シュンメイの姿に。


フェラクリウスはただ一人、その“特性”によって彼女の接近に気付いていた。


無言で立ち上がり、彼女の方へと振り返る。


「お師匠さま…?」


彼女もまた門弟たちの死体を確認し、馬大たちと同じ心理でここに辿り着いたのであろう。


既に彼女は三人が取り囲んだ一つの“身体”に気付いていた。


「…嘘でしょ?

 それ、お師匠さまなの?」


誰も、答える事は出来ない。


春梅シュンメイは魂が抜けたようにへなへなと床に座り込んでしまった。

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