第112話 桜桃眼


湖紗ゴシャの街。


「本当にいいんですか?フェラクリウス。

 太守に会えば、きっとたくさんご褒美をくれますよ」


李吉が何度も確認するが、フェラクリウスは提案を突っぱねる。


報酬のためにやったわけじゃあない。


そう頑として譲らなかった。


フェラクリウスと李吉、そして白姫ハクキの三人は湖紗ゴシャの城門前にいた。


「本当に一人で大丈夫か?」


「まあね。私、強いから」


白姫ハクキとはここで別れる事になった。


彼女は道場に戻りこれからも操氣武術を磨く。


荷車に家族の遺骨や跳虎の毛皮などを積んで、仲間たちの元に帰ってゆくのだ。


「また会えますよね!おねーさん」


「もちろん。

 何かあったら手紙で呼んでね。

 国中どこへだって飛んでいくから」


野郎二人は文字が読めないし書けないのだが、白姫ハクキはその事を失念していた。


もっとも、李吉の方は勉強中なので敢えて突っ込むべきところではないかもしれない。


李吉と固い握手を交わす白姫ハクキ、そして。


「…あなたも」


フェラクリウスの方へと向き直る。


「次は“それ”が収まった時に会いたいけどね」


“イチモッちゃん”は結局最後まで“タッチャマン”であった。


彼女にとっては完全に“そういう人”になるのも無理はない。


「医学の発展に期待するしかないな」


「病気じゃないんでしょ?」


「性癖だ」


ためらいながらも、白姫ハクキはフェラクリウスと握手を交わした。


「フェラクリウス。

 私はあなた以上の操氣武術家はたくさん見て来た」


少し照れるように一瞬間を置き、それから美しい瞳をうるませてフェラクリウスを見上げた。


「だけど、あなたより強い人には

 会った事ない」


大きくごつごつした手から離した手のひらを顔の高さに挙げ、白姫ハクキはひらひらと二人に向けて振った。


「また会おう!

 じゃあね!きっちゃん、フェラクリウス!」


そう言って白姫ハクキは荷車を引き、北に向かって笑顔で去って行った。





「さあ、きっちゃん。

 俺たちも帰ろう」


フェラクリウスが西城サイギの方角へと振り返る。


「いやあ、でもよかったんですか?

 フェラクリウス」


何の事だ?と尋ねるフェラクリウスを屈託のない笑顔で見上げながら李吉が答える。


白姫ハクキのおねーさん、

 フェラクリウスに惚れてたっぽいですよ」


「!?」


フェラクリウスにはそんな気配は一切感じ取れなかった。


まさか、童貞には察する事の出来ない好意的なサインが出ていたというのか。


きっちゃんだけはそれを感じ取る事が出来ていたと?


そしてそんな大事なこと、別れてから言われても!!


「な、何故それを…

 今になって言うんだ…きっちゃん」


「今、言おうと思ったからです」


その通り。この子には何の他意もなかった。


いじわるだとかいやがらせとかそんなつもりはさらさら無い。


純粋に鸞龍ランリュウとフェラクリウスを敬愛する、無邪気な子供である。


「どうします?

 今から追いかけますか?

 やっぱり待ってくれって行きますか?

 別にいいですよ、僕は」


「…いや。やめておこう」


フェラクリウスはみっともなく女性にすがるよりも子供の前でカッコつける事を選んだ。


「一度別れの言葉を交わした以上、

 再会は偶然に身を任せるもの。

 それが男というもんだ」


ある意味、損な性分である。


そして本人がカッコつけたつもりでも、今の若い子にはそういう独りよがりな美学は全然理解出来ないものである。


「それは童貞からのアドバイスですか?

 ありがとうございます!参考にします!」


聞く人によってはトゲがあるように聞こえてしまうかもしれない。


だが李吉に悪気はない。


彼は事実を素直に受け止めているだけなのだから。


フェラクリウスは女性と別れたばかりだというのに先程以上に下半身をガチンガチンに固めたまま、後ろ髪引かれる思いで湖紗ゴシャの街を後にした。




……。


だが。




外れていた…!!


きっちゃんの勘!


彼もまだ子供、どうの者…。


尊敬と恋愛感情を判別出来るほどの経験値は無い。


白姫ハクキはフェラクリウスを戦士として尊敬していたが決してそれは恋愛感情ではなかった。


やはり駄目…!常時下半身ビキビキのおじさんは女性受けが悪い…ッ!!


危ないところ、間一髪!


フェラクリウスはいらぬ恥をかかずに済んだのだった。






時は遡り、西城サイギの街。


カートを指導する事になった海騎カイキは一日を終えて寝室に戻った。


部屋に入ると、机の上に鸞龍ランリュウが残した手紙が置いてある。


ほんの短い、海騎に宛てた警告文。


それを読んだ海騎はフッと一笑に付すと、手紙を燭台の火かけて燃やしてしまった。

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