第111話 虎の尾を踏んだ男


げほっげほっ。


咳き込む度に脇腹に激痛が走る。


左腕の痛みを忘れる程に苦しい。


膝を立てて、よろよろと立ち上がるフェラクリウス。


酸素が足りない。脳にかすみがかかったように思考がぼやける。


そして酸素を供給しようと呼吸をするたびに、また脇腹を痛みが襲う。


ぐったりと空を見上げると、仰向けに倒れた男が目に入った。


「ハアッ、やられた。

 ハアッ、ここまでかよ…」


男は押さえた脇腹から大量の血液を流していた。


「今さらだがよ、

 俺ァ何で最初に自分の身の上を話したのかわかったぜ」


嬉しそうに。楽しかった時間を振り返るように。


男は青空の先を眺めながら語り掛けてくる。


「やる前からわかってたんだな。

 これが最期だって」


「…跋虎バッコ


彼の致命傷と同じ場所を押さえて、フェラクリウスは足を引きずるように歩み寄る。


「お前は多くの命を奪ってきた賞金首だ」


「『元』な」


「だが決闘には双方の同意があり

 そこに罪があったとしても

 俺に罰する権利はない」

「ただ一つ、

 これだけは伝えておきたい」


フェラクリウスは跋虎の視界に入るように立つと、グッと拳を固めて一言だけ告げた。


「楽しかった」


「クッ、ハハハッ」


それを聞いた跋虎は声を出して笑った。


「俺だって身体が動きゃあ続けてえけどな」


未練のあるような言葉を口にするが、その表情は清々しいように見える。


「またやろうぜ、フェラクリウス」


力強くそう言って、跋虎は目を開けたまま絶命した。




終わった。


それを確認して、フェラクリウスはドサッと背中から倒れた。


李吉と白姫ハクキが慌てて駆け寄る。


左腕の出血、それと左脇腹の骨折を確認する。


白姫ハクキにも医学の知識があるわけではないので、とりあえずの応急処置として治癒力を高めて癒す。


二人が何か語り掛けてくるのはわかるが、言葉を聞き取る事が出来ない。


かつてない疲労感に襲われたフェラクリウスは、そのまま気を失った。




一時間ほど気を失っていたらしい。


目を覚ましてすぐに、フェラクリウスは一人竹林に入って行った。


“タッチャマン”でいた時間が長すぎて、おポコがイタイイタイだったのだ。


頑張って、すぐに帰って来た。


頑張らないともっと時間がかかるところだが、頑張ったから早かった。


改めて李吉がフェラクリウスを称賛したが、白姫ハクキは物凄く嫌な顔をしていた。


「…傷はどう?」


不機嫌そうに尋ねられ、ようやくフェラクリウスは痛みが引いている事に気付いた。


「…なんともない。

 お前さんが治してくれたのか?」


「さあ…。

 勝手に治ったともいえるけど」


「おねーさんが操氣術で治療してくれたんですよ!」


気まずい二人の間に李吉が割って入り、状況を説明してくれた。


「そうだったのか、ありがとう」


白姫ハクキは照れくさそうに、黙って顔をそむける。


本来なら抜く前に告げなくてはいけない言葉であった。


「フェラクリウス、凄いです!

 跳虎と跋虎をいっぺんに退治するなんて!

 さすがは鸞龍ランリュウ様が認めた男です!!」


「これ、どうしようか…?」


白姫ハクキが跳虎の死骸を見て言った。


「燃やして供養するつもりだ。

 跋虎と共に」


「も、燃やすの?

 こんな大きい毛皮、世界に一枚なんだけど…」


確かに、こんな巨大な虎の毛皮は他では手に入らない。


跳虎は彼女にとって仇だし、いきさつも手番を譲ってもらったようなものだ。


止めを刺した一撃も彼女の技。彼女にも戦利品を持ち帰る権利はある。


「そうだな、ここに立ち合った証にもなる。

 お前さんの好きにしろ」


「ありがとう!

 剥がすの手伝ってくれる?」


親の仇を倒したところに立ち合ったばかりだというのにしたたかで逞しいものだと、フェラクリウスは感心した。


実際には彼が倒れている一時間のあいだに十分感慨に浸る時間があったのだろうが。


跳虎の毛皮を剥ぎ取るのは一苦労だったが、怪力のフェラクリウスがいたおかげでなんとか綺麗に回収出来た。


この毛皮が、白姫ハクキの生きる糧になる。


フェラクリウスはもう一度跳虎に祈りを捧げた。


作業の間に、ようやく湖紗ゴシャの衛兵団が到着した。


李吉がのろしを上げて呼び出したのだ。


衛兵たちは跳虎によって倒された戦士たちの遺体を回収する。


彼らの身元はわからないので、湖紗ゴシャの兵たちに任せる事にした。


そして、跋虎バッコ


「跋虎…。

 危険な男に間違いはないけど、

 思ったほど悪い奴じゃあなかったのかもね」


白姫ハクキが跋虎の亡骸に同情の目を向ける。


彼女には彼の語る“強者の理論”は理解出来なかった。


だがフェラクリウスとの決闘を見ていて感じるものはあった。


操氣武術を学ぶものとして、同じ戦いの世界に身を置くものとして。


フェラクリウスも同様である。


「生まれながらの超越者だったこの男にとって、

 戦いの中に身を置く事が全てだった。

 この男自身、それを承知で自らの生き方を貫いた。

 覚悟は出来ていたはずだ」


自分も“童貞を捨てるという”目的が無ければ、彼のような人生を送っていたかもしれない。


いつか、自分を倒す男が現れるまで戦いをやめない。


それがいつになるかだけの話。結末は変わらない。


だが、その男がフェラクリウスだった事は跋虎にとって幸運だったのではないだろうか。


彼の最期の表情を胸に刻んだフェラクリウスもまた、どこまでも続く青空の果てを見つめていた。

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