第110話 虎の威を借る


真っ直ぐに突き抜ける“氣”のエネルギーを、受けずに散らし、流す。


跋虎バッコはフェラクリウスの発剄を完全に無効化してみせた。


「もうそいつを撃つのはよせよ。

 大地が枯れちまうぜ」


余裕の笑みを浮かべる跋虎。からだ全体を汗が覆っているが、疲労は見えない。


あれだけ殴られた顔面も硬化していたためか腫れは少ない。


「っと、その前にお前の方が

 朽ちて折れそうだがな」


大地から大量の“氣”を吸い上げる発剄。


それを放つフェラクリウスにも多大な負荷がかかっていた。


そしてその状況は誰の目にも一目瞭然である。


跋虎バッコと比較しても滴る汗の量が多い。


呼吸の度に肩が大きく揺れる。


跳虎チョウコと戦った際の疲労がここにきて顔を出した。


強敵との二連戦。長引く程に大きく影響してくる。


更に跋虎バッコは気を良くしてトントンと小刻みに跳ねた。


「殴り合いも互角となると…埒が明かんな。

 もっと“出す”か」


体重百キロ超の巨漢が見せる軽やかなフットワーク。


フェラクリウスを軸に周回するように動くと…。


突如繰り出された高速のハイキック。


目の前の空気を吹き飛ばすような素早くキレのある脚技に、フェラクリウスは思わず後退した。


トントンとステップで距離を詰め、ローからミドルキックへのコンビネーション。


ローキックをかわし続くミドルを左腕でガードしたが、血が噴き出ると同時に激痛が走った。


棍で打たれたような衝撃。


跋虎もまた、アンの国の人間。


操氣武術を学んでいても、いや。


道場で学ぶ事がなかったとしても、強者との戦いの中で操氣武術に触れていてもおかしくはない。


上下自在に繰り出される蹴りの嵐はかつて対峙した老師の事を思い出させる。


更に距離をとるフェラクリウス。追いかける跋虎。


「どうした?逃げるなよ!

 武器を使ってもいいんだぜ!」


次々に繰り出される脚技のオンパレードに、フェラクリウスは手が出せなくなっていた。


戦闘開始時にあれだけ苦労したリーチの不利をここでも背負っている。


無論、フェラクリウスにも蹴りくらいは打てる。


だが現状では跋虎に匹敵するキレのキックが出せない事情があった。


一つは丈の長いローブを着ている事。


もう一つは下半身にバッキンキンの幹が根を張っていることである。


カチカチの巨木が邪魔して足が出せない。


これが“タッチャマン”の業なのだ。


フェラクリウスが後退したとき、何かを踏みつけ転がりそうになった。


それは虎の尾。


背後には魔獣の死骸があった。


自らが屠った虎の背に触れる。まだ暖かい。十数分前まで生きていた命。


跳虎チョウコ……)


「おっと、追いつめすぎたか。

 もっとこっちでやるかい?」


位置を気遣い仕切り直しを提案する跋虎だが、フェラクリウスは死骸に寄りかかるように重心を低くし、左手は虎の背に触れたまま構えて見せた。


「…来い!!」


フェラクリウスが啖呵を切った次の瞬間。


高速のミドルキックがガードの開いた左わき腹に叩きこまれた。


ミシミシと骨が軋む音がする。


硬化した皮膚の上から肋骨を折られた。


それでもグッと歯を食いしばって耐えるフェラクリウス。


身体が重い。


恐らくこれが最後の発剄。


しくじればなぶり殺しにされる。


必ず仕留める…!


行くぞ。



―“必殺”!!





跳虎チョウコの中に残された“氣”は。


宿主を失い、ゆっくりとその肉体から大気へと霧散むさんしていく。


だが長く、大量に蓄えられていたその“氣”はまだこの死骸の中に残っていた。


もはやこの世界に溶けてゆくだけの生命エネルギー。


フェラクリウスの“氣”に反応したそれは、巨大な質量を持つ物体の引力に引き寄せられるように急激に流れ込んでいった。


死体から“氣”を効率よく吸い上げるなんて誰からも教わることは無い。


操氣術を学んだ事の無いフェラクリウスも、当然知る筈がない。


理論立てて計算した訳ではない。


跳虎との戦いで疲弊した分、跳虎に助けを求めただけ。


その身に触れたとき感じたぬくもりから、出来ると判断した!


今までと異なるフォームでの発剄。


相手が跋虎でなければ意表を突く事も出来たであろう。


だがこの男はワンテンポ早く、“匂い”で発剄の発動を理解する。


それでも彼を戸惑わせる事が出来たのは、これまでとは明らかに違う発動スピードのおかげであった。


(発動が早えぇ!!)


鍛錬を積んでいないフェラクリウスは、足から右手よりも左手から右手への方が圧倒的に経絡が強い。


(防御だ!)


跋虎は発剄で流れ込んでくる大量の氣を流すために意識を集中した。


彼に発剄は効かない。どんなに大量の氣を込めてもいなされてしまう。


ならば賭けるべきは純粋な攻撃力。


右腕を。拳を。


いや、もっと集中させる。


跳虎から吸い上げた大量の“氣”を四本の指先に込める!


虎爪。


フェラクリウスは指を拳を開き、指を折り曲げて爪を立てた。


虎の爪に見立てられた四本の指は刃となって跋虎に襲い掛かる。


拳じゃない。異変を察知した時にはもう遅い。


跳虎チョウコの“氣”を乗せたフェラクリウスの爪が、跋虎バッコの左脇腹を引き裂いた。


鮮血を吹き出し、崩れ落ちる跋虎。


同時にフェラクリウスも、攻撃の勢いに任せてうつ伏せに倒れ込んだ。

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