第95話 一行


早朝。


フェラクリウスと李吉は昨日死者を弔った後、村の民家を借りて一泊した。


目を覚ました時、李吉は横で寝ていたはずのフェラクリウスがいない事に気付く。


絶対に離れるな。


そう言い聞かされていた李吉が急いで民家を出ると、目の前に一羽のからすが現れた。




数分後。李吉はフェラクリウスを探していた。


「フェラクリウスー!

 フェラクリウス、どこですー?」


二人が寝泊まりした村に少年の声が響く。


「ここにいる」


フェラクリウスは民家の裏からにゅっと現れた。


「なあんだ、裏に隠れていたんですね。

 僕はてっきり、女を襲いに行ったのかと思いました」


「そんな事はしない。

 まぁ、なかなか説明はしづらいが

 裏で下半身をすっきりさせてきたところだ」


側から離れるなと言ったフェラクリウスが寝ている李吉を一人置いて先に行ってしまうはずがない。


つまりはこの竹の壁一枚隔てた裏で事を済ませていたという事だ。


人によっては嫌悪感を感じるかもしれないが、李吉は気にしない。


「ふうん、いいですねえ、すっきり。

 すっきりしたいですねえ。

 次はご一緒させて頂きてえもんですねえ。

 それよりフェラクリウス、これを見てください」


李吉は一通の書簡を取り出した。


「…これは?」


「いま、鸞龍ランリュウ様の使いの者が届けてくれました」


使い…?


周囲を見回す。


さっき一人でこそこそしているときも、人の気配を感じる事は無かった。


「フェラクリウス、上です上。

 からすが飛んでいるでしょう?」


見上げると竹の葉に囲まれた狭い空の中。


白い雲に溶け込んだような一羽の鳥が、西に向かって飛んでいく。


色は白いが、確かに形はからすに見える。


「あれ、近くで見ると黒いんです。

 鸞龍ランリュウ様の氣を纏っているから、

 周りの色に溶け込んでるんですよ」


それも魔法、いや、操氣術か…。本当に用途が広い。


李吉が続ける。


「で、はいこれ。多分フェラクリウス宛の書簡です」


「…きっちゃん、文字は読めるか?」


「読めねえです。

 今勉強中なんです。

 僕は鸞龍ランリュウ様からの連絡は

 全部人伝ひとづてに伺ってます」


自分が文字を読めない事は鸞龍ランリュウも承知のはず。


そして李吉も読めないとなると…これは人に読んでもらっても問題無いという事だ。


鸞龍ランリュウは恐らく二人が湖紗ゴシャの街にいると想定しているのだろう。


まさかたった二人、竹林に入り込んでいるとは思うまい。


「…ちょうどいいところに来た」


フェラクリウスの“レーダー”が反応を見せた。


一仕事終えたばかりの息子がムクムクと起き上がる。


「何を騒いでるの?」


自分の家で休んでいた白姫ハクキが二人の前に現れた。


「声、響くから」


「おはよう。

 お前さん、文字は読めるか?」


「馬鹿にしてる?

 これでも武術家なんだけど」


当然馬鹿にしている訳ではない。


武術家は文字が読めなくてはいけないなんてフェラクリウスは知らない。


この手紙を読んでくれるか、と白姫ハクキに手渡す。


相変わらず下半身が元気な二メートルのおじさんに若干ひきながらも、書簡を広げる。


書かれていたのは共通語ではなくアンの文字だった。


それでフェラクリウスには読めなかったのかと、彼女は納得した。


「…短い。え、何これ。

 これで意味わかるのかな」


「?」


「読むね。

 『俺の技は見たね。全て覚えている?』」


鸞龍ランリュウがフェラクリウスの前で披露した技。


筋力の強化、皮膚の硬化、傷の治療、そして魔力の燃焼…か。


「『試してみるといい。アナタならできる』…。

 …え?『鸞龍ランリュウ』…。らんりゅう?

 これ、鸞龍ランリュウ様からの手紙!?」


読み終わると同時に、白姫ハクキが目を剥いて驚いた。


「そうですよお。

 僕らは鸞龍ランリュウ様の命で跳虎を討伐に来たんです」


「あなたたち…本当に国からの…。

 っていうか、鸞龍ランリュウ様からの使いならそう言ってよ!」


「言いましたよお」


「言ってない!!」


李吉と白姫ハクキが言い争う中、フェラクリウスは一人あの日の事を振り返っていた。


跳虎討伐に行くと決めた夜。


鸞龍ランリュウは少しだけ日中見せた魔法について語った。


「フェラクリウス、アナタはもう使う準備が出来ている。

 実際に見る、もしくはその身で受けてみた事でね」


彼の語る魔法の一部、確かにこの目で見た。


そのうち一つ、傷の治療に関してはこの身で受けた。


使えるのか?俺が…。


「…わかった」


白姫ハクキが右の拳を左の手の平にパチンと合わせた。


「私もあなたたちに同行する」


「ええ?」


李吉が大袈裟に声を上げる。


「正直胡散臭いとは思っていたけど、

 鸞龍ランリュウ様が派遣した援兵なら信頼出来る。

 私も同行して、共に跳虎を討つ!」


白姫ハクキの半ば強引な提案に難色を示したのは、意外にも李吉であった。


「いやあ、おねーさん。

 ただの虎じゃなくて跳虎ですよ?

 僕たちは危険なところに、女の人は連れていかねえです」


彼女を拒否する言葉はフェラクリウスの言い回しであった。


だが、フェラクリウスは。


「いや、それがいい」


「ええ?」


再び李吉が声を上げる。


まさか、李吉が同行する事にあんなに否定的だったフェラクリウスが彼女の同行には肯定的だなんて。


だが、これもやむを得ない事情と言えよう。


この娘の目的は両親の仇を討つ事。


狙いが跳虎である以上、別行動を取るより側にいてくれた方が彼女にとっての危険が少ないはずだ。


フェラクリウスなりの合理的な判断であった。


「僕のときはあんなに引き留めたのに、

 フェラクリウスはスケベですねえ」


「きっちゃん、そうじゃない」


特に恨んでる様子でもなく、李吉はいつもの調子で軽口を叩いただけだが、それでも白姫ハクキを警戒させるには十分な威力があった。


すっと後ずさり嫌悪感を示す白姫ハクキを安心させるためか、李吉がフォローを入れる。


「大丈夫ですよお。

 フェラクリウスは童貞ですから」


「なにそれ。童貞だと何が大丈夫なの?

 童貞の方が危険って考え方もあるし。

 ていうか、おじさんの性事情とか、

 知りたくないから言わないで」


やれやれ、騒がしくなりそうだ。


フェラクリウスはおギンギンの巨木にスッとペニケを被せ、ため息を吐いた。

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