第92話 使い手


竹林を歩く子供と身長二メートルのおっさん。


前を歩くフェラクリウスは李吉が歩きやすいように、足元を気にしながら指示を出す。


地面から顔を出した若芽に足を取られて怪我をしないための配慮だ。


また、竹の葉が積もった足場は滑りやすい上に柔らかく歩きづらい。


体重の軽い李吉はすいすいと足早について来るが、それでも体力に差はある。


足元に気を配りながら進む事で、歩幅の違う李吉でも無理のないスピードで歩く事になる。


そんな彼の気遣いを、李吉はしっかりと理解していた。


「僕が歩きやすいように

 足場を選んでくれているのですねえ。

 フェラクリウスはやさしいんですねえ」


「当然の配慮だ。

 子供は国の宝だからな。

 『チンは国家なり』という言葉もある」


そのチンは生殖器を指す言葉ではないのだが、これはフェラクリウスにこの金言を教えた人間が悪いので彼自身は一つも悪くない。


「へぇー、国はチンから出来るんですかねえ。

 その理屈ならマンも国家だと思うけどなあ。

 そっちの方が僕は好きだなぁ」


成る程良い事を言う。


やはりこの子は馬鹿ではない。


「そうだな、『マンも国家なり』だ」


フェラクリウスは李吉の頭を撫でた。


この子は馬鹿ではないかもしれないが、この会話はちょっと馬鹿であった。


慎重に竹林を進む中。


ふと、遠くで何やら怒声が響いた。


李吉の耳にも届いていたようである。


「フェラクリウス!

 向こうで汚ねえ叫び声が…!」


「乗れ!きっちゃん!!」


フェラクリウスが屈んで李吉におぶさるよう指示を出す。


はい!と威勢のいい返事をして、李吉は何も迷うことなく即座にその背中に飛びついた。


「振り落とされるなよ」


生い茂る竹林の中を、二メートルの巨漢が物凄い速さで駆け抜けていった。


「ぎゃああああっ!」


またしても男の悲鳴。今度は近い。


跳虎だろうか。


フェラクリウスは李吉を背負ったままペースを上げた。


しかし、どうした事であろうか。


近づくにつれ、フェラクリウスは次第に下半身が熱を帯びてくるのを感じた。


男の象徴ともいえる“下の蛇”が徐々に硬化していくにつれ、走りづらくなってくる。


―女性の気配だ。


こんなときのために“アレ”がある。


フェラクリウスは一度足を止め、バッグからペニケを取り出すと乱暴に股間に被せた。




しばらく駆けてゆくと、やや開けた場所に出た。


足元に土の地面が露出しており、竹の葉が脇に掻きだされている。


奥に民家が見えるので、おそらくここは村への入り口なのだろう。


そこで諍いは起きていた。


いや、既に終わっていたのかもしれない。


顔や腹を押さえてのたうちまわる三人の男たち。


そして、その奥でこちらを睨みつけている一人の女性。


へそが隠れるくらいまでの丈の短い上衣に、七分丈のレギンスのようなズボン。


上下真っ白な服装に負けない程に美しい白い肌と、それを一層際立たせるような黒髪。


彼女が一人立っているという事は、ここで何があったかは想像に難くない。


跳虎を倒して名を上げようとする者、もしくはどさくさに紛れて火事場泥棒をしようとしていたならず者が女性を襲い、返り討ちにあったのだろう。


女性は敵意を向けた視線を、フェラクリウスに向けた。


「…あなたもこいつらの仲…ぎゃあっ!!」


啖呵を切ろうとした女性は、フェラクリウスの下半身の“異常”に気付き、悲鳴を上げた。


身の危険を感じたのか即座に大きく距離を取り、独特の構えを取る。


腰を低く落とし、左手左足を前方に突き出し、右半身を大きく引いた。


「きっちゃん、下りてくれ」


「わあ、フェラクリウス、

 女を殴るんですね!」


「そんな事はしない」


李吉の誤解のせいで、女性は警戒心を高めたようだった。


「なあ、俺たちは…」


「待ちやがれ!!」


誤解を解こうと話し出したところで、うずくまっていた男の一人が叫んだ。


男がゆっくりと立ち上がる。左手で押さえた脇腹からは鮮やかな赤がじわり滲んでいる。


「この女は俺たちの獲物だ。

 テメェはすっこでな」


剣を振り回し、フェラクリウスを威嚇する。


武器を取り出そうするフェラクリウスに、今度は女性が警告する。


「手を出すな!!」


鋭い一喝に、フェラクリウスはぴたりと動きを止める。


「こいつは私の相手だから。

 最後まで面倒を見る」


双方から動くなと命令され、フェラクリウスはやれやれとため息を吐いた。


ならず者の男は大きく息を乱しながらも、剣を振り上げ女性に斬りかかった。


振り下ろされた刃に一切ひるむことなく、女性は素手で剣を受ける。


キン!と、金属同士がぶつかる音がした。


それは鸞龍ランリュウが見せた皮膚を硬質化する魔法ではない。


手の平に仕込んだ“暗器”によって刃を防いだのだ。


恐らくナックルダスター(メリケンサック)のような、手の中に握り込む武器を仕込んでいるのであろう。


相手の太刀筋を真っ向から受け止めるのではなく横から受け、捌く。


同時に、腰を支点に上体を柔らかく捻り、肩を支点に伸ばした腕を振り回した。


低い姿勢から弧を描くような独特の軌道で縦に伸び上がり、左腕を相手の肩に打ち下ろす。


「ぐあっ!!」


悶絶。


小さく血しぶきが舞う。


両手に仕込んだ暗器が突き刺さったのだ。


身体に近い右手で捌き、突き出した左手で打つ。


更に、左の打撃が入った時点で既に右腕も攻撃の動作に移っている。


大きく弧を描くような頭部への打ち下ろし、“”の連打。


ガッ、ガッと、打ち込まれる度に小さな赤い噴水が吹き上がった。


頭蓋に鋭い鉄の塊が、何度も何度も突き立てられていく。


やみくもに腕を振り回しているように見えるが、全ての攻撃が次の攻撃動作に繋がっている。


鞭が踊るようにしなやかな上半身と、遠心力の乗った強力な殴打に、男はあっという間に地に伏し、絶命した。


受ける。崩す。打つ。


一連の動作のスムーズな連動。


素晴らしい。


フェラクリウスは感嘆した。


これは紛れもない武術だ。


訓練によって体得した“技”だ。


「お見事」


つい、フェラクリウスが賛辞の言葉を述べた。


「お待たせ、変態さん。

 褒めたって、手加減してあげないから」


女性武術家がフェラクリウスの方へ向き直り、先程の構えを取る。


身長二メートルを超す大男と対峙しても全くひるむ様子すらない。


「待て、俺は…」


言いかけた次の瞬間、フェラクリウスは即座に右の親指で何かを弾いた。


飛蝗石ひこうせきッ!?)


石のつぶてを投げつけて来たと思い、咄嗟に右手で顔面を守る女性。


だが礫は女性とは見当違いの方向へと飛んで行き、立ち上がろうとしていたならず者の右手の甲を直撃した。


先程まで倒れていた男が意識を取り戻し、女性を狙っていたのだ。


奇襲をかけようとしていたところに思いもよらぬ攻撃を受け、男は思わず手にしていた剣を落とす。


状況を理解した女性は即座に男の顎を蹴り上げると、そのまま高く上げた足で勢いよく後頭部を踏み潰した。


「俺は敵じゃない」


改めて、フェラクリウスが身の潔白を証明する。


「僕たちはならず者じゃないですよ!

 ちゃんと跳虎討伐の命を受けてやってきた

 援兵ですから!!」


李吉もフェラクリウスに続けて弁明する。


「君を襲う気なんかない。

 これはただのペニケで、

 中身は全然平常サイズだ」


フェラクリウスは彼女を安心させるために敢えて嘘を吐いた。


だが、彼が呼吸するたびにペニケがぴくぴくと動くので嘘はとっくに見破られている。


「…わかった。敵じゃない事は認める。

 でも変態ではあるかもね」


半ば呆れたようなため息を吐くと、女性はゆっくりと構えを解いた。

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