第91話 師匠と弟子


ところ変わって西城サイギの街。


カートの修行は続く。


前日同様に剣を構えて大地を掴む訓練をしているのだが、その身なりは随分とラフな格好になっていた。


上半身裸、ブーツも脱ぎ捨て裸足。


まるで滝に打たれたかのように全身に汗を被っている。


激しい運動をしているわけではない。


ただ武器を構えているだけだというのに、体幹に強い負荷をかけているような疲労を感じる。


「しんどいかい?

 それが経絡けいらくを鍛えるという事だ。

 より多くの氣を体の隅々に伝えようとすると

 強い疲労を感じる」


必死で氣をコントロールしようとするカートに、鸞龍ランリュウが語り掛ける。


「しんどいなんて一言も言ってねえ…」


訓練の進捗はこうだ。


氣が通じるまでに時間はかかるが、大地を“掴む”感覚はわかった。


ただ、踏ん張りがまだ足りない。


突き飛ばされてもビクともしない程に固定出来るようになれ。


それが鸞龍ランリュウからの指示である。


「そのために何が必要か?

 単純に大地を掴む氣の量が足りてないんだ。

 より経絡を鍛えて氣を多く送れるようになりなさい」


ゆっくりと、その代わり大量の氣を足元へと送り込む。


「スピードより量だよ」


「わっかっっってんだよ…っ!」


集中力を乱しながらも、カートは鸞龍ランリュウに反論する。


「脚に余計な力が入っている。

 そのままじゃ立てなくなるよ。

 筋肉は使わない」


「掴んだッ!!」


カートの合図に呼応し、鸞龍ランリュウはゆっくりと右手で空を払った。


すると突如強風が起こり、武器を構えるカートを吹き飛ばす。


必死で踏ん張るも、カートはゆっくりと背中から地面に倒れていった。


その様子を見て、鸞龍ランリュウはクスリと微笑む。


「…いいね。

 ひとまず合格なんじゃないかな」


カートは強風に耐えきれず地に背を付けた。


それでも足底だけは大地にしっかりと接続されたまま、離れることは無かった。


修行三日目にしてここまでの成長を見せるのはやはり彼の才能と努力によるものである。


「やった…」


ぐったりと横たわるカート。


この達成感に包まれたまま、しばらく休みたい。


しかし鸞龍ランリュウは。


「続けて」


そっけなくそう告げて彼の側を離れていく。


「マジかよ…」


せめて次の訓練に移ってくれりゃあやる気も補充されるってのに…。


少しげんなりしながらも、カートは立ち上がり再び武器を構えた。


その時。


鸞龍ランリュウ!」


海騎カイキ。待っていたよ」


鸞龍ランリュウの元に、一人の男が尋ねて来た。


この三日間、何人もの訪問客がやってきた中、この男だけは別段親し気に彼を呼び捨てにした。


鸞龍ランリュウは修行を一度中断させてこの男を紹介する。


「彼は海騎カイキ

 北の寺院で操氣術を教えている。

 今日からは彼に君の訓練を見てもらう」


さらりと意外な事実を告げられ、カートは絶句しかけた。


「えっ…。

 あんたが付きっ切りで

 教えてくれるんじゃないの…?」


クスクスと笑って、鸞龍ランリュウはカートに視線を流した。


「俺は君の師匠にはなれない。

 もう王都に戻らないと。

 我が王が寂しがっているからね」


そりゃあ、一国の宰相が多忙なのはよくわかっているが、だったら初めから教えておいてほしかった。


こっちはやっとこの男の指導に慣れて、鸞龍ランリュウという達人から教わるつもりになっていたのに。


「紹介した通り海騎カイキは師範だ。

 人にものを教える事に関しては

 俺よりよっぽど適任さ」


「よろしく頼む。

 鸞龍ランリュウ程の指導を

 期待されるのは困るが、

 任されたからには精一杯やろう」


師範と呼ばれているが、海騎カイキは思いのほか腰が低くカートはかえって恐縮してしまった。


背は170センチ程、黒髪を後ろにまとめ高い位置にまげを結んでいる。


目が細く、いかにもアンの民族といった顔立ちだが知的で優しそうな雰囲気を纏っている。


とても“武術の師範”といった印象は受けない。


海騎カイキは胸の前に右手と左手を合わせた。


その際、右手は拳を握り込んだ。


左手は人差し指から小指までの四本を揃え拳を包み込まずピンと伸ばしたままだった。


鸞龍ランリュウと会った日にヘルスメンがしていた礼とは少し違う。


そういう挨拶もあるのかと、カートは特に気にせず頭を下げた。


「では、引き継ぎをしてくるよ。

 見ているから、君は続けてくれ」


海騎カイキはそう言って鸞龍ランリュウと共にていの方へと歩いて行った。


…ちょっとやりづらいな。と、カートは顔を引きつらせた。が、すぐに気を取り直して集中し、大地を掴む訓練を再開した。


「驚いたな。

 操氣術を学んで三日目だと聞いたが…」


修行の進捗具合に、海騎カイキは目を見張った。


「センスは申し分ないが時間が無い。

 だからこそアナタにお願いしたかった。

 基礎だけでいい。どうせ彼の気質では、

 アナタの龍形掌りゅうけいしょうは向いてない」


ははっと、海騎カイキが苦笑する。


「成る程、彼がどんな性格かわかったよ。

 もちろん、ウチで鍛えれば矯正する事は可能だがね」


彼が望むならそうしてやってくれ。と、鸞龍ランリュウは他人事のように言い放った。


「ところで、アナタ自慢の一番弟子の姿が見えないな。

 同行させているのでは?」


手紙でのやり取りでは、海騎カイキは弟子を伴ってやってくるはずだった。


だが使用人が連れてきたのは彼一人。


「そう、是非君に会わせたかったのだが…。

 道場を空けるのは気が進まないと

 断られてしまったんだ。

 彼女は修行熱心だからね」


それは残念。そう言って妖しく微笑む鸞龍ランリュウ


その表情を見て、海騎カイキは少し言いづらそうに続ける。


「それと…彼女はまだ君に会う気はないらしい」


「へえ、それは何故?」


「彼女の目標は君を越える事なんだ。

 いま会えば、君に何らかの情報を渡す事になると」


鋭い。


洞察眼こそまさしく鸞龍ランリュウの武器である。


もし海騎カイキの弟子がこの場にいたら僅かな会話の中でも特徴を見抜き、クセを見抜き、弱点を見抜いていただろう。


「君を倒せるようになった時に

 初めて相見え、手合わせ願いたいと。

 彼女はそう言っていた。

 あの子の目は既に師である私を飛び越え

 アンの国最強の操氣術師である君を捉えている。

 師としてこれほど誇らしいことは無いよ」


「師弟ともども買いかぶりすぎだ。

 俺はただの政治家だよ」


鸞龍ランリュウは彼の賛辞を一笑に付した。


「謙遜はいらない。君自身、自分の力を理解していないはずがない」


海騎カイキもまた、鸞龍ランリュウという友人をよく“理解”しているようだった。


鸞龍ランリュウは何も答えず、口元に薄っすらと笑みを浮かべた。


「では、俺は支度をして昼にも発つよ。

 屋敷は自由に使ってくれて構わない。

 彼の事は任せた」


わざとらしく話題を逸らして、鸞龍ランリュウは庭園を後にする。


最後に一言、こう付け足して。


「彼自身がはやって台無しにしないように、

 心も鍛えてもらえると助かる。

 英傑級の器だ。くれぐれもよろしく頼む」


「…本気かい?」


そう聞き返した海騎カイキに、鸞龍ランリュウはクスリと微笑んだきり黙って去ってしまった。

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