第90話 夢を追う者


「よくぞお越しくださいました。

 鸞龍ランリュウ殿から話は伺っております」


宮殿で歓迎を受けるフェラクリウス。


迎えてくれたのは湖紗ゴシャの太守、韋玄イゲンであった。


白く、豊かな鬚髯しゅぜんをたくわえており、見たところフェラクリウスより一回り以上年上であろう。


背はそれ程高くはないが、がっしりとした肩幅の“武人”であった。


跳虎の事を尋ねると、韋玄イゲンは腕を組んで如何にも参っていますというように顔をしかめた。


「あの怪物には困ったものです。

 既に多くの民が犠牲になっております」


疲労か、それとも老いか。ふうと長いため息を吐くと、鈍った身体を重そうに揺らす。


「わしが直々に兵を率いて

 討伐に出てもよいのですが、

 太守という立場上そうもいかない」

「これでも革命の際には軍の先頭に立ち、

 猛将韋玄イゲンと恐れられたものなのですがね」


老兵の口からはアン建国の頃の武勇伝が始まろうとしていた。


申し訳ないが、思い出話にお付き合いしている暇は無い。


「それで、跳虎はどこに?」


話を遮ったフェラクリウスの問いかけに、韋玄イゲンは一瞬固まり、なにやらバツが悪そうに口を開いた。


「…それが見失ったのです」


見失った?


「いや、大体の場所は掴んでいますよ、もちろんね。

 ですが、南の竹林に引っ込んでしまいましてな」


街の南方には広大な竹林地帯がある。


湖紗ゴシャの竹は強靭で、加工がしやすく、建材から日用品まで広く用いられている。


この街にとって大事な産業の一つである。


「竹林の虎を探すとなれば

 捜索も難航しますし、危険も大きい。

 今は湖紗ゴシャ側から見張る事しか出来ません。

 それにああなってはあの怪物も、

 しばらくは出て来そうにない」


なにやら不穏な気配が漂う。


「何故そう思う?」


「餌があるからでしょう」


フェラクリウスの不安が的中した。


聞くに、竹林地帯には多くの村が点在しているという。


避難勧告こそしたものの、なかなか退避が進んでいないのが現状らしい。


家も、蓄えも、全て放り出して街に逃げるなど出来ない。


彼らはそう考えた。


なにしろ彼らにとっては土地そのものが先祖から受け継がれた財産なのだ。


ほんの一時であっても、留守を狙った盗人が出ないとも限らない。


「命より大事なものはない」。


それも間違いでは無い。


だが、故郷を奪われるくらいならそこで命を終えたいと思う者もいる。


「まぁ、危険は伝えましたから。

 後は彼ら次第でしょう。

 餌がなくなれば、きっと跳虎も竹林を離れるはずです」


さほど気に留めた様子もなく、韋玄イゲンは持久戦を受け入れているようだ。


彼らの避難指示が適切であったか、そんな事はフェラクリウスにはわからない。


無知な自分が他国の政治に口を出すつもりはさらさらない。


ただ彼は自分のやるべきことを明確に定めた。


一刻も早く、跳虎を討つ…!


それだけが彼に出来る、被害を抑えるための方法なのだ。


「では、早速竹林に向かう」


「あ、もう行かれますか?」


早々に宮殿を立ち去ろうとするフェラクリウスに、韋玄イゲンは戸惑ったように呼び止めた。


歓迎の宴も用意していたのだというが、フェラクリウスはその申し出を断る。


「では、案内人を付けましょう!」


「必要ない。

 危険な場所へは、

 なるべく一人で向かいたい」


しかし…。韋玄イゲンはまたしても一旦言い淀み、言いづらそうに続きを述べた。


「竹林には跳虎を倒して名を上げようとする

 ならず者どもがうろついているかもしれません。

 一人ではそういった者たちの対応に苦慮されるのでは」


フェラクリウスはむうと口を横一文字に結び唸った。


「…一般人は近づけないようにしているのでは?」


「もちろんです。

 それは鸞龍ランリュウ殿からの指示通りに。

 だが命令に従わぬ馬鹿の事までは

 こちらの知った事ではない。

 死にたがりの愚か者どものために

 私のかわいい兵士どもを

 危険にさらす筋合いなどありましょうか」


当然であるかの如く、韋玄イゲンがフェラクリウスに同意を求める。


彼の考え方は理解出来る。上に立つ人間からしたらそれが正解なのだろう。


だが立場の違うフェラクリウスにはその意見に同意する事は出来なかった。


「…ならず者の件は心得ておこう。

 忠告感謝する」


振り返らずにそう告げると、足早に宮殿を後にした。




「あれ?早かったっすねえ」


内城の門前で待機していた李吉と合流する。


「僕はてっきり、

 綺麗なおねーさんに囲まれて

 酒でも引っ掛けてくるのかと思いましたよ」


李吉の本気ともつかない冗談に、フェラクリウスはふっと口元がほころんだ。


「跳虎の居場所がわかった。

 すぐに向かう」


「おっ!いいですねえ。

 行きましょう!こっちも準備は万端ですよ!」


そう言って、李吉が馬を撫でる。


ここまで二人を乗せて来た馬匹ばひつはブルブルと鼻を鳴らした。


「きっちゃん、ここからは俺一人でいく。

 戻るまで街で待っていてくれ」


「やだなあフェラクリウス。

 御者がいないと馬車は動きませんよ」


「馬車は入れない。竹林に行く。

 ここからは危険だ。

 子供を連れて行くわけにはいかない」


そう告げられた李吉はぽかーんと口を開けたまましばらく固まってしまった。


少ししてようやく意識が戻って来たかと思ったら、キッと真剣なまなざしをフェラクリウスに向けた。


「僕、ついて行きます。

 絶対足手まといにはならないす。

 いえ、きっとお役に立ちます!」


「役に立つかどうかじゃない。

 危険な場所に子供は連れて行かない」


「僕はいつか千里眼になって

 鸞龍ランリュウ様のために世界を飛び回ります。

 それまでに色んな経験を積んでおきたいんです」


それは今日じゃなくてもいいと説得しても、李吉は頑として聞かない。


フェラクリウスは頭を掻きむしり、やれやれと首を振った。


「…鸞龍ランリュウはなんと?」


「何も言われてねえです。

 それは、僕の好きにしろと言う事です。

 指示の無い事に関しては、

 僕の判断で動いていい事になっているです。

 そして、あなたの旅に僕を付けたという事は、

 フェラクリウスという、英傑王を倒した男の戦いを

 見届けて来いというご指示だと思ってます」


少年の意志は固い。


それでもフェラクリウスはもう一度思いとどまるよう忠告した。


「…きっちゃん。

 危険ってのは命だけの話じゃねえ。

 生きて帰れたとしても、目を失う。

 腕を失う。脚を失う。

 そうなった時の事を想像出来るか?」


鸞龍ランリュウ様に仕える事は僕の誇りです。

 父もそうして死んだらしいですが、

 後悔はないはずです。僕も後悔はしません。

 あなたの力になる事が、鸞龍ランリュウ様に尽くすという事です。

 フェラクリウスが置いて行こうとしても、

 僕はこっそりついて行きますよ。

 それで、きっとあなたの役に立ちます」


質問の答えにはなっていないが、李吉は必死で、自分なりに精一杯の想いをフェラクリウスにぶつけた。


「…子供が戦場で死ぬ事を

 鸞龍ランリュウは望まんぞ」


「もちろんです、

 必ず生きて帰るつもりです。

 僕はまだ、千里眼になっていませんから」


やれやれと、再びフェラクリウスは頭を掻きむしってため息を吐いた。


「…わかった。ついて来い。

 ただし、絶対に俺の側を離れるな。

 何があっても。それだけは約束してくれ」


「お任せください!」


李吉は嬉しそうに右拳を左手で覆い、胸の前で合わせて一礼した。


少年の覚悟は受け取った。


こうなった以上、自分も腹をくくるしかなかった。


何があろうと、必ずこの少年を無事に帰す覚悟を。

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