第88話 二匹の虎
李吉とのやり取りも相まって、食堂でのフェラクリウスはもう目立っちまってしょうがなかった。
「茶をもう一杯頂けるか」
店員の女性におかわりを頼むフェラクリウス。
下半身はもちろんバキバキだ。
牛革製のペニケの内から熱気が溢れだしそうになっていた。
溢れだすのが熱気ならまだマシだろう。
別のものが溢れだしたらお縄である。
そんな極限状態にもかかわらず、女性の前で平静を装うフェラクリウスはやはりそんじょそこらの童貞とは“一味違う”男であった。
そわそわと李吉の帰りを待っていると。
テーブルを挟んだ向かいの席、背もたれの無いベンチに一人の大男がどかっと荒々しく腰かけた。
それから茶のおかわりを持ってきた給仕に注文を告げる。
他に席はいくらでも空いているのに。
むしろフェラクリウスの周りの席を皆が避ける中わざわざ相席してきた謎の男。
身長はフェラクリウスより少し低い程度。
年齢は少し上くらいか…?少しわかりづらかった。
というのも、顔中に痛ましい古傷が残っていて造形が掴みにくいためである。
見れば、身に着けた鎧も傷だらけ。
“歴戦”と言えば聞こえはいいが、そのナリはまるで敗残兵のようだった。
もっとも、フェラクリウスはそんな身なりで相手の力量を測ったりはしないが。
テーブルに立て掛けた槍の先端には、刃の側面に三日月状の刃が二つ取り付けられている。
ハルバードの一種かな、とフェラクリウスは推測した。
「アンタも虎退治かい?」
挨拶も無く、男は
「…まあな」
「やめとけよ。
動物虐待なんてつまらんぜ」
「遊びに来たわけじゃあない」
男の忠告に、フェラクリウスはいつもと変わらぬ調子で淡々と答える。
給仕が男の前に料理を運んでくる。
それはどろどろに白く濁ったスープだった。
そんなに見られちゃあ食いづれえよ。と、男が笑う。
「遊びじゃないなら、なんだい。
アンタも名を上げたい連中の仲間かい」
スープをすすっては、小気味よく交互に語り掛けてくる。
「近頃この街にゃ
跳虎を倒して勇名を馳せようって連中が
大勢集まってきてんだよ。
あっちのもそうさ」
食堂の奥で騒いでいる男たちの集団。
皆この男と同じように鎧を着こみ、武器を掲げて意気込んでいる。
「いい餌だぜ」
そう吐き捨てると再び、ずるずると音を立ててスープをすする。
「お前はこの街の人間か?」
「いやあ、旅人さ。
活気に釣られて
ふらりと立ち寄っただけだよ」
話ながらもあっという間にスープを平らげ、男はからんと器に匙を投げだした。
男の巨体にこの量の食事では栄養が全然足りないのではないか。
フェラクリウスは変に心配になった。
「そんなに珍しいかい?
俺のこの
別に
「まあ、そうだろうよ。
だが俺からすりゃあ
珍しいのはアンタだぜ」
珍しい?北の人間が?
真意を測りかねているフェラクリウスを見て、男はニタニタといやらしい笑みを浮かべた。
「お前さあ…」
たっぷりと溜めて、男がフェラクリウスに顔を近づける。
「“出てる”よ」
!!
しまった!!
会話に夢中で気付かなかった。給仕が届けに来た時か?
まさか、そんな。“出した”感覚も無く“出ちまって”いたなんて。
急いでペニケを確認する…!
ペニケの中からは何も…溢れてない!!
…俺を試したのか。
フェラクリウスが男の方に視線を戻す。
男は既に椅子から立ち上がり、武器をひょいと担いで立ち去ろうとしていた。
「もしアンタが跳虎と戦って生きていたら」
そこまでで一度、男は口を開けたまま静止する。
それは何かを言いかけて思いとどまったかのように見えた。
だが、すぐに開いた口の周りをぺろりと舌なめずりして別れの言葉を言い直した。
「…また会おうぜ」
名も告げず、名も聞かず男はさっさと食堂を出て行った。
彼はいったい何がしたかったのか。
何のためにフェラクリウスと相席し、何を聞き、何を伝えたかったのか。
全ては想像の中にしかない。
だが、フェラクリウスは男との再会を予感していた。
中年の顔面が接近してきたことで、顔の
傷付き、治り、また傷付き。年月を重ね層となった
すなわちあれは彼が幾度もの過酷な戦いを生き抜いて来た勲章なのだ。
このときフェラクリウスはまだ気付いていなかった。
男が食事の代金を払わず店を出て行った事に。
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