第86話 君に合う靴がある


初めての経験であった。そしてそれは長い苦痛を伴った。


結果、見事に学習する事が出来た。


水の上に浮かべた木の板はどんだけでかくても揺れる。


それはフェラクリウスの強靭な平衡感覚を持ってしても耐えられるものではなかった。


船の揺れに慣れてないからとか、背が高くて揺れの影響を受けやすいとか、そういう次元ではない。


ここまでくると身体能力の域を超え、苦手意識の問題なのかもしれない。


川岸でぐったり横たわるフェラクリウス。


その隣にぐったり横たわる李吉。


李吉も駄目だった。


水辺で育ったわけでもない少年が、揺れる船の上で四時間は耐えられなかった。


「帰りもあれに乗るなんて

 考えたくもねえです…」


考えたくもなかった事を改めて李吉に言われ、フェラクリウスはまた胃に熱い痛みを感じた。




翌日、西城サイギの屋敷。


昨日に引き続き銀剛の実を割る訓練を行うカート。


パキッ、とまた一つ、殻を砕いてひと息つく。


「例えばさ、俺がこの魔法…操氣術の訓練法を、

 衛兵団の仲間に伝えてもいいんだよな?」


「もちろん。それもこちらの目的の一つだ」


ていで書を記している鸞龍ランリュウが答える。


彼のところにはひっきりなしに使いの者がやってきて、その度に大量の書簡が届けられる。


同時に終わらせた分の書簡を持ち帰らせるのだが、捌いても捌いても一向に減る気配がない。


忙しい中、訓練に付き合ってくれているのだろう。


「ありがとう。

 でも、このクルミ…じゃない、銀剛の実か。

 これに代用するものってカートキリアにあるのかな」


木の実を手に取り、まじまじと見つめる。


硬い。


これ、フェラクリウスなら筋力で割っちゃうのだろうか。


一度試してほしい気もする。


「昨日も言ったが銀剛を割るのは本来の目的じゃあない。

 あくまで個人の“氣”の源を探るため。

 代用する品はいくらでもある。

 だが、もし必要とあらば輸出するだけの備えはあるよ」


そう言って悪戯っぽく鸞龍ランリュウに、カートは苦笑いで返した。


「…そりゃあ、俺の判断じゃ無理だ。

 向こうで代替品を探すよ」


ふうと再び息を吐き、集中するモードに切り替える。


氣を掴み…。


指先に伝え…。


…砕く!


庭園に殻が砕ける音が響く。確実に成功するようにはなっていた。


だが、源から“氣”を指先に伝えるまでにまだ70秒。


鸞龍ランリュウの話によれば、この時間を縮めるのがまた難しいらしい。


日々、鍛錬を継続していく必要があるのだろう。




「ウォームアップは済んだかい?」


鸞龍ランリュウの声でふと我に返る。


気付けば銀剛割りに夢中になっていた。


そう、今日から訓練は第二段階へと進む。


基礎の基礎ではあるが、たった一日で第一段階を越える事が出来たのだ。


この調子でちゃっちゃと進めていきたい。


用意してあった道具を取り出し、鸞龍ランリュウがカートに渡す。


「では、武器を持って」


それはカートが普段腰に携えているロングソードだった。


構えて。


構えは何でもいい。


既に自分の戦闘スタイルを身に着けているだろうからそこに口を出すつもりは無い。


君が実戦で使っているものがいい。


そう促され、カートは屋根の構えを取った。


「はい、そのまま」


誰と対峙しているのかもわからぬまま、構えをとった状態で静止する。


「“氣”を生み出す源は掴んだね。

 これからはそれを“氣門きもん”と呼ぶ。

 “氣門”に意識を集中し、今度は両脚に氣を流す。

 大腿だいたいから下腿かたいへ。

 出来るね?

 昨日までは出来なかったが今日の君は出来る。

 足部そくぶ、足の裏まで流してごらん」


言われた通りにやる。


足の裏へと氣を通す…。


遅い。指先までは約70秒だった氣の移動が、倍以上かかる。


「指先へと通す練習ばかりしていたから

 脚への伝導は遅いだろう?

 全身に“氣”を通す訓練を行う事だ。

 それを操氣術では“経絡けいらくを鍛える”を言う」


成る程…。


三分ほどかけてようやく氣が足の裏に到達した。


で、どうするのか。


指先に氣を通したときは銀剛の実を割った。


足の裏に氣を通した事で何が出来るというのか。


武器を構えた状態でまさかジャンプしろというのではないだろうな。


「到達したようだね。

 では、それで大地を掴んでみよう」


「はあっ?」


言葉の意味がわからず、カートはつい声を上げてしまった。


集中が途絶え、足の裏に感じていた氣がどこかへ散ってしまった。


「あっ…」


「うん、やり直し」


「ま、待ってくれ、『大地を掴む』って何だよ」


意味が理解出来なければやり直しも何もない。


「踏ん張るようなイメージで、

 地面に足を固定してごらん」


踏ん張るのはわかる。だが地面に足を固定ってのがわからない。


裸足になって足の指で大地を掴めと言う事だろうか。


怪訝な顔をするカートに、鸞龍ランリュウが補足を加える。


「氣は生命のエネルギーだ。

 それは人間だけが持つものではない。

 動物、植物、鉱物にさえ存在する。

 君の足元にある、その地面にもね」


鸞龍ランリュウはゆったりとした動作で池の水に向かって右手をかざした。


「これは物質が持つ氣に、

 自分の氣を“繋げる”訓練だ」


大きく空を仰ぐように、鸞龍ランリュウが右手を振り上げる。


その軌道をなぞるように、池の水がザバッと舞い上がった。


浮き上がった水は天空を舞う龍のように、右手の導くままに空を優雅に泳ぐと池へと帰って行った。


あんぐりと口を開けたままその様子を眺めるカート。


手品のようだ。という、初めて彼の操氣術を見たときと同じ感想しか出てこなかった。


「ここまでは出来なくていい。

 だが足部を大地と接続するのは

 君の戦闘にとっては非常に有用な事だ」


足を地面に固定する事が…?


なおもカートが首をひねる。


というのも、鸞龍ランリュウの言葉にいまいち納得ができないのだ。


「俺は結構、素早く踏み込んだり

 引いたりして動き回るタイプなんだけど、

 その『大地を掴む』って感覚は

 俺のスタイルにとっても実用性が高いのかい?」

「俺はダンテ国王のようなパワーが欲しい。

 それなら銀剛を割ろうとしていた時のように

 腕に氣を通す訓練をした方がいいんじゃないか?」


「ふふっ、わかるよ。

 操氣術を身に着けようとする人間の殆どは

 腕力を強化する技術を求める。

 だが君は全身の筋肉のバランスがいい。

 そういう人間が上半身から鍛えようとすると

 フォームを崩す危険性が高いんだよ」


鸞龍ランリュウはクスクスと笑い、まるで用意してあったかのような回答を述べる。


そう、カートが咬み付いて来る事も見透かしていたかのように。


「下半身は土台だ。

 筋肉は全身連動しているので

 土台を安定させるだけでも

 正しく力を伝えれば

 今までより強く正確に剣が振れるようになる。

 下半身の強化は攻撃力の強化と直結しているんだ。

 また、氣のコントロールが上達すると

 逆に素早く大地を蹴れるようにもなる。

 それは君の売りである敏捷性を活かす技だ」


う…。確かに、そう言ってくれれば納得せざるを得ないが…。


口調はゆったりと穏やかだが、情報量で押しつぶされそうになる。


戸惑うカートに更に鸞龍ランリュウの理論が襲い掛かる。


「それに下半身だけを鍛えろと言っているんじゃない。

 下半身から鍛えていけというだけだ。

 最終的には上下バランスよく。

 それが君には適している。

 でもね、ただでさえ訓練期間は短いんだ。

 ここを離れた後に独学でフォームを崩さぬよう

 訓練は順序立てて行っていく」


「わ、わかったよ、こええなぁ。

 俺が浅薄せんぱくだったよ」


一でも文句を言えば十にして言い返してくる。


口喧嘩では絶対に勝てそうにない。


カートは大人しく指示を聞く事にした。


…でも、だったら足部に氣を通す前に言っておいてくれよ。


不満を口に出すことなく、ちらりと鸞龍ランリュウの方を見る。


「足部まで氣を通す感覚に集中してほしかったんだ。

 言っただろ。訓練は順序立ててって」


一も言ってないのに言い負かされた。


この人が教師だったら勉強が嫌いになってたな…。カートはどっと疲れ、ため息を吐く。


その感情さえ見透かすように、鸞龍ランリュウはにやりと微笑んだ。

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