第85話 原動器官


フェラクリウスは難題に直面していた。


目の前に広がる海…ではなく、河。


そして、河に浮かぶ大量の船。


北国生まれのフェラクリウスはこんな巨大な河川を見たことが無い。


北にも内側にも川は流れているが、橋が架かっていてそれを渡る事が出来た。


ここの対岸ははるか遠く、そのさらに先に城壁に囲まれた街が見える。


あと少しで今日の宿に到着する。


だが、この長大な川幅では船無しで対岸に辿り着く事は不可能。


…フェラクリウスは馬車に腰かけたまま青い顔をして対岸を睨んでいた。


「…渡るのか?」


「渡ります!

 さあ行きましょう、フェラクリウス!

 みんな待ってますよ、跳虎とか!

 他にも、虎…とか?多分、獣が」


別に嬉しくもないご褒美を掲げて李吉がフェラクリウスを励ます。


「…馬車で二日と聞いたが」


「へえ、船で対岸まで

 ほんの四時間程度です。

 馬ごと乗れるんですよ。

 だからまぁ、ずっと荷台に乗ってりゃ船の上も馬車みてえなもんです。

 船から降りたら、そこからはまた馬車旅になります!」


馬車ごと乗れる大きな船とは言うが、でけえだけのいかだである。


船員たちが「早く決めてくれ」と言わんばかりにこちらに視線を向けている。


四時間…。不安がよぎる。


乗り物が苦手な方にはお判りただけるだろうが、「多分酔う」と思った時点で既に体が酔うモードに入っている。


「酔うだろうな」「酔ったらまずいな」と考えている時点でもう自分から酔いにいっているのだ。


「だったら考えないようにすりゃいいじゃん」とはいかないのも人間というものである。


フェラクリウスは人生で一度も船に乗ったことは無い。


だが、無駄に月日を重ねたおじさんにはわかってしまうのだ。


こんなゆらゆらした板なんか、乗ったら酔うという事が。


「見てください!

 こんなでけえ船ですよ。

 地面みたいなもんです。

 でけえ船は揺れますか?揺れませんか?」


乗った事がないからわからん。


フェラクリウスが答える。


僕も覚えてません。


李吉が嘆く。


乗った事はないが、陸の上からはどう見たって揺れている。


ゆら~りゆらり、ちゃっぷちゃっぷと。


だが、しかし。


フェラクリウスは任せろと言ってここに来た。


ここでうだうだくだを巻いていようが最終的にはどうせ乗る。


跳虎を討伐するために、乗れと言われたら乗るしかないのだ。


「…よし、乗るぞきっちゃん!」


フェラクリウスが景気を付けるように力強く叫んだ。李吉も続く。


「そう、乗らねば着きません。

 僕らはいかなきゃいけません!

 ほら、梅干し食べて元気だしましょう!

 僕は元気ですからいりません」


そう言って李吉は壺からわしづかみにした大量の梅干しをフェラクリウスの口にねじ込んだ。


目と口をすぼめ、フェラクリウスはかめの酒に飛びついた。




その頃、西城サイギでは魔法の訓練が始まっていた。


屋敷の庭先で、上着を脱いで軽装になったカートが呼吸を整えている。


「説明の際には便宜上“魔法”という単語で統一していたが、

 ここで教えるのは“操氣術そうきじゅつ”だ。

 数ある魔法の流派の一つだと考えてくれ」


初めに鸞龍ランリュウはそう言った。


例えば筋力を鍛えるのであれば重い物を持ち上げるなどして筋肉に負荷をかける。


技術を磨くのであれば正しいフォームを学び反復する。


“操氣術”では。


クルミを割っていた。


「正確にはクルミではなく“銀剛ぎんごうの実”。

 アンで最も硬い植物だと言われている」


クルミのような形状だが色は灰色で、とにかく硬い。


床に叩きつけたら床が傷つく。噛んだら歯が折れる。


こいつを利き手の親指と人差し指でつまみ、力を込める。


つまむピンチ力で割るのはほぼ不可能。

 そこで“氣”を使って筋力を強化する。

 これは“氣”の出所を探る訓練の基礎だ」


カートのそばに置かれたカゴの中身は乾燥した睾丸ではない。


大量の「銀剛の実」が入っている。


鸞龍ランリュウがそれを一つつまみ、実際にやってみせる。


「ある流派ではへその下、丹田たんでんを意識するよう言われるが

 人によって“氣”が引き出される位置は異なる。

 左右どちらかに寄っていたり、心臓に近い位置に持つ者もいる。

 レアケースだが足や頭にある者も。

 これを掴むのに時間がかかる」


鸞龍ランリュウは続ける。


目を閉じて、イメージするんだ。


自分の力がどこから生み出されるのか、その源を探る。


どれだけ時間をかけてもいい。ここだと思った部分が見つかるまで、探る。


掴んだら、そこから生まれてくる氣を指先へとだんだん移動させてゆく。


肩から上腕、前腕を伝わって指先へ。


氣が届いたら、指先に力を入れて割る。


パキッ!と、気持ちのいい音がして“銀剛”の殻が簡単に割れた。


「…すげえ」


「“氣”を前腕で留めるなよ。

 握力を強化しようと思うと

 つい前腕で“氣”を溜めたくなるが

 指先までしっかり通す事は

 後々“氣”の操作技術に響いて来る」

「スピードは考えなくていい。

 とにかく“氣”の出所を掴む。続けて」


そういうと鸞龍ランリュウは庭園のてい(あずま屋)に戻り筆を動かした。


集中。


意識をへそのあたりへ。多分、この辺から力が湧き出てくる気がする。


“氣”を右肩へ。肘へ。手首から指先へ。


割る!!


上腕二頭筋がビクンと跳ね上がり、カートの操氣術は不発に終わった。


もう半日この訓練を続けている。前腕筋に痛みが走る。


「力で割ろうとすると筋肉を傷める。

 指先に力を入れるのはほんの少しでいい。

 “氣”が伝わっていれば、実は割れずとも感覚でわかる」


失敗したらすぐに次の木の実に取り換える。


殻の硬度が劣化するのを防ぐためである。


昼食を挟んで五時間、同じ作業の繰り返し。


いい加減集中力も切れてくる頃だろう。


だがカートは違った。


訓練とはただ同じ動作を繰り返しているだけでは意味がない。


方法が正しいのか。間違っていたならば、どうすれば改善出来るか。


試行錯誤し確認作業を繰り返し行う場合のみ、反復練習には意味がある。


(なんか、力を込めるとき…

 エネルギーの湧き出す位置は

 この辺って固まってきた気がする)


目を閉じて集中し、“氣”を引き出す。


身体の中を伝って、肩から腕へ。腕から指先へ…。


そして、力を込める。



…ピシッ。



「えっ!?」


指と指の間隔が縮まる感覚とその音で、カートは思わず声を上げた。


それほど強く力を入れたワケではないが、銀剛の殻にヒビが入っていた。


「あ…ヒビ、入ったんだけど!」


亭の方を振り返ると鸞龍ランリュウと目が合った。


ゆっくりと立ち上がり、こちらへやってくる。


ひびの入った銀剛の実を受け取り、確認する。


「お見事。やはり君は飲み込みが早い」


鸞龍ランリュウは優しく微笑み、カートに称賛の言葉を送った。


「先程も告げたが、

 これは“氣”の出所を探る訓練であり

 木の実を割る事は目的じゃない。

 にもかかわらず半日で割れたという事は

 “氣”の出所さえ掴めれば

 筋力を強化するだけの“出力”は

 既に実用十分だと事だ」


鸞龍ランリュウが次の訓練に移るか尋ねると、カートはそれを拒否した。


「待ってくれ、まだ割れてない。

 ヒビを入れただけだ。

 次は一発で割る!」


氣の出所を掴んだカートは意気揚々として、銀剛の実を割る訓練を続けた。


それからカートが銀剛の実を完全に割れるようになるまで、更に半日かかった。


だがこれは操氣術の使い手としては天才ともいえる驚異的な速度であった。

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