第71話 赤い友人


ペニケースをどうするべきか。


カートから見れば無駄な出費だったように思えるが、金を支払った当の本人が満足していればそこは問題無い。


ただし、同行している間“それ”をはめるかどうかはまた別の問題なのだ。


この議論にはいささか時間がかかりそうなので後回しにして革細工師の店を離れた。


「関所付近で時間を潰せるとなると

 この街くらいなんだが…

 ヘルスメンはここにいないのか?」



いた。


裏路地に並ぶ娼館、その一つ“ぬちょちょぱぁく”の隣に打ち捨てられた赤いボロキレ。


その中にはぐったりと横たわるヘルスメンの姿があった。


不健康極まりない顔色で気の抜けた風船のように干からびている。


「おい!ヘルスメン!大丈夫か!!」


「何があった…?」


カートとフェラクリウスが彼を抱き起し、事情を聴く。


ヘルスメンはからからに乾いた唇をかろうじて動かし、喉から漏れる音を無理矢理“声”にした。


「飯を…」




「食事も忘れて夢中になっちゃってな。

 というのもね、お金をさ。

 頑張りすぎて風俗で全部使っちまったんだ。

 レハンなんて久々に寄ったもんだからさ、

 お姉ちゃんも張り切っちゃって。

 延長延長繰り返してこのザマよ。

 笑っちゃうよな。笑ってくれよ」


二人から食事を恵んでもらったヘルスメンはあっという間に全快してべらべらしゃべり始めた。


“ぬちょちょぱぁく”の“ぬちょちょオプション”が良すぎて物品も荷馬も、服とパイプ以外全ての荷物を売り払ってしまったらしい。


商品まで失ってはもう商人ですらない。カートは呆れてかける言葉もなかった。


風俗に狂って死にかけた知人の事など別に面白くもなんともないので、笑わない。


「まぁた手柄を上げたんだって?」


こちらの反応をまるで気に留めず、ヘルスメンがフェラクリウスを指して笑う。


「…誰も救えちゃいない。

 だが、これ以上被害者が増えることは無いだろう」


口数少なく答える。


それを聞いたヘルスメンはやはりご機嫌な様子だった。




悠々と食後の一服を始めるヘルスメンに、しびれを切らしたカートが本題を突き付ける。


「ヘルスメン、お前許可証は取れたのか?」


「当たり前じゃない。

 取れなきゃ取れないって言うもん俺」


先程からの浮ついた様子から想像はついたが、ヘルスメンは当然のように言ってのけた。


別れ際に「取れなかったらごめんね」と予防線を張っていたくせに。


結果が出てから饒舌じょうぜつになる、相変わらずのお調子者である。


だが、本当にアンに入国出来るのであればありがたい。


「…お前が役人と繋がってるなんて

 驚きだよ」


「役人たってピンキリだからねぇ。

 アンの国土はカートキリアの二十倍って話よ。

 七つの州があってそれぞれが国と呼べるくらいデカい。

 んで各地方の官吏(役人)がいるわけだから、

 その数だって単純に考えて内側カートキリアの二十倍って事よ」

「まぁ、現実はね。

 平地が多くて人が住みやすいカートキリアほど

 人口密度は多くないけどね」


「国土が二十倍でも国が七つ分なら役人は七倍なんじゃねえの」


悪態をついたものの、カートはアンの大きさに内心驚嘆していた。


考えてみればフェラクリウスもカートもこれから入る国の事を何も知らない。


いつも行く先々の事を調べないフェラクリウスはともかく、旅の初心者であるカートはもう少し勉強しておくべきだったと後悔した。


「人口が多ければ商人と役人の距離が近いのか?」


フェラクリウスの問いかけにヘルスメンは事も無げにさらりと答える。


「全然。俺が特別なだけ」


胡散臭い。


ヘルスメンはカートの冷たい視線に気付くと、なぜか嬉しそうなにやけ面を晒してぺらぺらと説明を始める。


「顧客はね。地方役人にもたーくさんいるんだけどさ。

 そんなありふれた連中の出す手形なんて

 オタクら二人に似つかわしくないでしょ?

 だから今回は、もっとスペシャルな御仁から

 直筆の許可証を頂いちゃいました」


「誰だ、それは」


「もうすぐ会えるよ」


答えになっていないぞと追及するも、ヘルスメンは相手の名を口にしようとはしなかった。


「向こうも会いたがってる」


それ以上の情報は得られなかった。




ヘルスメンに言われるがままついて行くと、一台の馬車が用意してあった。


二頭立て、屋根の無いワゴン型の四輪荷馬車で、みすぼらしい三人組が乗るにはもったいない大きさである。


「山を越えるよ、馬車で一週間。

 途中水飲み場あり、村や町は一切なし!

 食料は積んであるから、いつでも出られるよ」


ヘルスメンが調子を上げてこの先のプランを語っている間にカートが事情を察する。


もしやヘルスメンはこの準備に金を使い果たしたのではないか。


そう考えると先程までの態度が途端に申し訳なくなってくる。


「…ありがとう、ヘルスメン。

 すまなかった」


急にかしこまったカートを見て、ヘルスメンはパイプの煙をくゆらせながらへらへら笑った。


「おにーさん、勘違いしちゃってぇ。

 これは御仁からのお小遣いで用意したの」


…本当だろうか。


真偽はわからないが、フェラクリウスもぺこりと頭を下げた。


やめてよ、といった様子でヘルスメンは首を振り、二人に乗車を促す。


「さ、乗って頂戴。

 関所に行くよー!」


カートがさっと乗り込むも、フェラクリウスの足取りは重い。


「馬車は苦手だ…」


雪国出身のフェラクリウス。どうも乗り物全般に慣れていないらしい。


「旦那ならすぐ慣れるよ」


不安げな大男はヘルスメンに励まされしぶしぶ乗り込んだ。


馬車は街を出て関所へと向かう。


目の前には絶壁と言っても過言ではない巨大な岩山が城壁のように立ちふさがっている。


「ここから見える山は随分と険しいようだが、

 馬車が通れるような歩道が整備されているのか?」


揺れが不安なフェラクリウスはいつもより積極的に喋っていた。


「いや、フェラクリウス。

 それが全然険しくはないんだよ」


「おにーさん、知らないんだからいいじゃない。

 旦那には実物を見てびっくりしてもらいましょーよ」


その先を知るカートとヘルスメンは言葉に含みをもたせもったいぶった。

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