第66話 医療魔法
「俺は先に東の国境で準備しておくから、
お二方はゆっくり来なよ。
歩いて四、五日で着くはずだからさ」
そう言い残してヘルスメンは去って行った。…カートの馬に乗って。
もともと馬に乗れないフェラクリウスに合わせるため厩舎に預けるつもりではあったのだが、ちゃっかりしているというか抜け目のない男である。
フェラクリウスとカートは東の国境を目指した。
王都ネーブルを通過して街道を東へ向かう。
二人が王都を抜けてしばらくした後に、ダンテの声明が発表された。
王都はフェラクリウスの話題で持ち切りになり、彼の名は英雄として称賛された。
かつてフェラクリウスに救われた少女シオンもこの声明に歓喜したのだが、今回彼との再会はかなわなかった。
王都を離れて三日。
街道をひたすら東へ進み国境にも大分近づいてきた。
緑豊かな森が多い西から、うら寂れた感じの荒野へと周りの景色も随分変わってきている。
ふと、街道沿いにある一本の立て看板がカートの目に留まった。
「おい、フェラクリウス。あれを見てくれ」
「…ああ。見たぜ」
そうだった。カートはついうっかりしていた。
「あ、ああ…すまん。読めないんだったな」
カートキリアは識字率が高いので、つい文字が読める事が当たり前だと思ってしまう。
指差す先にある看板の内容をフェラクリウスに説明する。
「あれは診療所の看板なんだが、
ちょっと、興味深い事が書かれていてな。
『“医療魔法”であなたの怪我を癒します』って」
「医療魔法?」
カートは以前ダンテから聞いたことがあるのだが、フェラクリウスはひょっとしたら“魔法”という言葉自体初耳なのかもしれない。
自分も詳しくはないが、知っている範囲でざっくりとした説明をする。
西の国に伝わる技術で、自然界のエネルギーを別の力に変換して奇跡を起こすとかなんとか。
この目で見たわけではないので、詳細はわからないのだが。
「もしかしたら、老師の力の源も
この“魔法”って技術なんじゃないかと考えてるんだ」
「成る程、興味深いな。
寄っていくか」
流石、フェラクリウスは決断が早い。
看板にある事が本当だとしたら、“魔法”というものを直接この目で見られるかもしれない。
「その左腕も早く治るに越したことはないもんな。
ああ、でもヘルスメンが
東で治療出来る人間を
紹介してくれるんだっけ?」
「そうだったな。ではやめておくか」
話が早いのはいいのだが、あまりにも短絡的すぎて何も考えていないのではないかと勘繰ってしまう。
「いやいや、いいんじゃないか。
本当に許可証が取れるかもわからねえし、
保険代わりに診てもらうのはアリだろ。
真偽の確認に行ってみようぜ」
「よし、そうしよう」
…流石、フェラクリウスは決断が早い。
看板の導く先には古臭い民家が一軒。
朽ちた廃屋に無断で住み着いたのではないかと思える程荒れ果てていた。
ここが診療所?
ごめんください、と声をかけると中で人の気配がした。
しばらく待つと、玄関に一人の老婆が姿を現した。
「はい、お客さんでしょうか」
身長130センチほどの小柄な老人。
咄嗟に老師を思い出し、少し背筋が冷えた。
いや、待てよ。カートは即座に横の男の下半身に目をやった。
老婆という事は、女性…フェラクリウスの“タッチャマン”が…。
“タッテナイ”!!
彼自身、何事も無いように泰然としている。
どういう事だ?全年齢の女性が対象ってわけではないのか?
「どうされましたかな?」
老婆に尋ねられ、カートは我に返った。
「ああ、あの、街道沿いに出ていた看板見て来たんだけど…」
老婆はすぐに返答せず、ジロリと二人を舐めまわすように観察した。
しかも、フェラクリウスの折れた左腕で視線を留め、実際に口の周りを舐め回した。
その様子にカートは若干の不快感を覚えたが、お年寄りだし田舎だし、あまり気にする程でもないかと考え見過ごした。
「ああ、怪我の治療ですな。
どうぞ、中にお入りください」
老婆はにっこりと笑顔を作ると二人を廃墟…もとい、診療所に招き入れた。
木造一階建ての診療所は実に古臭く、実際に臭かった。
玄関から入ってすぐの部屋は狭く、壁に沿って椅子が四脚並んでいる。
待合室になっているのだろう。奥に一つ扉があり、おそらく施術室と思われる。
この刺激臭は薬品の匂いだろうか。まぁ、ここで医療が行われるのであれば当然の事なのだが…診療所だという事を考えるとやはり清潔感に問題がある。
「古い建物だな。
いつからここで?」
フェラクリウスが老婆に尋ねる。どストレートに失礼なことを聞いているのだが、悪気はなさそうだ。
「いやいや、ここ数年ですじゃ。
ここは、住まなくなった家を譲ってもらって
改装したんですじゃ」
老婆は全く気を悪くした様子もなく朗らかに答える。
改装はしてないだろ、と口に出しそうになるカートだがこれ以上失礼な発言をするのは自重した。
「ばあさんは、カートキリアの人じゃないのか?」
「ええ、わしはエリクシルから来たんですじゃ」
やはり。
「カートキリアで“魔法”って言葉はあまり聞かないから、
どんなもんかと思って寄ってみたんだ」
椅子に腰かけ、カートが世間話がてら探りを入れてみる。
「ほっほっほ、魔法医療に興味がおありですかな?」
「魔法医療?
看板には“医療魔法”って書いてあったけど…」
反射的に口を滑らせた途端、部屋に緊張が張り詰めるのを感じた。
「…どっちでもいいじゃろ」
「え?」
一瞬、ギラリと鋭い目つきで睨んできた老婆の豹変ぶりにカートはたじろいだ。
だがカートが発言に困っている間に、老婆はすぐに取り繕うように笑顔に戻った。
「いや、失礼。
西では言葉の並びにこだわる者がいないのでな。
わしも気分で呼び方が前後することがあるんですじゃ。
これはもう、気質の違いですので気にせんでくだされ」
「いや、こちらこそ細かい事を突っ込んですまなかった。
カートキリアの人間がみんな神経質なわけじゃなくて、
俺がたまたま興味があって聞いてみただけなんだ」
違いを確認するために聞いたつもりだったのだが、揚げ足を取ったと思われても仕方ない。
こういう細かい指摘が相手の神経を逆なでする事はよくあるので、カートは反省こそすれど深く気に留めなかった。
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