第64話 西の国 エリクシル
「で、どうしたんだ?」
診療所を出てすぐに、フェラクリウスがカートに尋ねる。
「用があって来たんだろう?」
先程までは風俗だのタッチャマンだの馬鹿みたいな話の中心にいたおっさんなのに時折妙に鋭い。
…いや、誰でもわかるか。ギャップのせいで見くびりすぎただけかもしれない。
カートは向き直り、フェラクリウスの顔を見上げて言った。
「頼みがあって来たんだ」
「わかった、任せろ」
「えっ?」
「おっと、弟子にしろってのは無しだぜ」
知人とはいえ事情も聴かずに承るとは。全くどれだけお人よしなのか。
呆れ半分嬉し半分で笑みがこぼれた。
「弟子に、とは言わねえんだけどよ。
俺もあんたの旅に同行させてほしいんだ」
カートからの申し出にフェラクリウスはこれといった反応も見せず、いつもと何ら変わらぬ様子で答える。
「…ダンテの許可は取ったんだな」
「ああ、国王からこれを預かってきている」
カートは預かってきた書簡を取り出し、フェラクリウスに渡した。
小さいが高級そうな羊皮紙を広げ、うむとだけ唸った後にフェラクリウスはそれを突き返した。
「カート、お前読んでくれ」
「え、いや俺は…」
「字が読めねえんだ、俺は」
しかし突き返されたカートもそれを受け取る事は出来ない。
国王に絶対読むなと釘を刺されているのだ。
「キャシーに読んでもらうか…」
「だ、ダメだろ一応…!
国王からの書簡なんだからよ」
ラルシダから王都までは一日で着くので、直接会って話してもいいのではないか。
カートがそう提案するもフェラクリウスにそのつもりはないようだった。
「あいつも忙しいだろう。
気を遣わせるワケにもいかないからな」
「そうかな…。確かに多忙に違いないけど、
あんたが会いに行けば喜ぶと思うぜ」
もっと落ち着いた頃にゆっくり顔を見せるさ。
そう言ってフェラクリウスは書簡を自分の鞄にしまった。
「多分、波紋党討伐についての謝意とか、俺の事が書かれてるとは思うんだけど…」
自分で言いながら、カートは何か引っかかった。
その程度なら、別に俺が読んでも問題無さそうだが…。
いまいち腑に落ちない様子のカートだが、気にせずフェラクリウスは話を進める。
「まぁいい。上司の許可が下りてるなら
俺からどうこう言う権利は無い」
「自分のケツのアナルは自分で拭けるな?」
前にも聞いた言葉だった。
前は「自分のケツの穴は」だったのでちょっと悪化している気もするが。
「ああ、折れた左腕の代わりに…なれるかどうかはわかんねえけど
役に立ってみせるぜ!」
張り切るカートを見て、フェラクリウスもにやりと口元を綻ばせた。
「で、これからどこへ行くんだ?」
次の目的地をカートが問う。
「何も決めてねえ。
一か月風俗に行けねえんじゃあこの街にいてもしょうがねえしな」
さっき晴れやかな顔で未練を断ち切ったように見えたのに、まだ諦めきれてなかったのか。
「このまま街道を通って西の国にでも向かうか」
フェラクリウスの提案に、カートは微妙な反応を見せた。
「え、エリクシルか…?」
「どうした、不都合でもあるのか」
困惑するカートに、フェラクリウスが問いかける。
「いや、西と東には
一応、カートキリアの軍所属なもんでよ…」
カートキリア王国と、西に隣接する国エリクシル。
この二国は決して関係が良好とはいえない。
カートキリア王国は大陸の中央に位置し、他国からは“
この地はかつて“蛮族の地”と揶揄されていた。
内側に古くから住む民族は体が大きく、筋肉もつきやすい体質をしている。
ダンテやカートもその血を色濃く継いでおり、簡単に言うと腕っぷしの強い民族なのだ。
対してエリクシルに古くから住む民族は内側に比べて体が小さく、体力より知力を武器に発展してきた。
西の民は内側の民から幾度となく侵略を受けており、その度に略奪や虐殺などが行われている。
エリクシルが国境に巨大な壁を作り街道を遮断した事で完全に国交は断たれた。
ダンテが内側を平定した二十年前から、彼の紳士的な外交により関係は少しずつ改善しつつある。
交流も回復し、商人や一般人の行き来くらいは当たり前に行われるようになった。
それでも地域によって、特に国境付近の人々の中には今も内側の人間に対する憎しみが根強く残っている。
北からの旅人であるフェラクリウスならば許可が下りる可能性も十分あるのだが。
「軍人の俺が西の国境を越える許可はまず下りないだろう。
無理に越えたら大問題になるしな」
ふむ、とフェラクリウスは頭を掻いた。
「そうか。まぁ俺も
童貞を捨てられるならどこだっていい」
「だったら東にしなよ」
そう提案する声の主はカートではない。
背後から話に割って入ってきた人物は、上から下まで真っ赤な格好をしたあの奇人だった。
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