第62話 処志貫徹


国王から命を受けた翌日。


カートは早朝から馬を飛ばしてラルシダの街にやってきた。


フェラクリウスと別れてまだ一日。


旅を続けるとは言っていたが、馬に乗れないフェラクリウスはそう遠くまで行っていないはず。


それにあの風貌ナリだ。


身長2メートルの巨漢が折れた左腕をブラジャーで吊ってれば、いやおうでも印象に残る。


人に聞けばすぐに見つかるはず。




見つかった。


もしかして、と思った場所に案の定いた。


もう、聞き込みとか全然必要なかった。


風俗街にある娼館“処志貫徹しょしかんてつ”の前に。


営業前の扉を睨みつけたまま仁王立ちしていた。


「…こんなとこで何してんだおっさん」


「…カートか」


晴天の下、人気ひとけが無いとはいえ派手な外装の店が立ち並ぶ歓楽街だというのに、その表情は暗い。


フェラクリウスとこの娼館の間に何があったのか。


「風俗に行くべきか行くまいか…

 迷っていた」


なんとも情けない理由だった。


処志貫徹しょしかんてつ”なんていう思い切りのいい看板の前で、ものすごくスケールの小さい悩みを抱えて立っていた。


「…行けば?

 まだ開いてないと思うけど」


「そうだろう。

 そう言うと思った。

 だがな…」

「それだけは出来ない」


「はあ!?」


当然のように現れた会話の中の矛盾に、カートは困惑した。


今どうするべきか聞いてきたではないか。


「お前には話したことが無かったか。

 俺はな。初めては心の通じ合った相手と

 することに決めているんだ」


凄い、十代みたいな理想である。


まぁ…叶わないほどハードルの高い目標ではなさそうだが。


「結論出てるじゃねえか。

 じゃあ我慢しろよ」


「…ああ。そうだな」


そう言ったきり、フェラクリウスは黙って俯いてしまった。


自分の中でも結論は出ているというのに、まだ踏ん切りがつかない様子である。


全く動こうとする気配が無い。


カートは呆れて二の句が継げなかった。


本人にとっては深刻な問題なのかもしれないが、尊敬する人間のこんな姿は見たくない。


というか、普通に四十前のおじさんのこんな姿、尊敬してようがなかろうが見たくない。


「カート…俺はどうしたらいいと思う?」


「知らねえよ!抜いたらいいんじゃない!?」


カートはおじさんの性の悩みを親身になって聞けるほど人間的に成熟していない。


だが、経験者として友人に助言を送るくらいは出来る。


「そんなに興味があるなら一回入ってみりゃいいじゃねえか!

 何事も経験って言うだろ!

 入ってちょっと違うなと思ったら、手前でやめればいいんだよ!

 こんなまだやってもいねえ店の前でウジウジ悩んで、

 そ…アンタともあろう男がみっともねえじゃねえか!!」


語っているうちについ熱くなり、カートは言わなくていい事まで言いそうになった。


「…確かに。

 すまなかった。

 俺ともあろう男が、どうかしていた」


カートの熱意が伝わったのか、ようやくフェラクリウスは顔を上げた。


「やめとこう」


「なんでだよッ!!」


日中の風俗街にカートの怒声が響く。


「行くななんて一言も言ってねえんだよ!

 ウジウジすんなって言ったんだよ!

 行きたいんだろ?行けよ!

 今やってねえけど!」


カートからしたらフェラクリウスがどこで童貞を捨てようがどうでもいいことなのだが、助言の真逆を行かれた事でムキになってしまった。


そんなカートの様子とは対照的に、フェラクリウスは晴れやかな表情で天を見上げる。


「ここに来りゃあ、いつだって童貞を捨てられる。

 そう思うと、安心感で満たされ心が軽くなるんだ。

 だがいつでも捨てられるって事は、

 今じゃなくてもいいって事だろ。

 もう少し自分の理想を追求するために

 頑張ってみてもいいんじゃねえか。

 だって娼館は逃げねえんだからよ。

 なあカート。

 娼館ってのはただ在るだけで、

 童貞の心をも救っているんだな」


「知らねえよ。どうでもいいよ。

 くそっ、開いてもいねえ娼館の前で何やってんだ俺たちは…」


フェラクリウスの長々としたどうでもいい話を聞くうちに、ようやくカートは冷静になった。


しかし童貞の方はなおも憑き物が落ちたような綺麗な瞳で演説を続ける。


「いつか、誰かが言っていた。

 自分の思い描いた景色にこだわるようにと」


「それ、一昨日おととい老師が言ってたやつじゃねえか。

 やめてくれよ、あんな奴に影響受けるの」


流石に失言だと思ったのか、フェラクリウスは我に返りすまなかったと頭を下げた。


この、ちょっと残念なおじさんの事だから本気で老師に影響されているわけではなく、本当に覚えていなかったのだろう。


「そんなこたぁどうでもいいけどよ。

 左腕は大丈夫なのかよ」


「ああ、痛みはあるが、熱は引いた」


そう言ってフェラクリウスは自分の額に手を当てた。


「熱出てたのか…。

 医者はなんて?」


「医者には掛かってない」


「行けよ!そっちは行けよ。

 風俗行こうか悩む前にまず医者だろ!!」


なおも足取りの重いフェラクリウスを引きずるようにしてカートはラルシダの医者の元へ向かった。

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