第56話 捉えろ
フェラクリウスは膝をつき、折れた左腕を抱えてうずくまった。
やはりだめか。
いや、最初からわかっていた事だ。
周囲の盗賊たちから諦めの声が聞こえる。
「…もう終わりかの?」
老師の呼びかけにも答えない。
両膝をついたまま腕を組んでわなわなと震えている。
「…まぁ、そんなはずはないわの」
疑問を自己解決し、満足そうに笑う老師。
「小細工だろうがいくらでもするがよい。
何を企んでいようと構わんよ」
白い雲が太陽を覆い隠した。
「悔いのないようにおいで」
気力を振り絞るかのように立ち上がったフェラクリウスの顔面は汗でびっしょり濡れていた。
激しく運動していた先程よりもずっと疲弊している。
呼吸の度に肩が大きく上下した。
“痛みに耐える”という事はそれほどまでに体力を消耗するのだ。
それでも気持ちは萎えていない。
ふうふうと大きく息を乱しながらも老師を睨みつける眼差しは活きている。
その様子が老師を更に高揚させた。
フェラクリウスは剣術で言うところの「脇構え」のように武器を後方に引いて左半身で手元を隠した。
スタンスを大きく、重心を低くとる。
追いつめられた彼に取れる手段は限られている。
何かを仕掛けてくる事は老師もわかっていた。
フェラクリウスが“
緊張感のある時間が流れた。
「何を待っておる?
来ないのならこちらからいくぞ」
老師は空腹に耐えかねた野獣のような息遣いでフェラクリウスの方へ歩み寄ろうとした。
その一歩目、足を上げた瞬間。
フェラクリウスは動き出した。
左足で大きく踏み込む。
― 左の裏拳。
折れた肘をいじめるかのように軸にして、老師の顔面目掛けて水平に打ち込む。
手の平を緩く開いた“目打ち”。
破れかぶれの一手であろうが、老師の推測の域を出ていない。
この左はあくまで布石。
本命は武器を持った右の一撃。
折れた左腕を囮にする事はわかっていた。
他に使い道が無いのだから。
顔を狙った左手の意味も理解している。
命中させることは難しい、ならばせめて視界の大部分を左手で覆い続く攻撃の出所を隠せれば…といったところだろう。
老師はすかさず上半身を後方に傾け、攻撃がギリギリ届かない距離に身を引いた。
そう。老師の人並外れた動体視力をもってすれば容易に回避出来るのだ。
そんなことはフェラクリウスも承知の上だった。
老師の目にはフェラクリウスの打ち込みがスローモーションのように映っている。
次は右腕をへし折ってやろう。
そう考えていた老師は違和感に気付く。
目の前を通過する左手の中指に何かくくりつけてある。
(なんじゃ…あれは…?)
老師は気付いていなかった。
アレとはすなわち…!
(おりものパンティーじゃとおォォッ!?)
目に映ったのはパンティー
しかも丁度クロッチ部分に赤黒い血が染みついている。
生死を分けた攻防、極限の状況でこの場に存在するはずの無いレディースショーツが、老師の脳を混乱させた。
ゼロコンマ数秒の戦いの中でさえ高速のラッシュを正確に見切ることが出来る老師の尋常ならざる動体視力を逆に利用した一手であった。
フェラクリウスの裏拳は老師に命中しなかったが、目の前にパンティーをはためかせる事で“本命の一撃”の軌道を隠す事に成功する。
それでも老師は平常心を取り戻し、“本命の一撃”を受けようと身構えた。
掴める―!
老師がそう誤認するのも無理はない。
隠された軌道、気をそらす囮パンティー。
それら小細工を駆使しても、老師であれば敵の攻撃を見切り、掴む事が出来る。
本来であれば。
この読み違いを老師の“失態”と切り捨てるには酷である。
まさか、これほどの速さで武器を振る人間がいるなど誰が予測できたであろうか。
脳みそに興奮剤をぶち込んだような激痛によって筋肉を制御するリミッターが破壊されたのか。
それともパンティーを結び付けた事による意識の高揚によるものか。
フェラクリウスの、おそらく“地上最速”の豪打は想定した速度を遥かに上回るスピードで老師の右腕を打ち抜いた。
パンティーによる視覚の妨害。
赤黒いシミによる意識の阻害。
そして経験した事の無いスウィングスピード。
幾重もの要素が複合した事で、ようやく。
攻撃を掴もうとした老師の手の平をすり抜け右前腕部に直撃した。
遠かった。
何十もの攻撃を繰り出しようやくである。
その鬱憤を晴らすかの如き、魂の一撃。
テニスのフォアハンドストロークのように遠心力をたっぷり乗せたフルスウィングだった。
豪快な横薙ぎによる風圧は大気を切り裂き、旋風を起こし、木々を揺らした。
その一撃に込められたフェラクリウスの意思は「腕をへし折ってやろう」などという生ぬるいものではない。
「地平の果てまでかっ飛ばしてやる」という気概であった。
渾身の一撃は老師の右腕の肘から先を吹き飛ばした。
吹き飛んだ右腕は向かいの岸壁にぶつかり、弾けるような音とともに血痕をまき散らし奈落の底へと消えていった。
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