第54話 傀物


老師が一歩、足を踏み出した。


この戦いで初めて老師の方から間合いを詰めてきた。


フェラクリウスは咄嗟に一歩下がる。


いつも脱力したように両腕を下げて構えるフェラクリウスがガードを上げた。


右足を半歩引き、武器を持つ右手を隠すように後方に下げる。


左手は少し上げて前方に緩く伸ばす。


丁度老師の顔ぐらいの高さだ。


この左手は盾、もしくはパリング・ダガーのように相手の攻撃をいなすために使うつもりだろう。


老師が攻め気を出したところでスタイルを変え、反撃を狙うようにシフトチェンジしたのだ。


…いや、それだけではないのかもしれない。


老師への怒りに燃え、全身全霊を込めた攻撃を打ち込んでいったはずのフェラクリウス。


そんな彼の熱を冷まし、退しりぞける程の圧力が老師にはあった。


「ゆくぞ」


そう口にするや否や、老師はフェラクリウスの突き出した左腕目掛けてハイキックを繰り出してきた。


フェラクリウスは咄嗟に左手を引っ込め、更に半歩間合いを取るため後退した。


受けて崩すことは適わなかった。


凄まじい“キレ”とスピードに、避けるのが精いっぱいだったのだ。


驚く間もなく老師は跳び上がり、後ろ回し蹴りを放つ。


今度はフェラクリウスの顔面に向かって飛んできた。


のけぞって回避。


顔面スレスレを通過する高速の蹴撃が、眼球にまで風圧を伝える。


空振りだが威力は理解出来た。


直撃すれば頭部が吹っ飛んでいてもおかしくない。


避ける事は出来たが、一瞬で懐に入り込まれた。


そのうえギリギリで回避した事で体勢が崩されている。


フェラクリウスは一度大きく距離を取り体勢を整える。


老師の蹴りはスピードこそあるが、モーションは大きい。


反撃に備え相手の動きに呼吸を合わせる。


老人のものとは思えない軽やかなステップで距離を詰め、老師は中段蹴りを繰り出してきた。


(―ここだ!!)


フェラクリウスは待っていたと言わんばかりに老師のミドルにカウンターを合わせる。


軸足に力を込め、右手を振り抜いた―。


つもりだった。


最も力の入るインパクトタイミングで完璧に捉えたはずだというのに、老師の右足と接触した地点でぴたりと止められていた。


振り抜こうにもびくともしない。


肉なら潰れるはず。


骨なら砕けるはず。


なのに、フェラクリウスの右手には硬く分厚い衝撃吸収素材を叩いたような未知の感触が伝わっていた。


ありえない事が起きている。


見たところ老師の体重は四十キロにも満たない。


どんな重りを纏っていたとしてもフェラクリウスのフルスイングを受けて吹き飛ばないはずがない。


むう、という老師の唸り声を聞いて、フェラクリウスはパッと飛びのいた。


老師の攻撃範囲から外れ、自分有利の間合いに戻す。


「甘いの。ちぐはぐな男じゃ。

 人外の力を持ちながら

 人間の枠を外れようとしていない」


老師が諭すように語り掛けてくる。


「扉は開いているのに

 檻から出ようとしない」


老師が一歩、間合いを詰める。


それに反応してフェラクリウスは即座に後退し間合いを維持した。


「ならば何故力を求めた?

 お主その力、どうやって手にした?」


問い掛けにフェラクリウスは迷いなく答える。


「“性”への執着だ」


「…わしとは真逆じゃな」


老師が上半身をゆっくりと前方に倒す。


猫背になった老師の背丈は更に小さく見える。


低い位置からしゃくりあげるように見上げる両目に開いた二つの洞はより一層深く、黄泉へと通ずる入り口のようだった。


「“生”に執着していては外には出られんよ。

 人を辞める覚悟が無いのなら全てわしに任せるといい」


溢れだす邪気を背負い、老師が微笑む。


「わしの色に染めてやろう」


勝負から目を離すまいと凝視していたカートは気付いてしまった。


フェラクリウスの右足のかかとがぴくりと動くのを。


先程の後退は、老師の前進に対して間合いを維持するためだろう。


だが今のは違う。


老師は一歩も動いていないのに下がろうとしていた。


そしてこらえたのだ。


フェラクリウスは老師を睨みつけ、武器を力強く握りしめた。


恐れている。


これまで圧倒的な力をカートに見せつけてきた、フェラクリウスですら。


それでも命を懸けて立ち向かおうとしている。


絶対に引けない時。それが今。


この勇敢な男は拳を握り、自らを奮い立たせて戦おうとしているのだ。

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