第52話 邪悪の化身


ジョゼがフェラクリウスと向き合う。


少年の手には刃のくたびれた剣が握られている。


対するフェラクリウスは武器を持たず、素手で迎え撃つ。


「やああああああっ!!」


武器を振り上げ、ジョゼがフェラクリウスに斬りかかる。


フェラクリウスは軽く体を傾けただけでそれをかわした。


相手にならないな。


カートはフェラクリウスの勝利を確信した。


ジョゼと呼ばれた少年はでかいだけで武術の心得を一切持っていない。


ただの、農民の、ガキだ。


そのうえ目の前の相手よりも背後の老師に怯えている。


殺し合いの相手すら見えていない。


(外からだとよくわかるもんだな…。

 戦う前から負けてるってのはこういう事かよ)


状況は違えど、カートは昨日の自分自身を見ているようだった。


フェラクリウスの事は心配ない。


まずいのは追いつめられたこの少年の心だ。


一秒でも早く老師の元から逃がしてやらないといけない。


ジョゼがむやみやたらに振り回す剣をフェラクリウスは素手で容易く払い落とす。


それから相手の左襟と右袖を掴み、腕力だけでぐいっと引っ張って地面に転がした。


相手が姿勢を崩すと同時に両手を離したため、ジョゼは湿った土の上をゴロゴロと転がり泥だらけになってぐったりと倒れこんだ。


ほんの数秒の出来事だった。


フェラクリウスはパンパンと手を払い、岩の上に鎮座し高みの見物を決め込んでいた老師の方へ向き直った。


「これでいいだろう」


次はお前の番だ。


フェラクリウスの瞳はそう語っていた。


だがすっかり熱くなった彼の闘志に水を差すように老師は優しい微笑みを浮かべて問い掛ける。


「どうした?まだ息があるぞ」


「命まで取る気は無い」


「お主ではない。

 ジョゼに言ったのだ」


戦意を失って倒れこむジョゼの身体がびくっと反応した。


「家族を諦めるのか?

 命ある限り立ち向かうくらいの気概は

 見せてくれんとな」


「よせ。結果は同じ事だ」


ジョゼに掛けられた言葉に対してフェラクリウスが老師に返答する。


それを無視して老師は続けた。


「諦めるならそれでよい。

 ラエルの村が無くなるまでよ」


「もう勝負はついた!!」


とうとうフェラクリウスが怒声を上げた。


それでも老師はフェラクリウスの声など聞こえていないようにジョゼを追い込み続ける。


「ほれ、故郷が滅ぶぞ。

 それとも、自分さえ生き残れば満足かの?」


「うわああああああああっ!!」


勢いよく立ち上がったジョゼは涙を流しながら鬼気迫る表情でフェラクリウスへと向かってきた。


武器も持たず、手段もない。


ただがむしゃらに掴みかかるだけの体当たり。


完全にパニックに陥っていた。


フェラクリウスはジョゼの突進をひらりとかわすと背後を取り、首に腕を回して裸締めを掛ける。


「何も心配はいらない」


ジョゼの耳元でフェラクリウスが囁く。


「老師は俺が…

 必ず倒す…!」


そう告げるとフェラクリウスはグッと力を入れてジョゼの意識を落とした。


気を失ったジョゼは、まるで悪夢から解放されたかのように安らかな表情に見える。


カートが駆け寄ってきてジョゼを抱え上げると、戦闘に巻き込まれない場所へと運んで寝かせた。


「ほっほっほ」


決着の様子を見ていた老師は朗らかに笑った。


その笑顔はまるで愛孫あいそんを見守る好々爺こうこうやのようである。


だがこの老人の実態は悪意が人の形を成したような邪悪の化身であった。


「反吐が出るぜ…ジジイ…ッ!」


カートはハラワタが煮えくり返るあまり震える声で吐き捨てた。


怒りが恐怖を上回っている。


が、今にも斬りかかってやりたい気持ちをかみ殺してぐっとこらえる。


老師から目をそらさぬまま、フェラクリウスはカートを左手で制した。


「こいつは俺がやる」


「…わかってるさ。

 俺じゃ敵わねえって事はよ。

 わりぃけどアンタに任せるぜ」


邪魔にならないように一歩下がり、カートはフェラクリウスの背中に声をかける。


「…死ぬなよ、おっさん」


「童貞のまま死ねるかよ」


情けないようで頼もしい言葉だった。


そんな二人の様子を見ながら老師は再び朗らかな笑顔を浮かべ声を出して笑った。


「ほっほっほ」


「…今の戦いに何の意味があったというんだ」


フェラクリウスの問いかけに老師は白いあごひげをゆっくりと撫でながら答える。


「余興じゃよ。

 現にお主たちは今…

 はち切れんばかりに滾っておる」


「老師…」


小さな声で、しかし力強くフェラクリウスは呟いた。


「許さん」


鋭い眼光で老師を捉えたまま、フェラクリウスはついに得物を抜いた。カートが“それ”を見るのは初めてだった。


(ちんちんじゃねーか…!!)


フェラクリウスの右手に握られたのは男の根にそっくりな鋼の棒。


なんで今、ちんちんを抜く?


頭の中は疑問でいっぱいだが、カートは何も言わなかった。


ふざけているわけではない。こんな状況でふざけるわけがない。


今はフェラクリウスを信じる。


ちんちんは後回しだ。


「やっちまえ!フェラクリウス!!」


背中越しだが、フェラクリウスが声援に応えるのがわかった。

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