第51話 暗黒


白髪の小さな老人は岩から降りると薄ら笑いを浮かべてゆっくりこちらに近づいてきた。


ひたり、ひたりと。


湿った絨毯の上を歩いてくる。


それは130㎝ほどの背の低い老人だった。


姿勢がいいことに間違いはない。


だが枯れ枝のように痩せた細い腕。


強いわけが無い。


身長、体重、筋肉の量。


周囲にいる男たちの誰にも劣る。


ドーピング程度でその差が覆るはずがない。


だがカートは肌で感じ取ってしまった。


この老人に関わってはいけない。


今まで築き上げてきたものすべてを、あるいは人生をも。


蝕まれ、破壊されるような不吉を孕んだ存在感を背後に纏っていた。


「オンファロスからの間者は

 これで何人目かの」


一歩、一歩と近づきながら、老師は口を開いた。


こちらの素性は見透かされている。


「英傑王はまだ動かぬか。

 まったくインポテンツではないかと

 勘ぐってしまうの」


高いような、低いような妖しい声でゆっくりと吐き出される言葉にカートは再び悪寒を感じた。


血管に冷水を注がれるかのように内側から冷えていく。


「この者たちの首を街道に晒せば

 反応するかの」


老師がフェラクリウスの目の前に立つ。


身長差は70㎝以上。


まるで天気を伺うかの如くフェラクリウスを見上げる。


一滴の墨を垂らしたような黒一色の小さな目。


白目の無い漆黒が、垂れたまぶたの奥から覗いていた。


フェラクリウスは老師と対面し真っ直ぐに視線を合わせる。


その老人は、人間と向き合って感じた事の無い邪悪なオーラをその影から滲ませていた。


「老師。大人しく縄につけば

 ダンテに会わせよう」


まずはフェラクリウスが降伏を勧告する。


老師は当然のように一笑に付した。


「それでは気持ちよくない。

 向こうから出向いてくれなくては

 完全には重なれぬ」


…何を言ってるんだ?


一国の王がたかだか盗賊一人に会うためにわざわざ出向するなど、よほどの事でもない限りありえない。


そんな「理外」を通す事が老師の目的?


困惑の表情を浮かべるカートに、老師はねっとりと微笑みかける。


「強者は思い描いた景色にこだわるものよ。

 己の生きる世界を思い通りにすることが

 周囲に力を示す事になる」


理解に苦しむ言葉が不気味さに拍車をかける。


「それにわしを縛れる縄など

 この世界には存在しない」


「降伏を受け入れないなら

 縛れるようになるまで弱らせる」


フェラクリウスが老師を睨みつける。


凄まじい迫力だ。


仲間であるカートがたじろぐ程に。


口調は普段と変わりないが、その表情からは強い怒りを感じる。


流石の老師も圧倒されるかと思いきや、「ほうほう」と感心したように笑みを浮かべた。


「おぬしもよいの。

 なかなかよい」


老師はこちらに意図が伝わらない不可解な発言を続けた。


「二百と十くらいかの?」


フェラクリウスの背丈を見立てると、老師は周囲を取り巻く盗賊たちの方へ振り返った。


「確かアジトにおったの。

 ええと、ホセだったかな。

 いや、ジョゼ!ジョゼはおるか!?」


森の奥から大きな返事が聞こえたかと思うと、人混みをかき分けて一人の青年が現れた。


…いや、青年ではない。


焼けてはいるがみずみずしい肌。


引き締まっているが厚みのない上半身。


怯えた表情の中に残る幼さ。


二メートル近い高身長ではあるが、こいつはまだ子供であろう。


心配になるくらい青ざめ、憔悴しきった顔をしている。


どれほどのストレスに晒されているかは想像に難くない。


「この小僧の背丈が二百弱。

 ちと足らんがこれよりでかい者は

 うちにはおらんで堪忍してほしい」


「何を始めるつもりだ?」


カートが尋ねる。


「この子と一対一で決闘してもらう。

 そっちのでかいのが勝てば次はわしが戦ってやろう」


勝手な事をほざく。


老師のペースに付き合う必要はない。


そんな回りくどいことをしなくても今すぐ殴りかかってもいいのだから。


…だが。


戦意を保つのに精一杯のカートにそこまでの気力はなかった。


先程から身体の反応が鈍い。


フェラクリウスも動くつもりはないようだ。


体がでかいとはいえ子供を相手に闘うのは不本意なはず。


彼にとっての敵は老師ただ一人なのだから。


だが動かない。


老師はジョゼと呼ばれた少年の方に近づいていくと人差し指でちょいちょいと合図をしてしゃがませた。


それからジョゼの耳元に顔を寄せ、こちらにも聞こえる程度の声で優しく語り掛けた。


「ジョセ。あの男を殺す事が出来たら

 お主は自由じゃ」


それを聞いたジョゼの顔からみるみる血の気が失せていった。


更に老師は変わらぬトーンでこう付け加える。


「だが負けたら。

 ラエルの村だったの、お主の故郷は。

 そこに住むお主の家族を皆殺しにする」


ジョゼの顔色が白を通り越して青ざめていく。


ぶるぶると全身が震えている。


「お願いします…母だけは…」


乾いた唇を震わせ、かすれたような声で懇願する少年。


それに応えるように、老師は微笑んだ。


「嫌なら逃げてもよいぞ」


「やります!!」


これが老師のやり方だった。


暴力と恐怖による支配。


ヘルスメンの推察通り、ジョゼはこれまで殺人に手を染めたことは無い。


波紋党に連れて来られてからも、最後の一線だけは守り抜こうと努めてきた。


いつか村に戻るために。元の暮らしに戻るために。母の元に戻るために。


だが、度重なるストレス。目の前で起こる惨状の数々。最愛の母の命。


精神状態が正常ではない彼にもはや老師に逆らうという選択肢は無かった。


この残酷な光景に、誰も口を出すものはいない。


盗賊たちの彼を恐れる目を見るに人面獣心の化け物であることは疑う余地も無かった。


カートも言葉を失っていた。


フェラクリウスは。


奥歯を噛み締めたまま老師を睨みつけていた。

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