第49話 拳を握れ


上流に向かって長い事歩いた先に、縄で結われたつり橋がかかっていた。


見るからに急造の、粗末なつくりだ。


川上に目を向けると、壊れた古い木造橋の橋脚きょうきゃくのみが急流に打たれ佇んでいた。


「ここは一人ずつ渡っていく」


ぎしぎしときしむ綱の上に、まずはビーディーが足を掛けた。


身軽な者なら飛び越える事も出来そうな距離を、時間をかけて慎重に渡っていく。


続き、体重百キロを超えるフェラクリウスが二番手で渡る。


ビーディーに刃物は持たせていないが、万に一つも橋を落とされないようカートは警戒していた。


…のだが、不安は杞憂に終わった。


無事三人とも渡り切ったところで、フェラクリウスが渓流を指差す。


「あれは?」


視線の先、水面に突き出した岩に引っ掛かった茶色い布が揺らめいている。


注視するとそれは血が染みついたローブだった。


「…誰か殺られたんだろ」


ふいと視線をそらし、ビーディーは忌々しげに吐き捨てる。


それから進行方向をして続けた。


「上流の方が峡谷になっているのが見えるか?

 あの絶壁の上がアジトだ。

 おおかた老師が殺した人間を

 崖に投げ捨てたんだろうな」


「老師がやったのか?」


カートが聞き返す。


「老師が仲間を殺すところは何度も見てる。

 見せしめならまだマシさ。理由があるだけな。

 戯れに殺す事もある。

 明日は我が身だ」


カートは後ろを行くフェラクリウスが鼻をひくひく動かしているのが気になった。


真似して周囲の匂いを探るも、深緑の香りに掻き消されて何もわからなかった。




更に奥へと進んだ先で、ビーディーが足を止める。


「案内出来るのはここまでだ。

 道に沿って進めば老師の元につく」


獣道はいつしか開け、歩きやすい一本の登山道になっていた。


「仲間たちもお互いの顔を把握してない。

 急激に増やしてるからな。

 堂々としてりゃあバレないかもしれないが…

 アンタのナリじゃあそれもわからん。

 揉めそうになったら旗を見せろ」


「わかった」


フェラクリウスはヘルスメンから受け取った波紋党の旗を取り出しやすいよう懐に入れた。


「俺は戻るぜ。

 案内したのがバレたら殺されるからな」


「ああ、それでいい」


フェラクリウスはビーディーの肩をがっしり掴み、真っ直ぐに彼の目を見据えて告げた。


「協力に感謝する。

 お前は勇敢な男だ」


フェラクリウスの熱いまなざしを受けグッとこみ上げる感情に、ビーディーは言葉を詰まらせた。


「俺だって…気持ちは

 アンタを応援してる…!

 だが老師は…」


そこまで言って、男は続く苦い言葉を飲み込んだ。


ゆっくりと、懇願するようにフェラクリウスを見上げる。


「頼んだぜ。

 どのみち老師の支配が続けば

 俺たちに未来はねえ」


「任せろ」


フェラクリウスは力強く答えると、去っていくビーディーの背中が見えなくなるのを確認して老師の元へ向かった。




なだらかな坂道を登っていく。


遥か崖下からは急流が岸壁を叩く音が聞こえている。


神経を研ぎ澄まして周囲を伺っていると、カートは不快な匂いが漂ってくる事に気付いた。


血の匂いだ。


…この先に老師がいる。


心臓が高鳴る。


俺はビビってんのか?


無理を言って同行したってのに、なんてザマだ。


疲労も重なり、進む足の動きが鈍る。


前を歩くフェラクリウスと少しずつ距離が離れていく。


気付いたフェラクリウスが振り返り、立ち止まった。


「カート。

 恐怖を感じる事は恥ずべき事じゃねえ。

 得体の知れないモンと対峙するときは誰だって一緒だ。

 恐怖に飲まれて動けなくなる事もある」


カートの心の内を見透かしているかのように、フェラクリウスは彼に言葉をかけた。


「だが、絶対に引けない時もある。

 自らの力で立ち向かわなくてはならない、

 そんなときは」


フェラクリウスはカートの目の前にげんこつを突き出した。


「拳を握れ。

 闘志が湧いてくる」


「……!」


言われた通りに震える右手を握りこむ。


全身に力が入り、不思議と不安が和らいだ気がする。


伏せていた顔を上げる。


グラついていた気持ちが体の軸に乗り、どっしりと落ち着いたように感じた。


カートは迷いを振り払い前を向く。


「ありがとう、もう大丈夫だ」


突き出された拳に自身の拳を合わせる。


フェラクリウスの拳は固く、熱かった。


「いくぞ」

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