第16話 刹那の交差


―ダンテには経験があった。


伊達に三英傑と数えられる存在になった訳ではない。


これまでに幾度も修羅場をくぐってきた。


無数の死闘を制して勇名を轟かせてきたのだ。


その経験が言っている。


このリーチの差は相手にとって致命的であると。


彼の推測は間違っていない。


経験は嘘をつかない。


だが一つ、彼の経験に穴があったとしたら。


彼は強くなりすぎた。


彼は勝ちすぎた。


彼は忘れてしまっていたのだ。


勝ち続けるうちに。


彼は忘れてしまっていたのだ。


自分が散々相手に対してやってきたことを。


忘れてしまっていたのだ。


本当の強者は想定を容易く上回ってくるという事を。




ダンテは勝利を確信しもう一歩前進しようと右足を浮かせた。


フェラクリウスは当然同じだけ下がる。


―と、思いきや彼はダンテの踏み込みに合わせて上半身の重心を前側に傾けた。


前進のための予備動作である。


互いの踏み込むタイミングが同時であればそれだけアドバンテージを取れる時間は短くなる。


そんなことはダンテも想定済みである。


すかさずダンテはその場に踏みとどまり迎撃の態勢を取った。


しかし次の瞬間、ダンテは見た事の無い技術を目の当たりにした。


フェラクリウスの上体はそのまま前に倒れこんでしまうかのように深く沈んでいく。


重心を前傾に移動させ、前方に倒れこむ力を利用した加速によって左足で大地を蹴るより素早く一歩目を踏み出す。


古武術では“縮地法”と呼ばれるこの走行術を彼は性的好奇心と探求心によって独学で編み出していたのだ。


超短距離の縮地法。


踏み込みを限りなく素早く行う事によって対応までの時間を削る。


フェラクリウスはこの一歩目の加速に勝機を見出した。


(鋭い―!)


ダンテは想定外の踏み込みの速さに意表を突かれた。


この一瞬の出遅れにより彼の選択肢から


「反撃」と「回避」が奪われる。


もう「防御」しか間に合わない。


否、「防御」なら間に合うのである。


フェラクリウスが攻撃を当てるにはまだ半歩足りない。


ダンテは半歩分の時間的猶予を頼りに防御姿勢を取ろうとする。


だが、フェラクリウスの方は既に武器を打ち込むモーションの途中であった。



何故?攻撃はまだ届かないはずだ。


最初からフェラクリウスの狙いは急所ではない。


胴体よりも常に必ず前にある部位。


急所を守ろうと剣を立てる事で狙いやすくなる箇所。


空気の壁を押しのけて、凄まじい衝撃と共にフェラクリウスの鋭い打擲ちょうちゃくが“そこ”を直撃した。


金属板をハンマーで叩き潰すような痛烈な音が響く。


狙ったのは剣を持つ軸となる左手。


剣道で言う小手打ちに近い。


それも、手首ではなく手の甲を打ち抜いた。


ようやくこの武器の長所が活きた。


短くコンパクトなこの得物は狙った部位を正確に打ち抜く事に適している。


それがどんなに小さくても、素早く動く的だとしても。


分厚いガントレットを貫通して鋭い痛みが手背に突き刺さる。


防具など無意味。


フェラクリウスの剛腕から放たれるガード不能の一撃が炸裂した。


ダンテの表情が苦痛に歪む。


柄を握る指が一瞬硬直し、剣を落としそうになる。


右手に力を込めてなんとかそれを堪えた。


裏側を打たれたはずなのに、手の平が熱い。


折れたか。


だが怪我の状況を確認している場合ではない。


ダンテは既にこの勝負において致命傷を負っていた。


折れた左手でフェラクリウスの豪打を受けきる事は不可能だった。


フェラクリウスは音より疾く身をひるがえしダンテの持つ剣、その刀身に返しの一撃を加える。


巨体が目の前で素早く往復する事によって発生する風圧はまるで竜巻のようだった。


握りが甘くなっていた剣は容易く弾き飛ばされた。


陽の光を装飾が反射し、輝きながらくるくると宙を舞う王の剣。


美しい剣はガランガランと耳障りな音を立てて大地に打ち捨てられた。


時が止まったようだった。


戦いを見守っていた衛兵たちは一言も発さず、口をあんぐりと開けたまま硬直していた。


彼ら応援団には声援を送る暇も与えられなかった。


この場にいる誰も、このような結末は予測出来なかった。


そう。一方が武器を失った時点で既に勝敗は決まっている。


だがフェラクリウスは。


武器を構えたままダンテを睨みつけていた。


「次は急所に叩きこむ」。


そういわんばかりの闘気を放ちながらもそれをせず、相手の次の動きを待っていた。


「…俺の負けだ」


ダンテが両手を挙げて降参の意思を示す。


それを見てようやく、フェラクリウスは武器を下ろした。

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