第56話 病院へ
暗い中、そして雨の降る中俺は走り続け、柚希が入院していると伝えられた病院へとやってきた。
ひとまず正面入り口から中へと入る。
病院独特のにおいが鼻をかすめるが、気にしてなんかいられない。
ずぶ濡れの来訪者にぎょっとする人も多くいたが、周りには目もくれず、俺は総合案内と書かれたカウンターへ向かった。
「すみません、救急搬送された患者のお見舞いって、どこからいけばいいですか」
俺はカウンターの向こうで終業前のデスク周りの整理をしていたであろう中年の女性に尋ねた。
「基本的には初療、最初の治療ですね、これが終わるまでは直接会うことはできないようになってまして、あちらでお待ちいただく形にはなりますね」
そう言いながら、女性は俺の左手にある待合スペースのような場所を手で示した。
落ち着いた緑色のベンチがいくつか並んでいるその場所は、心なしか電機がうす暗く、重々しい雰囲気をまとっていた。
「ありがとうございます」
「あ、あの、びしょぬれですけど大丈夫ですか?」
心配する声を背中に受けるも、俺は振り返ることもなく、一番手前のベンチへ腰かけようと、そちらへ向かう。
腰を下ろすと、それまで一切感じていなかった疲労が一気に押し寄せてきた。
「ふぅ───」
俺は長い息を吐いて、天井を見上げる。
無機質な色をしたそれは、こちらを否定も肯定もせずに見つめている。
それこそ、俺のことなど気にしていないという感じで。
柚希はなぜ、自宅から飛び降りるなんてことをするに至ったのか。
やっぱり原因は俺にあるのかもしれない。
もしこのまま、柚希が…
頭の中で、そこまで言葉が出てきて、続きは出てこなかった。
怖かったから。
柚希がいなくなることも怖かった。
それでもやっぱり、考えることそれ自体が怖かった。
そんなのは、自己防衛を理由にして考えないようにしているだけ。
結局俺は、弱っちい人間だ。
そんな俺が、柚希を好きだなんて、堂々と言えるわけもない。
この気持ちは、俺の中で大切にしまっておくべきなんだ。きっと。ずっと。
「はぁ───」
こんどは天井ではなく、床を見ながら息を吐く。
自分の足が視界に入って、ジンジンと痛むことに気が付いた。
傷を見てしまうと、余計に痛くなってきそうだったので、今は放っておくことにする。
不安、恐怖、そして心身の痛み。
入り乱れ、織り交ざる感情に顔をしかめる。
俺はまっすぐ前を見た。
そこには、”初療室3”と書かれたドアがあった。
中からは何も聞こえないので、どうなっているかわからない。
そもそも、柚希は別の部屋にいるのかもしれない。
そんなことを考えると、無性に落ち着かなくなってきて、俺は思わず立ち上がった。
とその時─
「広哉!」
母親の次に聞き慣れているであろう、その声。
もしかしたら父親よりも聞いている声かもしれない。
特に最近は。
だからなのかもしれない。
そう俺のことを呼ぶ声を聞いて、とても安心したのは。
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