5話 短刀

 三ヶ月前、祖父が入院した。階段から転げ落ちた拍子に右ひざを複雑骨折してしまったのだ。若い頃から痛めていた左足をかばってのことだったようだ。


 祖父はそのまま入院した。

 周囲が再びざわつき始めたのはその頃からだ。


 いつも誰かに見られている気配、誰かに付けられている感じ・・・。

 今から思えば私の行く先々で真田さなださんの姿を見かけたのも、きっと私の身を案じて警戒していてくれたのかもしれない。


 そんな中、出会った例のキャンプ場での山崎やまざきと名乗る男。私が思うに、きっとあれは私を追って来たに違いない。


 なぜあの日私があのキャンプ場に居ることを彼が知っていたのか? それは恐らくだが謎は解けている。


 あの日の朝、待ち合わせ場所を偶然通り掛かった優子ゆうこに、私たちは湯ノ瀬村ゆのせむらキャンプ場に行く事を告げた。それをすかさずインスタにアップした彼女、ご丁寧に私と凛花のインスタでのタグまで付けて。きっと彼はそれをSNSで知って追いかけて来たのだろう。私が例の短刀をいつも持ち歩いていることをどこかで知り、それを奪い返すために。


***


 ここまで話すと凛花りんかは大きなため息をついた。


「なるほどな。れいにも色々あったんだな」


 珍しくシリアスな表情で頷いた彼女は少しだけ眉をひそめた。


「で、その短刀って今も持ってるのかよ」


 そう言って私を見つめる。


「ええ、バッグの中に。いつでもね」


 私はソレをいつも持ち歩いている。もちろん、キャンプ場にも持って行ったし、例の瀬下せしもの事件の際、彼のアパートに上がり込んだのもコレを持っていたからだ。『イザとなればこっちには短刀がある』無防備に容疑者である彼のアパートに単身乗り込んだのもそんな慢心からだ。


 私が一連のできごとを思い起こしていると、それまで真剣な顔で聞いていた凛花の顔が急にニヤケたものになる。それはまるで何か良いイタズラを思いついた子供のようだ。


「でよ、玲。その短刀とやら、オレにも見せてくれねーか?」

「えっ? 見せるって・・・ここで?」

「なっ! ちょっとだけ!」

「だ、ダメよ! ダメに決まってるでしょ! バレたらどうなるか解ってるの!?」

「いいじゃんか、なっ! 先っちょだけ!」

「もう! ダメったらダメ! 絶対にダメ!」

「ケチ臭えなあ。じゃあよ、包みの上からで良いから触らせてくんね? どうで何かに入れてあるんだろ?」


 まあ確かに布製の袋に入れてはあるが・・・イヤイヤ、そう言う問題じゃない。


「なっ? そんな話聞いて、このオレがそのまま『ああ、そうだったのか』で済むと思うか? それに同じ秘密を共有し合うのが親友ってもんだぜ」


 こうなったら彼女はでも引かない。ここぞと決めた時に見せる強情なところは私以上なのだ。


「・・・わかったわよ・・・。ホントに触るだけよ、触るだけ」

「おう! そう来なくっちゃ!」


 凛花の押しに、周囲を見渡す私。誰も近くにいないことを確認するとそっとバッグに手を入れる。幸い、教室に残っている生徒はごくわずか。それもみんな教室の隅に固まって学園祭の準備でこちらに構っている余裕もなさそうだ。


 私は仕方ないと言った表情を隠すことなく、その包みを机の上に乗せる。

「すぐに仕舞うからね!」そう言う私の言葉を待たずに、待ってましたとばかりに凛花がソレを掴む。


「おお、これがその伝家の宝刀でんかのほうとうか!」


―――うーん、何か使い方違うけど。


「でもあれだな、意外と軽いんだな。もっとずっしりしているのかと思ったぜ」

「まあ、短刀と言っても果物ナイフを少し大きくした程度だからね」

「ふう~ん、これがそんなに価値あるものなんかね・・・」


 そう言いながら手の中でポンポンと上下させる凛花。


「まあ、他の人には何の価値もないただのナイフよ」

「その意味を知っている者にとっては重大な価値があると」

「ま、そんなトコね・・・。ね、もういいでしょ。返して」


 私は凛花が握っているソレに手を伸ばす。


「な、玲。チラッとでいいから中を見ても良いか?」

「なっ! ダメに決まってんでしょ! もし誰かに見つかったら本気で捕まっちゃうわよ!」

銃刀法違反じゅうとうほういはんってヤツ?」

「そうよ! 冗談では済まないわ。さあ、返しなさいよ」


 そう言う私に、包みごと自分の頭の後ろに隠すように遠ざける凛花。


「じゃ、じゃあさ、トイレで見てくるから! だから少しだけ貸して!」

「ダメったらダメ! いくら凛花の頼みでもこれは聞けないわ!」


 しかし私の伸ばした右手を左手で振りほどくと彼女は続ける。


「いいじゃんか」

「ダメ! さあ、返して!」

「そっか・・・」


 そう言うと今度は口に左手を当てて、即席のハンドスピーカー代わりか拡声器よろしく、周りには聞こえない程度の声で言う。


「みなさーん! ここに銃刀法違反してる生徒がいまーす! 誰か逮捕してくださいーい!」

「ちょっ! 聞こえたらどうすんのよ! やめてよ!」


 私も声を潜めながらも強い口調で返す。


「大丈夫、聞こえてねえって! でも、もっと大きな声を出したらどうなるかな~!?」

「ちょっと凛花! いい加減にしなさいよ! 怒るわよ!」

「だからすぐ返すって!」


キーンコーンカーンコーン~♪


 ちょうどそこで午後からのチャイムが鳴って先生が入って来た。手を伸ばす私の手をかわすとさっと自らのバッグに仕舞しまう凛花。


「ちょっと・・・!!」


 辺りが急に静かになった教室で、私は極力声を抑えながら彼女の背中を突きながら言う。


「ちゃんと放課後までには返すからよ」

 前を向いたままそれに答える凛花。


『そこ! うるさいぞ!』

 すかさず先生がこちらを向いて一喝する。


「絶対よ! そのまま持って帰ったりしないでよね!」


 私はその背中に向かって小声で念を押す。


 こうやって好奇心でいっぱいになった彼女の熱意と圧に負け、私は一時的に「伝家の宝刀」を彼女に渡すハメになったのだった。

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