29話 雪乃の計画
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『ねえ、どう言うことなの? いったい飯島に何があったの?』
『ああ? だから見ての通りガケから落ちたんだろ。だいぶ酔っていたしな。それで頭を打った。気の毒なことだ』
『違う! 私が聞いているのはどうして彼が撮影なんかに出掛けたかってことよ』
『さあな。きっと満月がキレイでそれを撮影したくなったんじゃないか』
『だって・・・だって彼は若菜さんの部屋に行くようにって・・・』
『ああ、その話か。それは多分あれだよ、気が変ったんだろう』
『違う。だって彼女の部屋には音田さんが入って行ったのよ。飯島が部屋から出て来たのはその後よ。どうして音田さんが先に・・・』
『ああ、それか。実は音田のヤツ、どうしても若菜に夜這いを掛けるって言って聞かないからさ。俺も止めきれなかったんだよ』
『私が飯島に電話をした直後に? 測ったかのように?』
『ああ、タイミングってのは恐ろしいよなあ』
『ちょっと待ってよ。夜中の零時よ!? そんなタイミングの良いことって・・・』
『まあ、偶然そうなっちゃったってことだろうな。彼には可愛そうだったし、例の作戦も失敗した。雪乃ちゃんが落ち込むのも解るけど、な、元気出してよ』
『そうじゃなくて・・・。それになんで・・・なんで彼は倒れていたの? もしかしてガケから落ちたと言うのは・・・』
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ドライブレコーダーの録音はそこで途絶えていた。きっと太刀川邸に到着したのだろう。
私がドラレコでの会話を聞いたことを告げると、益々青ざめた表情になる雪乃さん。そんな彼女に右腕を若菜さんがポンッと叩く。
「しっかりしなよ雪乃!」
更に時間を開け、諦めにも似た表情をした彼女は、蚊の鳴くような声で少しずつ話し始めた。
***
「彼、女グセが悪かったの・・・」
「ええ、それは知ってるわ」若菜さんが相槌を打つ。
「でも男の人ってそう言うこともあるものよねって、見て見ぬ振りをして来たんだけどね」
「うん」
「そうこうしているうちに、彼のお父さんの意向もあって婚約が決まったの。まあ、浮気癖があるものの、子供の火遊び程度のモノだろうって私も甘く考えていたのね。優しかったし、なにより以前の失恋で自殺まで考えていた私を救ってくれたのは彼だったから。それで『完璧を求めてはいけない、お互い、多少の短所には目を瞑るものよね』って自分に言い聞かせていたんだけど・・・」
「うん」そう頷きながら若菜さんは優しい瞳で雪乃さんを見る。
「でも・・・でも段々彼の浮気と言うか女遊びがエスカレートして来て・・・。今回もそう。キャンプに行くにしても若菜さんを誘わないなら車は借りてやらないとか、バンガローも借りないぞとか、浅見さんに言ってたみたいなの」
そう言うと少しだけ恨めしそうに若菜さんを見る。
「そんな事が何度もあって、私はもう・・・もう彼とはやって行けないって・・・。でも婚約までしちゃった以上、ささいなことで破棄とかできないでしょ? ヘタに言い出したらこっちが慰謝料とか取られる、飯島はそれくらいやるヤツだって・・・これも浅見さんが言ってたんだけど・・・」
そう言うと寂しそうに目を伏せ、更に続ける。
「私はいっそのこと、いくらか慰謝料を払ってでも別れたいくらいだった。でも私が払う慰謝料でまた女遊びをするのかと思うと、どうにもガマンならなくて・・・」
そこまで言うと一旦言葉を切る。目にはうっすらと涙が浮かんでいる。私も凛花も何も言えずに俯いたまま次の会話を待つ。
「そこまで追い詰められていたのね・・・」
若菜さんが慈しむような目で雪乃さんを見る。
「そんな時、浅見さんが声を掛けてくれたの。雪乃ちゃんが悩むのはおかしいって。でも別れるにはヤツの浮気の証拠が必要だって言うの。それで二人で計画を立てて・・・。若菜には悪かったんだけど、夜に彼が若菜の部屋に行くように仕向けたの・・・」
「なるほどね。それがうまく行かなかったと」若菜さんも少しため息混じりにそれに応じる。
雪乃さんと浅見さんが立てた計画はこうだ。
まず昼間、具合が悪くなったことにして雪乃さんは一人、バンガローが一望できる管理棟のゲストルームに移る。それにより必然的に若菜さんは一人でバンガローに泊まることになる。
次に浅見さんと緊密に連携を取り、ゲストルームから見える飯島の部屋の情報を共有しながら、零時過ぎにその飯島に電話を掛ける。『私はもう眠るからお休みなさい』と。そしておそらくそのタイミングで浅見からも飯島に連絡が行っているはずだった。『若菜が一人で寂しがっているんじゃないか』などと吹聴する連絡が。その言葉に乗って夜中、若菜さんの部屋を出入りするところを、ゲストルームの窓越しに雪乃さんが撮影する。浮気の証拠とするために・・・。
雪乃さんには辛い計画だっただろう。でも、それで自分が浮気と言う苦痛から後腐れなく逃れられるならと浅見の計画に乗った。そしてその計画通り飯島は若菜さんの部屋に向かった。しかしそこには・・・。
「でも先客として音田さんが来ていた、ってことね」若菜さんが他人の事のように冷静に話す。
「ええ・・・そうなの、そこがおかしいの・・・あ、ゴメン・・・」
そう言って若菜の方を見るとまた俯いてしまう。
そう、あの日若菜さんはなかなか一人になる時間がなかった。
お風呂上から上がってから零時頃までは私たちの部屋にいたし、その後はすぐに音田さんがやって来た。雪乃さんの計画通りには行かなかった。いや、行かないような力が加わっていたのだ。
何度目かの沈黙の後、私は意を決して全てを話すべく口を開く。
「失礼ですが雪乃さん!」
そう言うと彼女がビクッっと姿勢を正す。
「雪乃さん、浅見さんに利用されてませんか?」
「えっ!?」
一瞬、驚いたような顔をする雪乃さん。しかしすぐにその表情を変えると、今度は少し怒ったような顔で私に向き直る。
「そんな事はないわ。彼はいつも私に優しくしてくれる。今回はたまたまうまく行かなかっただけで・・・。私のことをいつも心配してくれるのよ」
そう信じたい―――そんな雪乃さんの気持ちが伝わってくる。彼女にも「もしかしたら」と言う思いがないと言ったらウソになるのだろう。しかし私は構わずに続ける。
「それは違うと思います。今回、若菜さんの部屋に音田さんが訪れたのは浅見さんの差し金です。そしてあの丘の上に飯島さんを誘導したのも彼の作戦」
「そ、そんなわけないわ。彼は・・・彼は私とやり直してくれるって・・・」
オロオロとつい本音を漏らす雪乃さん。急な話の展開にかなり動揺しているようだ。
可愛そうだとは思いながら、私はなおも話を続ける。
「ではお聞きしますけど、雪乃さん、マスクなくしませんでしたか?」
「マスク・・・?」
「はい、一昨日の昼間、ずっと着けていた不織布の白いマスクです」
「マスク・・・そう言えば・・・」
具合が悪くなったフリをしてゲストルームに入った雪乃さん。それに付き添うように部屋まで来た浅見さん。その浅見さんがキャンプ場に戻ったあと、トイレに行こうとマスクを探したが見つからなかったと言う。
「どうせ使い捨てのマスクだからって気にしなかったんだけど・・・それが何か・・・?」
「はい、そのマスク、例の丘の上に落ちていたんです」
「丘の上?」
「はい、飯島さんが転落したあの丘の上にです。そこに紫色の口紅の付いたマスクが落ちていたんです」
「な、なんで・・・私、そんなとこ、行ってない・・・」
「しかもそのマスクは今、警察が持って行っています。これ、どう言う意味か解りますか?」
「え・・・そ、そんな・・・」
「それに警察は飯島さんのスマホも押収しています。雪乃さんからの着信履歴が何度も残っているスマホをです」
そう言って雪乃さんを見る。初めて聞く部分も多かっただろう若菜さんも驚いてこっちを見ている。
「いいですか雪乃さん。このままでは雪乃さんだけが疑われます」
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