(番外) インターミッション

※ 夏休みの図書室にて(川島玲)


 夏休みの図書室はまるでそこだけ時間が止まったかのような静寂に包まれていた。

 私は作業の手を止め、水筒に口を付けながら辺りを見渡す。朝、私がここに来てからすでに二時間近く経っているが、いまだに司書のかおるこ先生以外、誰とも遭遇していない。

 私は水筒の蓋を閉めると、再び原稿用紙に向かう。


 我が柳都学園では毎年九月の第一土・日に『柳都祭りゅうとさい』なる学園祭が開催される。そこに文芸部として文芸誌を出品するのが恒例となっているのだが、昨年は家庭の事情などで創作が間に合わず、私の小説がそれに載ることはなかった。

 しかし今年は全部員(とは言っても総勢3名)の作品を掲載すべく、私も日夜創作活動に励んでいるわけである。

 

 私の描くジャンルはミステリー。そしてその題材は、先月立て続けにこの学園で起こった事件をもとに、現実の事柄が特定されないようアレンジを加えて小説にする。そこまでは決まっているのだが・・・。


「ふぅ~・・・」


 私はため息を付きながらペンをクルクルと回す。

 今までにも何作か小説は描いてきた。しかし、それはあくまで自分の自己満足と、ごく身近な人のみに見てもらう想定で描いてきたものだ。

 でも今回は違う。私の友人の範囲を大きく超え、先輩や後輩、先生方、あるいは父兄や近所の方の目にも触れる。しかも営利目的ではないとは言え、わずかではあるがお金もいただく。私の小説を読むことで、その人たちの大切な時間も奪うことになる。そう考え出すと萎縮してしまうのだ。


 昔から本が好きで、同年代の子に比べれば読書量は多い方だと思う。でもそれとこれとは別次元の話だ。本が好きだからと言って、当然描くことがうまいとは限らない。その書き方だって教わったわけではないし、文法も構成も、何もかもが自己流だ。

 

「プロの作家さんって大変なんだな・・・」


 本当に今更ながらではあるが、私は自分の無謀な行為を反省しつつあった。



 そんな私が頬杖を着きながらため息を漏らしていると、カウンターの奥からかおるこ先生が出て来た。手にはステンレス製の水筒と紙コップを持っている。


「川島さん、一息付いたらどう?」


 そう言って私の前の席に座ると、紙コップに黒い液体を注ぎ込む。―――珈琲? 思わずその行動を凝視してしまう。


「あ、これ? 私、コーヒーが好きで毎日持ち歩いているの。ここは蓋付きのペット以外は持ち込み禁止なんだけど、夏休みくらい・・・ね!」そう言ってウインクして来る。


―――へぇ~、かおるこ先生って意外と砕けたトコあるんだ。


 私は勧められるまま、貰った紙コップに口を付ける。

っ!」

「あ、ごめん! 熱かった? でも夏でも暖かいモノを飲んだ方がいいのよ。特に冷えは女の大敵よ! ふふふ」


 そう言いながら先生も水筒のキャップにコーヒーを注ぐと、それにふーふーと息を吹きかける。


「先生は夏休み中も毎日来ているんですか?」

「あ、そうね、大体来てるかしらね・・・」少し小首を傾げながらそう言うと、手にしたコーヒーを一口啜る。

「先生も大変なんですね」

「そんなことないのよ。私が好きで勝手に来てるだけ」

「そうなんですね」

「そうよ、なんて言うのかな・・・落ち着くのよね、本に囲まれていると」

「先生も本が好きなんですね」私は解りきったことを口にする。

「そうね、できれば一日中読んでいたいくらいね。あ、こう言うの『陰キャ』って言うのかしら?」

「それはちょっと違うと思いますけど」


 他に誰もいない図書室で、私たちはそんなたわいもない話をする。すると先生が私の手元を覗き込んで聞いて来る。


「もしかして文集?」

「え、あ、はい。でもなかなか上手く描けなくて・・・」えへへ、と私は作り笑いをしながら先生の顔色を覗う。

「そうね、何でもそうだけどイチからモノを作り出すって大変よね」

「はい。前は好きでやってたんですけど・・・やっぱり人に見られると思うと、無責任なことも描けないし、読んでくれる人から審判を仰ぐようで・・・。今更なんですが段々、自信が無くなってきてしまったんですよね」


 先輩たちが作った過去の文集を読むほどに、自分の稚拙さが浮き彫りになる。

 できるだけ沢山の人に読んでもらいたいと思う反面、すごく恥ずかしく、また図々しいことなんじゃないか、と思う自分もいる。


 私は誰にも言えずにいた気持ちを先生に伝える。

 すると先生は優しい顔で「解るな~その気持ち」と大きく頷くと、コーヒーをまた一口啜る。そして私の目を見つめて言う。


「でも、ソレって決定権を相手に託してないかなあ?」

「決定権、ですか?」

「うん、要するに相手にどう思われるか、相手に対して失礼じゃないか。主体が相手に行っている気がするのよね。確かにそう言う謙虚な気持ちも大事だけど、一番大切なのは川島さんの気持ちだと思うの」

「もっと自分のやりたいようにやれ、ってコトですか?」

「ううーん、そこまでは言わないけど・・・」そう言うと口を止め、少し遠い目で図書室の天井を見つめる。

「私も若い頃、プログラミングに興味があってね。本当はそっちの勉強をしたかったの」

「先生がプログラミングですか?」

「そう。今でこそIT関連の仕事は男女関係なくやってるけど、その当時・・・って言うか私の周りだけだったのかな。田舎だったせいもあってか、女の子でそっちの道に進む子は少なくてね。就職先も少なかったし、親にもいい顔されなくてね。それで簡単に諦めちゃったんだ。ほんと、それだけの理由でね」

「そうだったんですね。でも先生がITに興味があったなんて意外です」

「そう? 今でも好きなのよ、パソコンとかいじるの」本と同じくらいにね、と言いながらカップのコーヒーを飲み干す。


「少し話は逸れちゃったけど、とにかく私から言えるのは、川島さんには好きな事はとことんやって欲しいかな」


 先生は優しかったその双眸に少し力を込めて、あらためて私を見る。


「格好悪くてもいいじゃない。期待に応えられなくてもさ。もしかしたら恥ずかしい思いや、惨めな思い、後ろめたい思い、色々するかもしれないけど、そしたらまたそこから修正して行けば良いんだから。エジソンも言っているじゃない『失敗したんじゃない、うまく行かない方法を発見しただけだ』ってね」


 そう言うとまたいつもの優しい顔に戻る。


「とにかく川島さんの『本が好き、描くことが好き』って気持ちは大切にして欲しいかな~」できるとかできないとか考える前にね―――。そう付け加えると、両手で握り締めていたステンレスのカップをボトルの先にクルクルと取り付ける。


 先生の言っていることはもっともなのかもしれない。まだ私はその境地にはたどり着けそうにはないけれど。


 でもまあ先生の言う通り、読んでくれる人がガッカリしたなら今度は失望させないように頑張れば良い。どんなコトだって一歩踏み出せば困難なことは何かしら現れるものだ。

 確かに私は失敗を、恥を掻くことを、恐れすぎていたのかも知れない。


 私も少し温くなったカップのコーヒーを飲み干す。


「ハイ! 川島さんもここでコーヒー飲んだから共犯ね!」


 そう言い残すと先生はカウンターの奥へと戻って行った。


―――『まだ初心者だから、まだ始めたばかりだから、所詮まだ素人なんだから』

 少しくらい、それを免罪符にしてもバチは当たらないだろう。


 私は机に置いたペンを再び握り直した。




―――『夏休みの一日 / 川島玲』(了)

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