13話 萌絵

 二階のフロアーでは学生らしき若者が必死に参考書を吟味していた。

 みんな無言でそれぞれの世界に入り込んでいるこの空間は、外の喧噪とは打って変わって静寂を保っている。もっとも「賑やかな本屋さん」ってのもあまり聞かないけれども。


 そんなフロアの一番奥、いわゆる「赤本」が沢山並んだ棚のすぐ隣にあるレジカウンター。その中で俯きながら手元で何やら作業をしている女子を発見。萌絵もえだ。彼女は私たちが近付いていることにも気付かぬ様子でブックカバーを折っている。


―――ここで働いていたのね。 私は急に我に返った。


 そんな彼女に凛花が話しかける。


「よう、萌絵。頑張ってんな」


 彼女にもTPOの概念があったようで、そのトーンはいつもの半分くらいだ。


「あ・・・凛花ちゃん・・・玲・・・」


 ゆっくりと顔を上げた萌絵は、少し虚ろな表情で私たちを見る。


「忙しそうだな」

「え、あ、ううん。今日は平日だからそんなことないよ・・・」

 

 どうして急に私たちが尋ねて来たのだろう、彼女の表情からは疑問と不安が見て取れる。するとそんな彼女に対しても、いつもの「直球ストレート少女」凛花がおもむろに話を切り出す。


「仕事中に悪いんだけど、2~3分話してもいいか?」


 一瞬、その目を大きく見開いた萌絵だったが、その内容が気になるのだろう、少し考えると小さな声で答える。


「うん・・・店長さんもまだ上がって来ないし、少しならいいよ・・・」


 不安そうにそう言うと作業の手を止めて凛花を見る。


「えっとよ・・・。・・・それにしても外は暑いなあ~。真夏ってコレだから苦手だよ!」

「え、あ、うん。そうだね」


 凛花の意外な一声に、萌絵はとまどいながらも相槌あいづちを打って来る。

 それに対し、一瞬ためらった様子にも見えた凛花だったが、おもむろに本題を切り出す。


「でもまあ、夏って言ったらやっぱ恋だよな。オレも今年こそイケメンゲットしねえとな」


 世間話と見せかけて、直球勝負! 真冬君の話から連想するに、今の萌絵にはその「世間話」が効いたようで、急に口を閉ざして下を向いてしまう。彼女の着けたクマの絵柄のエプロンがわずかに揺れている。

 

 そんな様子を視界に入れながらも「ここでダラダラと話してもいられないから」と更に一歩カウンターに近寄る凛花。


「なあ萌絵、人に迷惑を掛けるってのは良くねえことだよな。特に好きな人に迷惑掛けるってのはな」

 レジ棚に積まれた『ナツのオススメ100冊』と書かれたフリーの小冊子。それを指でたどりながら凛花は萌絵の表情を伺う。


―――やっぱり一連の騒動は萌絵によるものなの? でも、万が一そうだとして、それとコレがどうして・・・萌絵と真冬君・・・?


「な、なんのこと・・・」萌絵は力なくそう言うと、こわごわと言った様子で凛花を見る。

「知らねえってか・・・」その言葉に萌絵の表情が更に固まる。

「本当はここで萌絵のバッグの中を見せてもらっても良いんだが・・・。まぁ、いいわ。オレも身内切りはしたくねーしな」


 ふぅ、とひとつタメ息をつくと凛花は私の方に向き直り「帰ろうぜ」と手を差し伸ばしてくる。そんな凛花の行動に、少し慌てたように萌絵が話しかける。


「真冬君には・・・」

「ん?」

「真冬君にはこのこと・・・言うの?・・・」不安げな顔でそう聞いて来る彼女は、まるで何かに縋り付くようでもある。


 それに対し凛花は、その場で一旦立ち止まるとしばし黙考。やがて両手を上げて大きく背伸びをすると、今度はその両手をすとんと落としトボケたような口調で萌絵に向かう。


「えっと・・・真冬? あいつがどうかしたっけか?」

「・・・?」キョトンとする萌絵。

「何んかわかんねえけど、暑さでアタマがぼーっとして来たわ。何の話してたっけ?」


 外は暑いとはいえ、ここ砂山堂の店内はエアコンがこれでもかと効いている。凛花のその細い腕にはさえ立っているほどだ。

 分かり易くしらばっくれる凛花を萌絵が不思議そうな顔で眺めている。「この人は私にとって敵なの? それとも味方?」そんな表情だ。


 そんな彼女に向かい、いつもの表情にもどった凛花が、その整った顔を更に近づける。


「たださ、ヘンに策を弄するよりも、ストレートにぶつかった方がうまく行ったかも、ってな」


 そう言って彼女にウインク。

 またもや目を大きく見開いた萌絵だったが、すぐにその真意を悟ったようで小さく応じる。

「そうかな・・・」答えを求めるクライアントのような目で凛花を見つめる萌絵。

「まあ、知らんけど!」


 そんな彼女にお構いなしに凛花はそう切り捨てると、今度こそ私の手を取り「じゃあ、行こうぜ」とエスカレーターへ向かう素振り。


―――ちょっと! そこまで言ったら相談に乗ってあげなさいよ! そう思ったがこれは萌絵の問題だ。他人がどうこう言うことではない。私は右手を握られたまま萌絵に言う。


「萌絵、突然来てごめんね!」

「え、あ、う、ううん、全然!」


 傍らに私がいたことに今更ながら気づいたように、慌てて萌絵が応える。


 予定の2~3分はとっくに過ぎている。この上、店長さんにまで叱られたら萌絵のメンタルが心配になる。


「じゃあね!」凛花に引っ張られて半身になりながら、萌絵に向かって声を掛ける。うしろから聞こえた「またね」と返す声色は、いつもの萌絵のものとはほど遠いものだった。

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