20話 瀬下のアパート


 彼に案内されるまま、私は彼のアパートに足を踏み入れた。もちろん、自分の取っている行動が危険だと言うことは感じているし、ヤバイことになる可能性があることも充分理解している。しかし時として感情は理性を封じ込める。

 事件がクライマックスを迎えようとしていることを、私は感じていた。



「どこでもいいから座ってよ。今、麦茶出すから」


 もう一つ、私の理性を黙らせたのは彼の態度だ。

 アパートに入る前から彼の態度は少しずつ変わって行った。いつものあの陰キャな感じは影を潜め、ごく普通の高校生、それが親しい友達と会話するような・・・その態度がすごく自然だった。

 女の子を安心させるために、自分を押し殺して印象操作する・・・しかしそんな風には見えなかった。それはただ単に私がこの歳で男性経験が少ないからかもしれないが。


 一人暮らしだ、と言う彼の部屋は男の子の部屋にしてはとても片付いていた。

 六畳ほどの部屋と台所の1DK。そのフローリングの床にはほこりひとつなく、生活用品も全て整理整頓されている。通された部屋の壁際にどんと構えるベッドに少し不安を覚えたが、部屋に入るなり彼はその窓を全開にした。エアコンが壊れているらしい。そう言えばあのライブ配信でもそんなこと言ってたっけな。私はいくつかある確認ポイントの一つにチェックを入れた。


 二人分の麦茶を持って来てくれた彼は、ローテーブルを挟んで私の前に座る。しばらく下を向いたままスマホをいじっていたが、やがて顔を上げるとそのスマホの画面を私に差し出した。


「ほら、これが太刀川が殴られたって時に配信してた動画だ」


 私の方に向けられた画面には、以前にも確認した例のライブ配信が流れている。それを見つめる私に彼が説明する。アップした時間から動画の尺を差し引けば、太刀川が襲われた時間も配信中だったこと。背景のグレーの壁はご覧の通りここの壁だと言うこと。更に配信の中で聞こえている犬やセミの鳴き声も今と同じ感じでしょと、積極的に話を続けた。それは自分の保身のためでもあり、私をなだめるようでもあった。


 一通り話し終えると彼は穏やかな表情のまま、自分の麦茶に口を付ける。「な、問題ないだろ?」目が私にそう訴えていた。


 彼の言動は、無実の確定に向けて詰め将棋をしているようだった。勿論、それは自軍の「王」が詰まずに逃げ切るための。そして彼の中ではきっとこれで「王」は広い荒野へ逃げ切ったと思っているのだろう。


 しかし私の考えていることは全く逆だった。彼の「王」を逃げ切れなくするための指し手。それを頭の中で一手一手打ち込んでいた。


 まず彼が配信中だったと言う方便。これはもう謎が解けている。約四十分の配信の途中、彼は水を飲み過ぎたからと言って、三分ほどトイレで中座している。三分でアパートから学校への往復は不可能だが、「近くの教室から」音楽室に行くのは可能だ。


 次にその空白の三分間の様子。配信はその間もカットする事無く続いていて、確かにそのバックには犬とセミの鳴き声が入っている。今もこの部屋に聞こえて来るセミの鳴き声と時折聞こえる犬の遠吠え、それと同じだ。しかし、これもスマホ二台持ちの彼ならいとも簡単に細工できる。そう、この部屋でスマホに録音した音声を、画面から外れたところから流せばいいだけだ。


 そしてグレーの壁。これについての確証はないが、この部屋の壁も音楽室の隣の隣、つまり放送室の壁もそんなに変わりが無い。さっきも帰り際に確認してきたから良くわかる。薄暗い屋内で、しかもピントは彼のドアップの顔に合っている。多少、壁の質感が違ってもわかりはしないだろう。


 そんな画面の中、彼はさも自分は今、アパートから配信していると言うことを盛んにアピールしている。エアコンが壊れていて暑くて仕方ないと、うちわ代わりにした下敷きをパタパタ。窓を全開にしているから外のセミがうるさくて仕方ない、犬もうるさいよねと繰り返し繰り返し・・・。


「どうした川島。麦茶、ぬるくなっちゃうぞ」


 彼の言葉で我に返る。


 私の考えている事を知らないのか、それともわざと知らないフリをしているのか、彼は軽く笑みを浮かべながらそう言って来る。


「うん、ありがとう」そう言いながらも一向に麦茶に手を付けない私を見て、さすがに不審に思ったのか、彼の表情が少し曇る。

「なんだよ・・・まだ疑っているのかよ」

「ううん、そう言うわけじゃないけど・・・」どうしよう、落ち度を突きたい。でも決定的なピースがもう一つ足りない。私は最後の一手を熟考するばかりに、その手を指すことによって、自分の身が危うくなると言うことを忘れかけていた。

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