7話

 人気のない音楽室はエアコンも効いておらず、廊下より更にむっとした空気が私を包み込む。

 その左奥に置かれたグランドピアノのその向こう、暗幕の貼られた窓際に彼は倒れていた。薄いブルーのシャツに紺色チェックのズボン。ウチの男子生徒で間違いない。うつ伏せになったその脇に、こん棒のようなモノが投げ捨てるように転がっている。コレで殴られたのだろうか。私は彼のすぐ脇にしゃがみ込んで様子を伺う。


 隣の放送準備室へ続く内扉の方を頭に、バンザイをしたような格好で横たわる彼。反対側に投げ出された両足は、片方のクツが脱げてすぐ脇に転がっている。

 しばらくして恐る恐る入ってきた凛花が彼を認識する。


「し、し、○んでるのか・・・?」振り返ると凛花の脇には、変わらず真っ青な顔で例の彼女も突っ立っている。

「いや、息はしているわ」うつ伏せの彼の背中、その白いワイシャツがかすかに一定のリズムで浮き沈みしている。

「私が来たら・・・」彼女が力なく話し始める。

「私がピアノのそばに来たら倒れていて・・・」震えながら話す彼女を見上げる。その顔を改めて見て思い出す。確か五組の・・・そう、大越おおこしさんだ。ほとんど話した事はないが、先週の合唱コンクールでピアノを弾いていた子だ。大きなカラダをダイナミックに左右に揺らしながらの演奏が印象に残っている。


「大越さんですよね。あなたが音楽室に入って来たら、中で彼が倒れていた、ってことですか?」

「そうです・・・今日は一旦帰ってから、練習に来たんです。ピアノ、空いてるって先生に聞いたので・・・」


 ○んではいない、とわかって安心したのか、少しだけ平静を取り戻したらしい大越さんがそう答える。


「た、助かるのか・・・なあ」凛花もそれに続く。

「わからないわ・・・。それより凛花! 先生を呼んできて! まだ何人か残っているはずよ!」普段は滅多に出すことのない私の大きな声に、一瞬ビクッとした凛花だったが、瞬時にソレが妥当と判断したのだろう。「わ、わかった!」とこれまた大きな声で反応すると、すごい勢いで音楽室を飛び出して行った。


「それって・・・その人って七組の太刀川君ですよね・・・」凛花が出て行ってしばらくすると、恐る恐る大越さんが言ってきた。倒れている大柄な制服男子。身長180センチはあるだろう。その姿に見覚えがある。そう、それもついさっきの事だ。


「そうね、横顔しか見えないから一瞬気付かなかったけど、間違いない、太刀川君だわ」


 私は小さく頷く。若干、落ち着きを取り戻した感のある大越さんも私の隣にしゃがみ込んで彼を見下ろす。

 逆立った髪の毛、少し捲れ上げられた感のあるシャツ。放送準備室の方から引きずられて来たのではないだろうか? 私は勝手に推測する。左の靴は引っ張られた時にでも脱げたのだろう。


 するとちょうどその時、

「う、う~ん・・・」小さなうめき声と共に彼の横顔が歪んだ。

「太刀川君!」

「・・・大丈夫?・・・」


 こちら側から見えている右目をゆっくりと開くと、少し遅れてだらしなく開かれていた口が動く。


「な・・・なんだよ・・・お前ら・・・」


 重そうに上半身を起こした彼は、すかさず自分の頭に手をやる。


「い、いってえ~・・・」

「頭、痛いの?」私の問いかけに少し間を置いてから彼が応える。

「なんか俺、頭をぶたれたような・・・あっ!」


 そう言うと彼は、何かを思い出したように急に立ち上がり、グランドピアノのうしろ、放送準備室へと繋がる扉を開けようとする。


 放送室と音楽室の間に挟まるようにある『放送準備室』。その小部屋へは、いちいち廊下へ出ずともこの一番奥にある内扉を通じて出入りができるようになっている。


「ガチャガチャ!」その扉を開けようとしながら彼がつぶやく。「何だよ! 何で扉が閉まってんだよ! それに・・・」一旦その動きを止めると首を傾げる。

「それに何で俺、こっち側にいるんだ?」


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