第40話 温泉宿

 実家前で出迎えてくれたのは両親と妹だけではなかった。

 狩人のハントやみっちゃんたち家族たちもそこにいた。


「坊ちゃん、よく帰ってきましたな」


「温泉はどうだい?」


「はっはっは、村人全員が愛用していますよ」


「それは嬉しいね」


 気軽に通える村人が好きになってもらえないのなら、事業的に望み薄だ。そこがすんなりと通ったのはいい兆候だ。


「おかえり! クラスト君!」


「ただいま、みっちゃん」


 私が一〇歳になったので、みっちゃんもまた10歳になっていた。たった2年は大人を大きく変えないけれど、子供は違う。

 私もみっちゃんもずいぶんと背が伸びた。


「王都は楽しかった?」


「そうだね、賑やかだったよ。この村とは何もかも違う。みっちゃんも行ってみたらいいよ。きっとすごく楽しいから」


「わかった、じゃあ、クラスト君との新婚旅行は王都にしようね!」


 どうやら、そのネタはまだ忘れていなかったようだ。

 両家の親たちがいるのにこんな発言をして大丈夫だろうか……と視線をそっと巡らせてみるが、私の親もみっちゃんの親も特に反応はなく、ニコニコとしている。

 え、無反応……?

 まさか既成事実になっていないだろうな、これ?

 私への歓迎がひと段落したところで、今度は私から話題を切り出した。


「みんなに紹介したい人がいるんだ――ロイド出てくれ」


 馬車から出てきたロイドが挨拶をする。


「ロイドと申します。クラストとは同じキクツキ工務店で働いていました。この村の仕事を手伝って欲しいと言われて来ました。職人としての腕には自信があります。長くお世話になりますので、よろしくお願いいたします」


「私がクラストの父のマロック・ランクトンだ。クラストがみそめた人物だ、厚く歓待することを約束しよう。困ったことがあればなんでも言って欲しい」


 そして、父とロイドは固く握手を交わした。

 その日は長い旅を終えたので、私もロイドも部屋でぐっすりと眠った。翌日、小さな村は私たちの歓迎ムードでいっぱいだった。


 父親が音頭をとり、村を挙げての祭りになった。

 全ての村人たちが、楽しそうに食事をして、楽しそうに呑む。楽しそうに笑い、楽しそうに話す。そんな光景が私は好きだった。

 きっと、彼らは未来を見ているのだろう。私が作り出す温泉宿という未来。それにより、村が変わっていく未来を。

 今まで何も変わらなかった落ちぶれていく村が、大きく変わろうとしている。

 クラストならきっとやってくれる。

 だからこそ、こうやって私を歓迎してくれている。


 ……答えなければな、彼らの希望に。


 おおいにはしゃいだ私だったが、翌日は朝早くに目を覚まして、実家の玄関を出た。

 職人の朝は早いのだ。

 非日常は昨日で終わり。今日からは職人として動く――


「おはよう、クラスト」


 当然、ロイドの姿もある。


「じゃあ、一緒に行こうか」


 まだまだ陽の光が弱い村を二人で歩いていく。私は村の地図を見せながら、温泉宿をどの辺に作るのか、というのをロイドに説明した。

 そして、話をしながら私たちの足は温泉へと向かっていく。森へと踏み込み、服を着たまま脱衣所を抜けて、目的の場所までやってきた。


「ここがね、言っていた温泉だよ」


 ほかほかと湯気の出ている湯をさして私は言った。時間帯が早いせいか、誰も入っていなくて助かった。人がいると、その目のやり場とかねえ……。


「温泉……地面から湧き出す湯か」


 ロイドが片膝をつき、湯に手を突っ込んだ。


「いい温度だ。それに、なんだろう……水が柔らかいな。さらさらしているっていうか。すごく気持ちがいい」


「温泉は地中から湧き出しているからね、色々なミネラルが溶け込んでいるんだ。だから、そういう感じになる」


 そして、続けた。


「どうせなら一緒に入りながら、温泉宿の話をしよう」


 終わった後、温泉好きロイドが爆誕した。


「……俺、この村に来て本当に良かった……」


 ちょっとその結論に至るの、早すぎないか?



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 温泉宿を作るぞ!

 その着手から、あっという間に3年が経ち――

 ついに温泉宿が完成した。


「はっはっはっはっはっは! これはすごいなあ!」


 私の父親が建物を見上げながら、そんなことを言ってくれる。周りにいる村人たちも感極まった声で喜びを表してくれていた。

 3階建、部屋数は100を超える大きな宿だ。見た目が勝負なので、王都で学んだデザイン技術をふんだんに盛り込んで映える外観になったと自負している。外観だけではない。内装も細部にまで緻密にこだわっている。ターゲットの顧客は貴族や大商人なのだ。良質なものを飽きるほど見ている彼らに、これはすごい! と言わせなければ、二度目は来ないだろう。いや、口コミで広がることもないから、一度目すらない。

 一〇〇年後まで残るものを――

 この村の象徴となるものを――

 その思いだけで作ったので、細部の1ミリにまで妥協はしなかった。


「ようやくここまで来たな」


 隣に立つロイドが充実感のある表情で言ってくれる。

 ロイドに声をかけて本当に良かった。

 理想的なものを作る――そんなモヤモヤしたゴールに向かっていくのは難しいことだ。それを形に落とす? どうやって? 何が正しい?

 そんなとき、相談できる相手がいるというのは本当に助かる。

 二人で話して決めた結論であれば、なんとなく、そうだな、それが正しいんだな。そんなふうに思えてしまうのだから。

 私一人では、これほどのものはできなかっただろう。


「うん、ありがとう、ロイド。君がいてくれたおかげだ」


「そう言ってもらえて嬉しいよ」


 私たちは拳を軽くぶつけた。

 外観内装について、王族であっても満足させる自信はある。だけど、それはメインディッシュじゃない。温泉で楽しませなければならない。

 温泉宿から、温泉までの森はガッツリと切り拓いた。

 主に私が。

 片っ端から木を切り倒していき、切り株を引き抜き、きっちりと開拓した。そんな姿を見たロイドがボソリとつぶやいた。


「いや、グレイドーンを倒したの、絶対お前だって」


 ソンナコト、ナイデスヨ?

 そうやって切り拓いた場所に屋根付きの渡り廊下を通し、温泉まで直通にしてある。以前は温泉の周りに柵と脱衣所を作ったけど、今は違う。

 温泉を取り囲むように、立派な建物を作った。温泉から上がったら食事も取れるようにして、のんびりとアルコールも飲める。


 これは前世の経験だな。


 こう――ブラックドラゴンとかを討伐した後、温泉に入ってビールを飲むのが至福の時間だった。食事処を作ると言ったとき、周りから、いらないだろ? みたいな反応をされたけど、いるって! 絶対にいるって! 折れずに押し通した。

 きっと、いつか、風呂上がりの一杯を理解してくれる日が訪れるだろう。

 私はかたわらに立つウラリニスに視線を送る。


「ここからは頼むよ、ウラリニス?」


「もちろんです。お任せください。仔細、準備を進めておりますので」


 宿は作って終わりではない。寝具も家具も取り揃えなければ。いずれも、こんな村では絶対に手に入らない『王宮品質』のものを。

 その辺の調達はウラリニスに任せることにした。本来であれば、家具に関しては私が全て作りたいのだけど、100部屋以上となると量が多すぎて建設作業に支障が出るので諦めた。

 ……どうせなら、次に作る予定の別館は全て家具を私が用意しようか。こちらは開店後だから、そこまで急ぐ必要もないだろうし、規模も小さくできる。エグゼティブな人間だけを対象にした、手間暇かけてこだわりにこだわった宿を作る――

 うわ、楽しそう!

 そうか、事業を始めると、育てていく楽しみってのもあるんだなあ……。


「もうすでに知り合いには宣伝しているんですよ。みなさん、すごく楽しみにしていらっしゃいまして……この出来なら完璧ですね。胸を張ってお誘いできます。当面の客入りはご期待ください」


 ニコニコとした顔でウラリニスが言う。

 いやあ……本当に頼もしいなあ!

 続いて、みっちゃんが私に話しかけてきた。


「クラスト君、すごいよ! 私も頑張るからね!」


「ああ、よろしく。ここからはみんなの力が必要だからね」


 温泉宿が開くと、みっちゃんにも役割がある。

 いわゆる、中居さんだ。配膳、掃除、客の案内――仕事は山ほどある。いずれは外部から人が来てくれるだろう、と思ってはいるけど、当初は期待できない。なので、開店してしばらくは村の人間の力を借りることになっている。

 これに関しては、頑張ってもらうしかない。

 素人集団なので、ここは怖い部分もあるけど――ウラリニスが『凄腕の女将さん』を雇う、もう話は進んでいると言っていた。その凄腕さんがきっとなんとかしてくれるだろう!

 人の調達までするなんて、ウラリニス、凄すぎだと思いません?

 ウラリニスなら! ウラリニスなら! きっとなんとかしてくれる!


「よーし、温泉宿の開店までもう少しだ! みんな、頑張ろう!」


 私が腕を突き上げて叫ぶと、おお! と村人たちが大声で呼応してくれた。

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