第38話 一緒に温泉宿を作りませんか?

 職人が寝泊まり用に借りている宿だ。たいして広くはない。

 ロイドは壁際にある細長いテーブルに備え付けられた椅子に座り、私はロイドの許可をもらってベッドに座る。


「それで用事は――?」


 ロイドの声には緊迫感があった。

 ……異変を察してはいるのだろう。すでに仕事は終わって、もう帰るだけ。話し合う時間はいくらでもあったのに、こんな夜更けに訪ねてくるのだから。

 私は用意していた言葉を切り出した。


「実は、今回の仕事でキクツキ工務店を辞めることになっているんだ」


「――!?」


 さすがに意表をついたのだろう、ロイドが目を見開いて絶句していた。私のキクツキでの立場を考えれば、無理もないことだろうが。

 普通は辞めないよね。


「別にキクツキが面倒というわけでもないんだ。本当によくしてもらっているし、いい場所で働けていると思っている。でもさ、僕には夢があるんだ」


 そこで、ロイドがハッとしたような顔で口を開いた。


「……故郷の温泉宿か……」


「うん」


 私が返事をすると、ロイドがなんとも言えないような表情を浮かべた。温泉宿の設計はずっとリビジョンを重ねていて、それにはロイドの意見も多く取り込んでいる。もともとは私の夢であったけど、今では二人で育て上げたものだ。

 それがいよいよ動き出す――

 そのことがきっとロイドの感情を大きく揺さぶったのだろう。


「……そういう理由なら、仕方がないな……クラストの夢だからな。俺もそれを側で見てきたし、ずっと聞かされてきた――」


 しばらく迷ってから、ロイドが言葉を吐いた。


「まだまだ一緒にやろう。俺たちはまだまだ未熟で親方から学ぶことが多い。俺はお前の背中を追い続けていたい。これからも王都で頑張ろうじゃないか」


 その言葉に、ロイドが返事を求めていないのは明らかだった。

 その目は明らかにくすんでいて、誰かの意思を捻じ曲げようという感情に欠けていた。力なく振られている首も同様だ。

 ただ、言いたかっただけ。

 言わずにはいられない――そんな気持ちの発露だ。


「……そう言いたいけど、それはお前のためにならないんだろうな。送り出す以外の道はないんだろうな。親方は知っているのか?」


「うん、この案件につく前に伝えておいた。そうしたら、別に構わないって」


「そうか、ならもう、俺に止める理由はないな」


 そんなことを寂しそうに言ってから、ロイドが続ける。


「楽しかったよ、クラスト。今回もお前には助けられた。お前がいなければ危なかった――」


 少し間を置いてから、ロイドが続ける。


「グレイドーンをやったのはお前だろう?」


「……え?」


 心底意外なんですけど? という感じで声を吐き出す。


「あのとき、お前を見送って――俺は気を失った。ちょうど、グレイドーンの取り巻きたちのようにな。あの場所にいたのは、俺とお前だ。俺がしていなければ、残るは一人しかいない」


 ……まあ、そうなるけども。

 私は大袈裟に驚いたふりをして、慌てふためいてみた。


「そんな! 僕は10歳の子供だよ!? 僕にできるはずがないよ!?」


「……基礎を拳で殴って地面に埋め込むやつが、言っていいセリフじゃないだろ?」


 はい、そうでした。

 確かに、ロイドというかキクツキの面々は私が暴れているのを見ているわけで。あのクラストなら、できていなくてもおかしくはないなあ……と思っても仕方がない。

 これは口封じするしかないな。

 ありがとう、ロイド。今まで楽しかったよ。

 嘘だけど。


「う、ううううん……僕じゃないんだけどなあ……僕は平和主義者だから、そんなことできるはずがないよ」


「ま、お前が隠したいのなら好きにしたらいい。俺は誰かに言ったりしないから」


 沈黙が降りた。

 私は伝えたいことを伝えて、ロイドは尋ねたいことを尋ねた。二人の会話は往復して、次のターンが始まろうとしている。

 ここで私が口を開かなければ、そのまま終了。

 私は故郷に帰り、ロイドは王都で父親を超えるために修練に励む。二人の運命はここで別れる。


 それも悪くはないと思ったけど――

 でも、やっぱり最後までそう思えなかった。


 私はロイドという人間を強く信頼している。職人としての技量も、当初は私に強く当たっていた職人としての強情さも、今回の大変な仕事でも折れずに陣頭指揮をとった能力も、なんだかんだで私の面倒を見てくれた人の良さも、全て気に入っている。

 さっきロイドはこう言った。


 ――まだまだ一緒にやろう。これからも王都で頑張ろうじゃないか。


 その気持ちは、私もまた同じだった。場所こそ王都ではないけど。

 だから、言ってしまおう。私の素直な気持ちを。


「……ロイド。ロイドさえ、よければ、僕と一緒に村に来て温泉宿づくりを手伝ってくれないか?」


 その言葉を聞くと同時、ロイドの目がすっとすがめられる。

 何かを見定める、そんな目に。


「正直、この言葉を口にしていいのか迷っていたんだ。君には君の夢があるか。僕はそれを知っているから。キクツキで技を磨くほうが君のためになるんじゃないかって――」


 私は言葉を続ける。

 策を弄するつもりはない。己の心を伝えるだけだ。もしも、ロイドが断るのなら、それはそれで仕方がない。そんな結末であっても、私とロイドの友情は何も変わらない。


「だけど、君がいてくれたほうが嬉しい。そんな素直な気持ちには逆らえなかった。でっかい温泉宿を作りたいんだ。それには君の力があると嬉しい。それに、それだけじゃない。僕はあの村をもっともっと大きくしていきたいんだ。温泉宿がうまくいけば多くの人が訪れるだろう。そうすれば、もっと多くの建物が必要になる。僕だけじゃ手が回らない。それを託せるだけの、優秀な職人が必要なんだ」


「それが、俺なのか」


「うん、ロイドがいてくれるのなら、本当にありがたい。だけど、小さな村だから……温泉宿ができるまではあまりお金を払えないと思う。温泉宿が終わったら、あんまり挑戦的な建築はできないだろう。だから、君にとって必ずしもいい話だとも思えないんだ。だから、遠慮なく断ってくれていい。それでも私たちの関係は変わらない。私の温泉宿に遠慮なく遊びに来てくれると嬉しい」


 断ってくれてもいい、というつもりで言葉を伝えた。

 あまりロイドに心理的な負担をかけたくなかったから。

 少し考えてから、ロイドが口を開いた。


「俺を誘う件は、親方に相談しているのか?」


「もちろん。引き抜きになるからね。親方は言っていたよ。キクツキの看板を舐めるなって」


「あの人らしいな」


 ふふふ、とロイドが笑う。私もそう思う。そして、それは過信ではないと思う。いまだに私の技量はキクツキ親方に届いていない。そして、彼には彼を慕う職人が工務店の外にもたくさんいる。この業界のスーパースターである親方であれば、私たちが抜けたところでなんとかしてしまうだろう。


「少し考えるよね? 返事は私が王都をたつ日までに伝えてくれればいいよ」


「そうだな」


 一拍の間を置いて、あっさりとロイドは言った。


「やるよ」


「え?」


 ちょっと返事が早すぎて、意表をつかれた。


「やってくれるの?」


「ああ……むしろ、お前が誘ってくれなかったら、自分から頼もうかと思っていたんだ。あれだけ設計に意見を言ったんだ。俺だってその権利はある。俺にその仕事をやらせてくれないか?」


「は、はははは……」


 心の中に立ち込めていた雲がすっと晴れ渡ったかのような気分だった。ロイドがきてくれるだけではない。そんな熱い気持ちまで持っていてくれたのだから。

「よかった、ロイドが来てくれて嬉しいよ。とても助かる。でも、本当にいいのかい?」


 正直なところ、本当にロイドのキャリアとしては回り道だと思っているのだけど。


「お前が初めて、俺に温泉宿のスケッチを見せてくれたとき、言ったよな。100年後にも残る宿を作りたいって」


「うん」


「俺もそうなんだよ。クソ親父が作った、あの大聖堂はどれくらい残る? 俺はね、俺もまた、時間を超えて残るものを作りたいと思っているんだ」


 それから、こう続けた。


「クラスト、お前のやりたいことは村づくりなんだろう? そして、その村はどれだけ残るんだ」


「……ずっとずっと、ずっと先まで」


 私の言葉に、ロイドが満足そうに目を細めた。


「うん、そういうことだ。その村の発展に貢献できれば、それは俺が生み出したものと言ってもいい。だから、これは無駄じゃない。やりがいのある仕事なんだ」


 力強く言ってから、ロイドは右手を差し出した。


「頑張ろう、クラスト。100年後も残る温泉宿のために。そして、1000年後にも栄えている村のために。俺たちで始めるんだ」


「うん、頑張ろう! 絶対に絶対に、すごいものを作ろう!」


 私はロイドの右手を強く握り返した。


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