第29話 父親

「いいの? 無理しなくてもいいよ?」


「別に隠すほどの話でもないんだよ、もともと。あと、お前には聞いておいてもらいたい。俺なりの決意表明だから」


 ロイドが足を止めて話を始める。


「俺の親父はね、ロクトーンって名前なんだ。知ってるか?」


「ううん、知らないかな……」


「だろうな。だけど、親方はもちろん、建築で食っている人間なら知っているよ」


 ロイドが指を指した。

 そこには月明かりに照らされたグリフォルン大聖堂があった。高く、広く――荘厳な迫力を感じさせる。王都を代表する立派な建物で、多くの人々が訪れている。私も暇なときに見学に向かったが、外装だけではなく内装の凄さまで圧倒された。まさに100年後にも誇れるような立派な建物だ。


「あの大聖堂を作ったのが、俺の親父だよ」


「――!?」


 あの大聖堂は確かに、相当の建築スキルの持ち主でなければ設計できないだろう。まさか、ロイドがそんな人物の息子だっただなんて。

 ロイドの才能の深さも、親譲りなのだろう。


「自慢のお父さんってことだね」


「それがね、大っ嫌いな親父なんだよ」


 そのときのロイドの表情は、どこかやるせない感じだった。


「家にはろくに帰ってこない、それが仕事だけなら理解もできるけど、外に女――ああ、いや、その……」


 ロイドが露骨に言葉を濁す。

 外に女を作って遊んでいる、というわけか――

 私が8歳だということに戸惑ったようだ。確かに子供に聞かせていい内容ではない。中身は100を超える老人で人生の酸いも甘いも噛み分けるので気遣い不要なのだけど……。


「ともかく、俺や母さんを困らせることをたくさんしてきたんだ。そんな父親、尊敬できるはずがない。そうだろう?」


「そうだね」


 だけど、それはそれで、疑問がある。


「なのに、お父さんと同じ道を志すの?」


「親父はダメなやつだけど――子供の頃から周りには建築に関する本がたくさんあったんだ。建築に自然と触れることができる環境があって、気づいたら好きになっていた」


 父は憎くても、己の好みには抗えないか。


「ある日、俺は親父に言ったんだ。俺も建築家を目指す。そしたら、鼻で笑われたよ。お前には才能がないから、やめておけって」


 ロイドに才能がない、か……なかなかの能力の持ち主だな。


「ものを作ることは好きだったし、自信もあった。なのに、その言いようだ。好きになれるはずがないだろ?」


 小さく笑ってからロイドが続ける。


「それで、家を出ることにしたんだ。自分の力でやってやるってね。で、キクツキさんに面倒を見てもらって今に至るわけだ」


 少し間が開く。


「……謝らせてくれ、クラスト」


「え?」


「さっき親方にも言われたけど、変に意識しちゃってさ。俺は負けたくなかったんだ。父親に言われた言葉を認めてしまうようで……俺は優秀でないといけないと思ったからさ。だけど、すぐに気がついた。お前は俺よりも遥かにすごいって。それを認めるのに時間がかかった」


 それから、私の目をじっと見てから、ロイドは頭を下げた。


「すまなかったな、気分の悪くなるような態度をとってしまって」


「大丈夫、気にしてないよ」


 もう終わったことだ。今は、こういう会話ができる関係になったことを喜ぶべきだ。


「ロイドと出会えてよかったと思う。僕は君の才能がないだなんて思わない。一緒に切磋琢磨していこう」


「ああ!」


 ロイドが大聖堂に目を向ける。とても意志の強い目で、そこに決意が輝いていた。


「俺の夢はね、100年後にも残る、自慢できる建築をすることだ。あの大聖堂と同じくらいのものを作ってみせる。それくらいの建築家になってやる!」


「うん、ロイドならなれると思うよ」


 それは嘘偽りもなく。

 ロイドは才能があり、本人も勤勉だ。そこに至る資格はあるだろう。

 そして、私にも。

 あの大聖堂ほど立派でなくてもいいけれど、私の村をこれから100年は見守ってくれる素敵な温泉宿を作りたい。

 その未来に至る道のりとして、キクツキ工務店を選べたのは幸運だった。よき師匠、よき同僚、よきライバルがいるのだから。きっとここで学んだことは未来の私の財産になるだろう。


「いつか親父の鼻を明かすその日まで、俺は頑張るぞ!」


「いいね、僕も頑張るよ」


 今日この夜、私とロイド、2人が誓いを立てた。

 私たち二人のことなど、偉大なる建築家であるロイドの父は気にしないだろう。まるでその意思を体現するかのように、大聖堂は夜の闇に悄然と佇み、私たちのことを見下ろしていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 次の休日の夕方ごろ、私を訪ねてくるものがいた。


「お久しぶりです、クラスト様」


 ウラリニスだ。実に3ヶ月ぶりの再会である。


「久しぶりじゃないか、ウラリニス!?」


「王都に戻ってまいりまして。お変わりはございませんか?」


「もちろんだよ! ほら、家に入って! ゆっくり話そう!」


 再会できた喜びで、ついついテンションが上がってしまう。リビングのテーブルに向かい合って座った。


「ああ、そうだ。お茶を出さないと――」


「お気遣いなく、クラスト様にそこまでされると恐縮いたしますので」


「気にしないでいいよ。少し待っていて」


「ありがとうございます。では、できるまでの間、隣を覗かせてもらって構いませんか?」


 隣――私の作業場。

 もちろん、意味としては、私が作った家具を見てみたいのだろう。


「いいよ!」


「それでは失礼します」


 そう言って、ウラリニスが隣のドアを開けて――

「おお! 意外と作っておられますね!?」



「ははは、頑張っているだろ?」


「1つか2つかだけだと思っておりました」


 それどころか数えるのに両手が必要なくらいの家具を作っている。もちろん、村にいた頃に比べると少ないけれど。


「それほど仕事も忙しくなかったからね」


 気分転換にはちょうどよかった。建築の仕事に集中しすぎているな、と感じたら、家具作りをする。いいバランスを保つことができた。


「拝見してもよろしいですか?」


「どうぞ」


 作業場に消えるウラリニス、私はお茶を淹れに台所へと向かう。

 お茶を持って戻ってくる頃、ウラリニスも部屋に入ってきた。


「いやあ……相変わらず、惚れ惚れとする腕前ですなあ……。素晴らしい!」


「ありがとう」


 そこで少し考えてから、ウラリニスが切り出した。


「……ところで、クラスト様。もしよろしければ、1ヶ月後にお時間をいただけますか?」


「1ヶ月後? どうして?」


「実は家具の展示場をしようという話を同業者と進めておりましてね、そちらから、クラスト様の家具を是非と頼まれているのですよ」


「……それに僕が出るの?」


「前提としては、どちらでも構いません。ただ、どういうお客様がクラスト様の家具をお求めになられているのか――そういう現場に興味がおありかな、と思いまして。もちろん、正体を隠したいというご意向も存じておりますので、作者としてではなく、私の手伝いという形でも構いません」


「へえ」


 率直な第一印象は面白そうだ、だった。今まで、家具を作ることはあっても売るところは見たことがないので。展示場だからこそ、こういうことができるのだろう。これもまた、王都に来た役得だ。であれば、堪能しておかなければ損というもの。


「いいんじゃないかな、出てみてもいいよ」


「本当ですか!? ありがとうございます! それでは当日、お迎えにあがりますので!」


 そんなわけで、私の予定がひとつ埋まった。

 そこでウラリニスがカバンを漁り出し、私の眼前に手紙を置いた。


「お父様、お母様、妹様……あと、隣の家のみっちゃんさんから預かった手紙です」


「――!?」


 サプライズだった。そんなものが出てくるだなんて。

 試しに、私は父の手紙を開いて眺めてみた。


『クラストへ。

 お前が旅立ってから、まださほど時間も経っていないが、まるで1年以上会っていないかのような気分になる。元気にしているか? 人の下で働くのは大変なことだ。だけど、いい経験になる。頑張りなさい。だけど、お前は8歳の子供だ。無理をする必要もない。もしも辛いようならウラリニスに言って戻ってきても構わないからな。

 頑張れそうなら、技術を磨いてくるように。悔いがないようにな。前を向いて進め』


 ありがたい――

 私のことを大切に思う気持ち、期待する気持ちが強く伝わってくる。その気持ちに応えられるような日々を過ごさなければならない。一層、私は己の心を熱くした。

 こんな手紙が残り3枚もあるとは。

 私はなんて幸せ者なんだ!


「ありがとう、ウラリニス。すごく嬉しいよ」


「それが私の仕事ですから」


 満足げな様子のウラリニスに私は告げる。


「また旅に出る前に、手紙を渡したいんだけどいいかな? 運んでくれる?」


「もちろんです。是非そうなさってください。皆様、喜んでくれることでしょう」


 この3ヶ月は慌ただしい日々だった。書こうと思えば、どんなことでも、いくらでも書くことができる。

 そんな夢のような日々の、どこをどう伝えようか。

 よし、とくと悩むとしよう!

 

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