第26話 世界は広がる
ロイドは、私から受け取ったスケッチブックを丹念に見返した。スケッチブックには雑多なものが書いてある。それは習作としての設計図だけではなく、作ってみたい温泉宿の外観アイディアを描いたものもある。
……とにかく、色々なものがそこにはあった。
私の夢が。
きっと村を美しい未来へと誘ってくれる、大きな希望が。
「外観は決まっていないのか?」
「まだまだアイディアレベルだから、たくさんメモしているね。急いではいないんだ。ここでの修行が終わるまでに形になればいいくらいだから。まだまだ時間をかけるつもりだよ」
ページをめくり、習作として描いている話設計図をロイドは眺めた。
「……この設計図、少しおかしくないか?」
「それは、あるかもしれないね」
設計シロウトが、雑に描いているだけだから。そもそも、外観があやふやというか、全体のものをちゃんと作っていないので、適当感があるのは事実だ。
「……こことここ……書き方がおかしい。あと、ここの数値も他と整合性が取れていない」
ロイドが正しい答えを教えてくれる。その内容は明らかに正しかった。
「ありがとう、間違えていたね」
「設計は苦手なのか?」
「苦手というか、勉強し始めたばかりだからねえ」
そこでロイドが意外そうな顔をした。
「……? そうだったのか……何でもできると思っていたよ」
「何でもはできないよ、できることだけ。それ以外は勉強中」
私は倉庫に視線を向けた。
職人たちが加工をしている最中の資材たちに目を向ける。
「全然、わかっていないよ。自分で強引に作ることもできるけど、きっとそれはガワだけ似せた、不出来な代物になっていた。そんな宿なんて作りたくないからね。職人たちが蓄積した膨大な技術を学べるのはありがたい。毎日毎日が本当に楽しいよ」
「設計はまだまだ苦手なのか?」
「手探り状態だね。いつか技術を盗めればいいんだけど」
「……だったら、少しアドバイスをしてやろうか?」
「本当に!?」
とても嬉しい申し出で、目の前がパッと明るくなったような気分だった。まさか、そんなことを、私を意識しているロイド少年から言ってもらえるだなんて!
それから、私たちは熱心に話し込んだ。
私が抱えていたモヤモヤとした疑問を口にすると、ロイドが明快に答えてくれる。彼自身は優秀で――私よりもきっとオールラウンダーな力を持っている。とても楽しくて、有意義な時間を過ごすことができた。
「――!?」
はっと我に帰ったロイドが壁にかかった時計に目をやる。もうとっくに昼休みの時間は終わっていた。
「すまん、時間を忘れていた」
「こっちもだ。本当に楽しかったよ」
「ああ、俺もだ」
私たちの間に、確かな関係が結ばれた瞬間だった。互いに互いへの尊敬の念が胸に宿っている。それはとても心地よくて、気持ちいいものだった。
特にゆっくりと話をしてわかった。
このロイド少年はとても才能がある!
そんな人間と出会えて、仲良くなれて、技術論をぶつけられるようになったのは幸運だ。
「もし設計の勉強がしたいんだったら、何冊か持っている本を貸そうか?」
「もちろん、助かるよ!」
こうして、私はロイド少年という優秀な師匠を持つことができた。
友人ができるということは、実にいいことだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その帰り道、私は夕食をいつもの屋台ストリートで食べることにした。
ここの屋台にはいろいろなものが売ってあって、私は興味を持った店に突撃しては胃袋を満たす日々を送っていた。
とはいえ、お気に入りもできる。
一番のお気に入りは――
「いらっしゃい……よっぽど、うちの味が好きなんだな?」
最初に入った、ルーローハン専門店だ。
豚肉に丼ご飯という組み合わせが若い胃袋には効き目が高すぎる。もちろん、味付けも非常にいいのだけど。週に1度か2度は必ず訪れている。
座っただけで、店長が料理を作り始める。
……常連客っぽい感じだけど、実際はルーローハンしかメニューがないからなのだけど。
「はい、お待ち」
店長が熱々の丼を私の前に置いてくれる。
「ところで、どうしたんだい? 何かいいことでもあったのか?」
「ん? どうして?」
「だってよお、なんか、いつもより嬉しそうだぜ?」
「ははあ……鋭いね!」
「客商売、舐めるなよ」
嬉しそうに笑うと店長が質問を重ねた。
「で、何があったんだ? 嬉しいことなら教えてくれよ」
「職場で、仲のいい人ができたんだよ」
「ほお、そりゃよかったじゃねえか!」
「今まで、ちょっと壁がある感じだったんだよね。だけど、ひょんなことから話すことがあって――それで今までよりは打ち解けたんだ」
ロイドは妙に私を意識していたからなあ……。こちらには思うことはないのだけど、そういう態度だと構えてしまう部分もある。
そのしこりは微妙に気持ちが悪かったのだけど、スッと消えた感じがして気持ちよかった。
「ほー、人間関係の悩みがなくなったか、そりゃ最高だ!」
そんなことを言うと、店長は私の近くに空のコップを置き、ジュースを注ぎ込んだ。
「……ん? 頼んでないよ?」
「俺からの奢りだよ。本当なら酒なんだけど、お前にゃ早い」
「ありがとう」
私は苦笑しつつジュースに口をつけた。
王都に来てから、もう1ヶ月以上が経つ。少しずつ知り合いが増えてきた。キクツキ工務店には受け入れられたんじゃないかな、という感じがする。唯一の問題だったロイドも、今日の件できっといい方向に向かうだろう。そして、私の幸運を気持ちよく喜んでくれて、ジュースを奢ってくれる店長も大切な知り合いだ。
いいなあ、世界が広がっていく感じがして。
それから数日が過ぎて、私は休日を迎えた。
朝、爽やかに目を覚ます。さすがに、一人暮らし生活にも慣れてきた。一人暮らしハイな時代を抜けたので、夜更かしをやらかす頻度も減ってきた。
そもそも夜更かしは体に悪い。成長も悪くなるし、筋肉も育たない。前世ほどの恵体には慣れないとしても――いや、なれないからこそ、慈しんでやらなければ。
さて、今日は何をしようかな……。
デスクの上に目をやると、約束通りロイドが貸してくれた設計に関する2冊の本が置いてある。
「初歩の初歩からだ。ひょっとすると簡単すぎるかもしれないが、その場合は次のを渡すから返してくれればいい」
もちろん、初歩の初歩で十分なのだ。
私はまだ、正拳突きで腰の入れ方すらわかっていない新人なのだから。まだ少ししか読んでいないが、私にはちょうどよさそうだ。まずはそこから最初の一歩目を踏み出すとしよう。
あの本を読むのが、ひとつ。
もうひとつは隣の作業場で家具を作ることだ。最低限の作成でいいとは言われているけども、骨を折ってくれたウラリニスからの依頼だ。少しでも希望を叶えてあげたい。
家具作りも今日すべきことだ。平日はあまり時間が取れないからな。
だけど、少しやってみたいこともある。
あのルーローハン、うちで再現できないだろうか? 料理を作ろうという話なのだけど。
今まで、全て食事は外食ですませてきた。屋台ストリートとかパン屋とか、王都だけあって簡単にすませることができた。一人暮らしの生活に慣れないうちに、それを考える余裕もなかった、というべきだけど。
料理を作ってみたい。
そんな気持ちがふつふつと湧いてくる。
実は前世からも含めて、私は料理を作ったことがない。大丈夫なのか、という気もするが、料理が生産職の範疇にあるのなら、この肉体ならば少しの修行で対応できるはずだ。
それくらいなら、家具作りの時間も十分に取れるだろう。
……うん、よし、試してみよう。
そのためには食材を買う必要がある。目的を定めた私は身支度を終えると、意気揚々へと部屋の外へと歩き出した。
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