第24話 王都の休日
キクツキ工務店で働き始めてから、数日が過ぎた。
今日は初めての休日だ。窓から差し込む陽光など無視して、私はぐっすりと眠っていた。
仕方がないのだ……。
翌日は休みだ! その喜びから昨晩は思いっきり設計図の作成に勤しんだ。設計図は毎日のように眺めているので、それを紙の上に再現していく。とても面白い。書くたびに思う。ここが抜けている、ここがボヤけている――そう思った場所は正しい設計図を覚え直す。パズルの隙間が埋まっていく感じ、自分が正解へと近づいていく感じ。それが心地よくて、ついつい時間を忘れて没頭した。
別にいいか、明日は休みだし。
そんな感じで夜明けまで頑張ってベッドにダイブしたわけだが――
ピンポーン。
無情な音が玄関から響いた。誰かが呼び鈴を鳴らしたのだろう。
私は眠りが浅い。厳密には、深くぐっすり眠っているのだが、ちょっとした物音や気配でも目を覚ます。これもまた、前世のスキルの賜物だ。
……ああ、でも、今日は気づかないまま眠りにつきたかったなあ……。
誰かが来たようだが……誰だ? まだ知り合いもほとんどいない人間の新居に?
ピンポン、ピンポーン。
牧歌的な音が響き渡る。根が真面目なので、不在だと思わせるのも申し訳ない。私は寝ぼけた頭のまま玄関へと歩いていった。
ドアを開けると、そこにはウラリニスが立っていた。
「おはようございます。クラスト様――ひょっとしてお眠りでしたか?」
名推理というほどでもない。
寝不足気味の疲れた表情と、ひどい寝癖が今の私の有り様だ。誰だって想像できるだろう。
「ああ、そうだよ……」
ふぁふ、とあくびを噛み殺しながら私は応じる。
「これはこれは申し訳ございません……出直しましょうか、と言いたいところですが、実は荷物がありまして……」
ウラリニスの背後に、大量の荷物を積んだ荷車と見知らぬ男たちが立っていた。
「あれは、何?」
「家具作りの資材や工具でございます。今日が工務店の休むだったので、ちょうどいいかなと思いまして……ご迷惑をおかけしました」
「別に構わないけど、僕が家にいなかったらどうしてたんだい?」
「その場合は――」
ウラリニスが懐から鍵を取り出す。
「合鍵を使うつもりでした。一応、私の借りた物件ですからね」
「準備万端で何よりだ」
さすがは抜け目がないな。
荷物の搬入が始まった。倉庫への運び込みだけなので、そちらの鍵を開けて作業員たちに開放した後、私はウラリニスとともに居住側で終わるのを待つ。
洗面台で最低限の身だしなみを整えて、ウラリニスが待つ自室に戻ると、ふわりと芳しい香りが鼻腔をくすぐった。
「クラスト様、こんなものを買って参りました」
気の利くウラリニスがテーブルに広げたのは、またしても焼きたてのパンだった。
……ああ、これも食欲にくるなあ……。
起きていた時間が長かったので、当然、腹も減っている。今日は慌ただしく出勤する必要もなかったので、朝食の準備はしていない。とても助かる持ち込みだった。
「どうですか、クラスト様?」
「ありがとう。もらうよ」
パンを頬張りながら尋ねる。
「ところで、僕がもう朝食を済ませていたらどうしていたんだい? 一人で食べきれる量だとは思わないんだけど」
「その場合は、作業員たちへのプレゼントになります」
いやはや、実に抜け目がないね。
二人でパンを食べていると、今度はウラリニスが話題を切り出した。
「噂は聞いておりますよ」
「噂?」
「はい。昨晩、キクツキ工務店を訪ねまして、クラスト様について話を伺いました」
「何て言っていた?」
「まだちょっとしか立ってないのにわかるかよ! って怒られました」
「そりゃそうだろうね」
当然の話だ。
「ですけど、こう続けられましたよ。とんでもない化け物はよこしてくれたな――って」
化け物と来たか。
「キクツキさんは腕のいい職人でね……そう簡単に人は褒めないんですよ。そんな人がわずか数日でそこまで言う……何をしたんですか、クラスト様?」
ドキッ!
思い当たることがありすぎる……。
「い、いやあ……普通に仕事をしていただけなんだけどね……?」
……毎日のように「へ?」と誰かに言われていたような気がする……。
「……ひょっとしてクラスト様にはレベルが低かったですか?」
「いやいやいや! そんなことはない!」
結局のところ、私の能力は偏りすぎている。前世の能力を引き継いでいるがために他者よりも圧倒的な力を振るうことができて、生産の作業に大いに役立っている。
おまけに、幼少の頃から磨いてきた木工スキルも無視できない。木を加工することに関しては、もう生半可な職人では相手にならないだろう。今は主に木を使っている仕事なので、私の異能が目立ちやすいのだろう。
ならば、もう卒業?
いいや、そんなことはない。
建物の建設とは、それだけでは収まらない。
設計図の作り方もわからないし、基礎工事の知識だってなかった。木以外の材質、例えば石やレンガの場合どうするのだろうか? 屋根は見よう見まねでしか作れないが、本当にそれだけでいいのか?
職人であれば知っているべき知識が全くない。
「僕には知識が全くない。知らないことばかりで毎日が勉強になっている。いい経験ができていると思っているよ」
私がそう言うと、ウラリニスが嬉しそうな笑みを浮かべた。
「素晴らしいですな。クラスト様に成長してもらいたくて、この場を用意した自分としては感無量です。ぜひ存分に腕をお磨きください」
パンを食べ終わる頃、作業員たちが私たちを呼びにきた。
どうやら荷物の運び入れが終わったらしい。
移動すると、空っぽだった倉庫は運び込まれた資材で雑然としていた。雑然は少し言い過ぎか、それなりに整理した上で壁際に配置してくれているので。
作業員が口を開いた。
「置き直しします?」
「大丈夫です」
配置は作業時の導線に基づいて最適化するべきだが、それは作業前の現時点ではわからない。加えて私なら一人でも動かせるので、現時点で頑張ってもらう必要もない。
「作業終了ですので、我々は引き上げます。本日はありがとうございました」
作業員たちは一礼すると、空っぽになった大きな荷車とともに帰っていった。
ウラリニスが上機嫌な様子で倉庫を眺めている。
「これで作業はできますかな?」
「そうだね。問題ないと思う。足りなければ買うよ」
「問題は、時間が確保できるかですね」
「ううん、そうだな……」
正直、時間の余裕が見えない。今のところは目の回るほどの忙しさとは無縁だけど。この状況が続くにしても、村ほどの時間は取れないだろう。
「正直、どれくらいできるかは少しやってみないとわからないかなあ……」
「そうですよね、うん、そうなります。できる範囲で続けていただければいいと思います」
そこで、少しウラリニスの声が低さと厳しさを増す。
「必ず続けてください。少しでも」
「どうしたんだい、急に? 何か外せない予約でも?」
「いえ、そうではありません。これはクラスト様のことを考えてです」
「僕のこと?」
「はい、クラスト様の家具が評判だというのは前にもお話しさせていただいたと思いますが、それはきっとクラスト様の想像よりも強いのです。それを期待する声が多く、それゆえに、だんだんとクラスト様の作る家具は有名になっている。だけど、私は知っております。流行とはうつろいやすいもの。油断すると、すぐに新しい何かに取って代わられることを」
「つまり、その灯火を消さないためにも、僕は作り続ける必要がある、と?」
「はい。少量でも流通していれば、忘れられることはありませんので。修行に集中したいのが本音だとは思いますが、ここは踏ん張っていただきたいと思います」
もちろん、否はない。
基本的には『好きなようにしてください。サポートします』というスタンスのウラリニスがここまで言うのだから従うべきだろう。
「安心してくれ。作るから」
「おお、喜ばしく思います! 少量でも融通いただければ、必ず私が調整いたします。文句は言わせませんので」
そこで話は終わった。
ウラリニスが満足げに頷いてからこう切り出す。
「それではクラフト様、私も帰ろうと思います」
「そうか、わざわざ今日はありがとう。こんなことまでしてもらって」
「ところで、他に何かお困りごとはございませんか?」
「……いや、別にないけど……?」
ウラリニスの質問が気になった。
「どうしたの、急に改まって?」
「実は明日から行商の旅に出ようと思っておりまして、クラスト様のお世話ができなくなってしまいます」
「ああ、そうなんだ。そういうことか……だけど、大丈夫かな? 特に困ってはいないよ」
「わかりました。念の為、これを渡しておきます」
ウラリニスが1枚の紙を差し出した。
「私が懇意にしている王都の商会の住所です。何か困り事がありましたら、こちらに相談してください。クラスト様のことは伝えておりますので、力になってくれるでしょう」
「相変わらず抜け目ないなあ」
「ははは、ありがとうございます」
ウラリニスが一礼する。
「行商の旅ではクラスト様の故郷にも立ち寄る予定です。お父様によくやっていると報告しておきますよ」
そう言って、ウラリニスが立ち去った。
誰もいなくなった倉庫を、私は置かれている資材や工具を眺めながらぐるりと歩く。端に積まれている木材を手に取った。
触ると落ち着くと言うか、懐かしい気分になる。
自分のフィールドに帰ってきたような感じだ。そう、こここそが私の世界。私だけの世界。私が自分の好きなものを、どこまでもこだわって作成できる環境だ。
そう思うと、気分が昂ってくる。
思うがままに、好き勝手に作りたい創作の欲求が。
「……ちょっと作ってみようかな」
とりあえず、自分用の小さな折りたたみの椅子かな。しっかりとした作業机と椅子はあるのだけど、ぱっと持ち運んで座れる用途のものがない。
こういったものを自分で作って備え付けていくのも楽しみのひとつだ。
パーツを作っていくと、実に気分が上がってくる。
研磨され削られていく一つの形をなしにしていく様はとても気分がいい。武道もものづくりもある面において似ている。ひとつの究極を目指し、ただひたすら研磨にしていくという点では。
「ふふふ……」
私は笑みを口からこぼしながら、椅子作りに没頭した。
建設の修行と個人的な家具づくり――その2つが私の時間を支配する。だけど、どちらも極上だ。極上の料理を目の前に置かれたような気分で、なんと私は幸せなのだろう。甘い喜びを噛み締めつつ、私は今世を楽しんでいる。
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