第23話 出勤2日目
ルーローハンとは初めて聞く名前の食べ物だ。
細かく切った豚肉を主人公とする丼もの。それだけだと王道の極みだが、じっくりと煮て染み込ませた味が興味をそそる。
ほかほかの白米と、タレの染み込んだ豚肉を口に頬張った。
うまい!
醤油と砂糖をベースとした甘くて引き締まった味が、柔らかくなるまで煮込んだ豚肉にたっぷりと染み渡っていて楽しい気持ちにさせてくれる。
そして、白米。
味が濃いものに、これほど合う食材もあるまい。真っ白な色は、全ての食材を受け止める度量の表れだ。もう何色にも染めてください。いけない、美味しすぎて、自分が何を言っているのか理解できない……。
荒くみじん切りされた玉ねぎもいい食感を与えてくれる。
「美味しいね!」
「ははは、ありがとよ。たっぷりと食べろよ」
ご飯を食べ終わった後、私は家へと戻った。もちろん、途上で朝食用のパンも買っておく。
「ただいま」
そして、ドアを開けて気がつく。そうだ、一人暮らしだった。
照れ笑いを浮かべながら、私は風呂の支度をする。
上下水道は完備されていて蛇口を捻るだけで水が出てくる。そして、こちらも給湯器という魔道具のおかげで、温かいお湯が出てくる。
シャワーを浴びながら、体を包み込むような疲労を洗い流す。
ふぅ、気持ちいい……。
だけど、温泉に入りたいな。あの、温かくて大量のお湯にざぶりとつかると脳が一瞬で溶けてしまうほどに気持ちがいい。懐かしい気持ちになる自分をすぐ叱咤した。いくらなんでもホームシックにかかるには早すぎる。というか、温泉シックか……。
シャワーが終わった後、部屋着に着替えて自室へと戻る。
そこで一服――
ともならない。私はドアを開けて隣の倉庫へと入った。洗濯機に着ていた服を入れて、スイッチをオン。水の流れ込む音を聞きながら、ようやく今日の仕事がひと段落したと息をつく。もちろん、終わったら干さないとダメなんだけど。家を出るに際して、母親から猛特訓を受けたので、その辺は大丈夫だ。
がらんどうの倉庫を眺める。
見事なまでに何もない……。
ウラリニスとは継続して家具を作ると約束している。それゆえの、この広い作業場なのだ。工具や資材の手続きはウラリニスが持ち込んできてくれるらしいので、今のところは考えなくてもいいけど。
部屋に戻った。
ウラリニスが用意してくれた大きなデスクに座る。帰りに寄ってきた文房具屋で手に入れたペンケースを端に置き、一緒に買ってきた数本のペンを差し込む。
そして、こちらも購入した大きな紙を机の上に広げた。
真っ白な紙――
真っ白な世界。
私はペンを手に取った。何を描こうか? 悩む必要はない、もう決めていたから。私は脳裏に、今日、見せられた住宅の設計図を思い浮かべる。
もちろん、ところどころは思い出せず――全体も至極曖昧だ。
動物を思い出そうとしても、外形と毛の色くらいしか思い出せないのと同じ。瞳の輝きや髭の数、尻尾の模様が浮かばない感じ。
それでも、私は思い出せる限りのことを設計図に描き始めた。
間違っているのは間違いない。だけど、それでいいと思っている。設計とは己の未知なる分野だ。それを理解するには前へ前へと進み続けるしかない。これから毎日、設計図を見ることになるだろう。その度に、こうして書き続ければいい。そうすれば、曖昧だったものが形になっていくはずだ。それはきっと間違うのを恐れて何も書かないよりも、ずっと早く進化できるはずだ。
とにかく手を動かすしかない。
完璧なんてできなくてもいい。
いずれ完璧になればいいのだから。
その先にこそ、私が本当に設計したいもの――私の村の温泉宿がある。私の頭の中にあるふわふわしたものが紙の世界で具現化する。
ああ、なんて美しい未来だ。
理想に向かい、一人だけの空間で黙々と己の技術を磨き上げる。己の呼吸と、走るペンの音と、紙のカサつく音だけが支配する世界。素晴らしい。
前世の頃、己を磨き上げるためにしていた山籠りを思い出す。あれもまた、高みを目指す日々だった。こういったストイックな生き方が私には向いているのだろう。
なんて楽しい時間だ。
ああでもない、こうでもないと試行錯誤を重ねて――
これは危ない、と思って眠りについたのは夜明け前だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
うう、眠い……。
まだ2時間と少ししか寝ていないからな……。前世の肉体であれば1ヶ月くらい不眠不休でも問題はなかったが、今は成長期にして脆弱な普通の八歳。無理は効かないのだろう。
眠気と闘いながら朝の準備をして家を出る。
雑踏を歩きながら考えた。ついつい初日から熱くなってしまった……いかんなあ……。仕事がある日はもう少し抑えないと。今日の夜はゆっくり寝よう……。
キクツキ工務店に到着する。
「おはようございます」
すでに来ていた職人たちの反応は、昨日とはまた違ったものだった。
なんだろう……凶暴な珍獣を見つけた感じ?
うさぎに似た可愛い生き物だと思っていたら、世にも珍しい珍獣で、そうか、珍獣かと思っていたら、半端じゃなく凶暴な珍獣だったというオチで恐怖を覚えている――みたいな?
うん、間違いない。これは私の武勇伝が色々と伝わっているのだな……。
別にいいけど。
もはや隠すつもりも特にはない。邪竜グリモアがあんなことを言っていたけど、本当にくるの? という感じだしな。
一般的にはやり過ぎだっただろう。自重するつもりも特にはないが。
ほどなくして親方がやってきた。
「おはよう、全員集まってるな。今日もよろしく頼むぞ」
他の班たちを送り出した後、親方が私たちの仕事についての割り振りを話し始めた。
今日の私は内勤らしい。
親方たちは昨日と同じラスベン地区に向かうが、私はスルトンとともに木の杭を作ることになった。
「お勉強というやつだな。よろしく、ロイド、クラスト」
そう、やや私への当たりが強いロイド少年とともに。
「クラスト、お前がやらかすたびに他の連中の作業ペースが落ちる。今日はそこで仕事してろ」
半ば冗談混じりに――逆に言えば、半分は本気でそう言って、親方たちが現場へと向かった。
私はストルンとロイドとともに木の杭作りに励む。
スルトンの足元には、現場で私が打ち込んだものと同じ木の杭が転がっていた。
「これと同じものを作ってくれればそれでいい。こんな感じに、片方を尖らせて。あと、ハンマーで打ち付ける部分は平らに。あとで板を張って家の土台にするからな。最後にタールを塗って防腐処理をして終わりだ」
作業が始まった。
作業そのものはそれほど複雑でも何でもない。完成系はほとんど丸太そのままなので、最低限の加工をするだけだからだ。
黙々と作業を進めて木の杭を作っていく。
「やはり速くてうまいなあ。クラストは」
ストルンが感嘆の声を漏らす。
このような大工仕事をやったことはないけれど、切ったり削ったりするところの基本は家具作りと同じなので迷うことはない。その点に関しては木工スキルが役に立っている。
一方、ロイドも正確に木の杭を作っている。横目で見ているとなかなかの手際で、彼が熟練した技を持っていることは明白だ。
うんうん、とストルンが嬉しそうに頷いた。
「ロイドもやるじゃないか」
「……ありがとうございます……」
ボソリと言ったが、その表情はあまり満足していないようだった。彼の視線はたびたび比較対象である、私が作っている木の杭へと動く。
おそらくは、自分の木の杭に満足していないのだろう。
はっきり言って、2人の成果物に実用上の違いはない。売るとするならどちらも同じ値段で売れるだろう。
だけど高いレベル――親方レベルの特級品を理解できる人間が見れば差異は明白だ。間違いなく、その領域で選ばれるのは私が作った木の杭だろう。
その違いにロイドは気づいている。
だから悔しいのだろう。
しかし、それは彼の技量が高いことを意味している。実力がなければ、気づけないことなのだから。
……どうしてそこまでの感情を私に見せるのだろうか?
「ねえ、ロイドさん」
ストルンが席を外したタイミングで声をかけてみた。
無視されたらどうしようかと思っていたが、意外と顔を向けてくれる。
「……素晴らしい腕を持っているね」
切り出し方は合っているだろうか……? さすがに、どうして私をそんなに意識するんだい? とは聞けなかったので、褒めから入ることにした。だけど、ロイドは渋い顔をするだけだった。
「俺よりもいいものを作るお前に言われてもな……」
逆効果だった。
そうかな? とすかした感じに返すのはきっと逆効果だろう。だから、肯定で返す。
「そうかもね」
「どうしてそんなにすごい腕を持っているんだ? まだ8歳だろ?」
「ううん、でも、ロイドさんもすごい腕前だと思うよ?」
「お前よりも劣っているよ。8歳のお前にな」
「そんなに思い詰めないでもいいんじゃない? 年齢とか――結局、伸び代のほうが大事だと思う」
ロイドは首を振った。
「どうだろうな。少なくとも、現時点で才能の差があるのは事実だ。最近、俺はここまでと言われているみたいで――」
ロイドが不自然に言葉を切った。
「……なんでもない。気にしないでくれ。作業に戻ろう」
黙々と動かし始めた手を止めてロイドが最後に付け加えた。
「負けるつもりはない。追いつくから」
それだけ言うと、ロイドは作業に戻った。絶対に話しかけるなオーラがすごいので、私も口をつぐんで作業に戻る。
とても、楽しい気分を覚えながら。
誰に? と聞く必要はない。私なのは明白だ。私に対してこうも熱い感情を持ってくれるということは、とても光栄で愉快なことだ。
絶対に負けてやるものかと思えるから。前世の頃から、負けず嫌いなのは変わらない。
どうやら、ライバル視してくれているようだ。親方から私の噂を聞き、実際に私を見て、己を高めることに取り憑かれているのだろう。
悪くはないが――
やや性急すぎる気もする。普通は、そこまでの情念を持てないと思うのだが。
――血は争えねえな。あいつの父親は有名な……。
そんなことをラードンが言っていた。その言葉が関係するのだろうか。
もちろん、詮索するような話ではない。いつかわかればいい、くらいでいるとしよう。
やがて、予定した本数の木の杭が完成した。
スルトンが満足げな様子で、それらを眺める。
「二人とも素晴らしい出来だよ。これなら親方も喜んでくれる。乾いているものを今から搬送、残りは明日で。それじゃ動こうか」
こうして、私は2日目もまた問題なく仕事を終えた。
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