第20話 基礎工事をしましょう

 いよいよ仕事が始まる――しかし、キクツキたちはすぐに出発しなかった。


「どうしたんですか? 今日はここで作業ですか?」


「いや、違うさ。でも、まずはレクリエーションだよ。図面を見ないとな」


 そう言って、キクツキが大きな紙をテーブルに広げる。

 そこには、これから作成する家の設計図が描かれていた。


「作業場所は王都のラスベン地区だ。後期は3ヶ月、木造2階建ての民家だ」


 私は食い入るように図面を眺めた。

 しょせんはただの民家だ。それはきっと、建築を生業としている彼らにとっては何の変哲もない、当たり前の設計図なのだろう。だけど、新米でしかない私には違う。

 生まれて初めて見るプロの仕事だ。

 ……今までは図面を起こす場合でも我流でやっていただけだからな。スケッチレベルでしかない。

 だけど、これは違う。

 どこがどうなって、どういう判断のもとに設計がなされているのか――私の学ぶべきことが、この紙には凝縮されている。ワクワクした。これを読み解いて、わからなければいけない。自分のものとするために。

 前世を思い出すな……。

 そう、謎の流派の奥義を見たときの気分と同じだ。私の知らない術理によって、強力な一撃が作られている。それはどうやって? なぜ起こる? 戦いながら必死に解明しようとする喜び。

 ……ふふふ、戦いの熱から遠ざかって久しいが、職人には職人の戦いがある。退屈しないものだ。

 設計図について質問攻めにしたい気持ちもあるが、今はその時でもなければ立場でもない。グッとこらえて親方の話に耳を傾けた。 

 工事についての細かい話をした後、キクツキは会話を締め括った。


「――以上だ。何か質問はあるか?」


 新人らしく、ここもまた沈黙をしておこう。あまり初日から目立つものでもない。

 他の職人たちからも質問はなく、出発の準備に取りかかった。

 持っていく資材や工具を荷車に積んで、工事現場であるラスベン地区へと向かう。

 荷台には荷物が満載だったので、なかなかの重量だと思うのだが、ロイド少年が黙々と引っ張っていた。

 私の隣を歩くラードンという大工が、私の肩をポンポン叩きながら口を開いた。


「おい、新入り! ラッキーだったな!」


「どうしてですか?」


「本当ならな、荷運びは新入りの仕事なんだぜ。だけど、お前はガキすぎるからな。免除されたってわけだ」


「そうなんですか? できますけどね」


「は?」


 ぽかんとしたラードンの顔を見て、失言に気がついた。まあ、言ってしまったものは仕方がないのだけど。


「がははははは! 負けん気の強いガキだな! おっかねえおっかねえ」


 ……冗談だと解釈してくれたか……。

 助かったが、それとは別に心苦しさあるな。実際、あの程度の運搬は余裕なので。やる能力があるのに、黙ったままやらないのはな……仕事を他人に押し付けてみるみたいで気分も良くない。

 少なくとも、ロイド少年は楽に持っているようには見えないので。

 ひょっとして、彼が不機嫌なのは新入りなのに私が荷物役を免除されたからだろうか?

 それなら、わからなくもないのだけど。


「ラードンさんはここに入って長いんですか?」


「おうよ! もう10年になるぜ。キクツキ工務店がここまで来たのは俺のおかげだな!」


「おいおい、新入りに何を吹き込んでいるんだ?」


 前を歩いていたキクツキが、意地悪い笑みを閃かせて振り返る。


「物覚えの悪いお前を10年かけて、そこそこの大工にしてやったんだろうが。大貢献どころか大赤字だ。これから返せよ」


「うっは、これは厳しい!」


 やりこめられたラードンの様子を見て周囲のメンバーが釣られて笑う。ロイド少年は笑うことなく、黙々とに馬車を引っ張っていたけど。

 私はラードンとの話を続けた。


「……じゃあ、ここにいる皆さんについて教えてもらってもいいですか? 長く一緒にいますよね?」


「ああ、いいぜ!」


 ラードンが機嫌よく周りのメンバーについて話をしていく。当然、それは当人たちにも聞こえているわけで、彼らみんなから怒涛の勢いで訂正を受けることになった。

 なんとなく、ラードンの立ち位置がわかってきたな……。


「で、最後がロイドだな」


 ……ついに来たか。集中力の段階をあげる。仲間たちに興味があるのは事実だが、あくまでも彼のことを聞きたくて尋ねた質問だ。


「ロイドのやつは1年前くらいに、うちに来た期待のホープだ。普通、あんなに若いやつをうちは取らないからな……8歳のお前が来ていて説得力はないけど」


 私がさりげなく視線を送ると、ロイドは会話に反応することなく、無言で荷車を引いている。


「腕は――まあ、まだまだ俺の筆には遠いかな」


 瞬間、


「嘘つけ!」


 周りから一斉に抗議の声が飛んだ。


「とっくに抜かれているだろうが!」


「ああ!? うっせ、まだ抜かれてねーよ! まだちょっとばかりし、俺の方が上だよ!」


 ……どうやら差はちょっとまで縮まっているようだ。

 まだ年は14歳くらいに見える。

 それで、10年ほどのキャリアを持つラードンと近い腕前なのは、なかなかにすごいのだろう。


「ロイドさん、腕のいい職人さんなんですね」


「そりゃそうだよ。血は争えねえな。あいつの父親は有名な――」


「おい、やめねえか!」


 鋭い声をキクツキが発した。


「くだらねえおしゃべりをいつまでしているんだ! 仕事の手順でも考えてろ!」



「はい、すんません!」


 しまった、という表情をしてラードンが背筋を伸ばす。


「つーわけで、話はここまでだ。わかったか、坊主」


 それから、ラードンは後ろを歩くロイドに視線を向けた。


「すまねえな! ロイド! 悪気はないんだ。つい、うっかりだ!」


「別に気にしていませんよ。ラードンさんが口を滑らせやすいのは知っていますから」


 からかう調子でもない淡々とした口調だったが、怒っているというよりは、そういう人間なのだろう。痛快な一撃に周囲が大笑いする。なるほど、ラードンの立ち位置がわかったような気がした。

 そんな会話をしているうちに、建築現場であるラスペン地区の一角にたどり着いた。

 住宅街でずらりと様々な家が立ち並んでいるが、そこだけは真っ平な土地だった。


「ここは?」


「もともとオンボロ屋敷があったわけだけど、別の業者がぶっ壊した更地だな。ここに俺たちが家を建てるってわけだ」


「まずは何をするんでしょうか!?」


 いよいよ実地。ワクワクして仕方がない。もちろん、下ができなければ上を作れるはずもない。床から作っていくのだろう。

 脱衣所の小屋もそうやって作った。規模こそ違えど建築は基本的に同じだと思っている。なので、間違っていないはず――


「まずは穴を掘るところからだな」


「穴?」


 意味不明だった。建物を作るのに、穴を作ってどうするというのか。建物が奈落の底に沈んでいくだけなのだが。ああ、そうか。


「地下室のある部屋なんですね?」


「違うわ! まずは基礎工事だ!」


 聞いたことのない、面妖な言葉だった。だけど、どうやら場の雰囲気からして、ポカンとしているのは私だけのようだ。


「いいか、クラスト。建物ってのはな、まず最初に土台から作るんだよ。地面に直で建てると、家が傷みやすいからな。わかったか?」


 言われてみると確かにそうだ。なるほど、それがプロの仕事なのだ。


「村で利用する小屋を作ったんですよ。そういうのはしなかったですけど、まずいですか?」


「長く使うつもりでもないのなら、別にいいんじゃないか。田舎の村くらいなら、資材も人もいないから、そこまで手間をかけない場合もあるさ。金はかかるもんだからな。ただな――」


 一拍の間を置いてから、親方が続ける。


「王都に家を建てる連中ってのは、それなりにいいものを求めてくるからな。あと、ここに建つ建物には、それなりの『格』ってがある。だから、きっちりと基礎工事からやるのさ」


 ……なるほど……当然、温泉宿は最高の格を持って作りたい。基礎工事というのをしなければな。

 そんなふうに考えていると、ラードンが話に割って入ってきた。


「おい、クラスト」


「なんでしょうか?」


「村で利用する小屋を作ったって、犬小屋だよな? 犬小屋で基礎工事するなよ。犬小屋、場所変えられなくなるからな?」


「いえ、普通の小屋です。えーと、高さはこれくらいで、あの辺に壁があって――」


 私は身振り手振りで高さと広さを伝えてみた。

 すると、メンバーたちに動揺が走った。その目は、こいつマジやべーと物語っている。あれ? ひょっとして、また失言した?

 でも、言ってしまったものは仕方がない。


「お前、その年齢で、そんな小屋を作ったの? 本当に?」


「はい、本当です」


 開き直り作戦スイッチオン。

 ラードンたちが口々に、信じられねえ、マジかよ、と言葉を吐く。だけど、そこで口を閉ざしたままの人物が二人いて、一方が口を開いた。


「おいおい、疑ってどうする。おそらく本当だよ」


 親方のキクツキだ。


「昨日のアレを見ているからな。こいつならそれくらいのことはやってのけてもおかしくはない」


 そして、その視線を私に向けた。


「だけど、建物として完璧かというと、それは違うだろう。いくらお前だって、知らないものを完璧に作ることはできない。俺たち職人が何百年と蓄えてきた技術を一人で超えることなんてな」


 それは当然の話だ。今の私は少しばかり手先が器用な子供でしかない。

 その膨大な技術を学ぶために、私はここに来ている。


「色々と教えてやろう。ちょっとばかし腕が立つからって調子乗るなよ?」


「もちろんです」


 そのために、ここに来たのだから。

 そこで話は終わったかと思ったが、そうでもなかった。残ったもう一方――ロイド少年が私に向けて熱烈な視線を飛ばしてくる。

 強烈に私を意識した視線を。

 この期に及んで、ここまで強い感情を見せてくるとなると、荷物役の件で恨んでいるわけではないのだろう。であれば――

 キクツキが両手をパンパンと叩き、まだ訝しんでいる職人たちに声を張り上げた


「どっちみち、本当かどうかなんて、これから仕事すりゃ分かるさ。さあ、始めるぞ」


 仕事が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る