第19話 出勤初日

 翌日、初めて寝るベッドで目を覚ました。

 しんと静まり返った殺風景な部屋に違和感を覚える。安普請の実家だと、どこからか必ず家族の物音が聞こえてきていたからだ。

 だけど、ここにはクラスト以外の人間は誰もいない。

 久しぶりの静寂に違和感を覚える。

 そんな不思議な感じに身を任せていたかったが、そうのんびりしているわけにもいかない。今日はキクツキ工務店での初仕事が待っているからだ。


「しまったな……」


 お腹を手で抑えてぼやく。

 寝起きの空腹がなかなかひどい。キッチンには冷蔵庫も置いてあったが、残念ながら、何も入っていない。昨晩はウラリニスと夕食を取ったので、食事の調達が必要なかった。


(買っておくべきだった……)


 そんなことを今さら思っても後のまつり。一人暮らしというものはそういうものだ。失敗を重ねながら、今までと違う新しい生活に慣れていくしかない。

 外出用の服に着替えると、呼び鈴が鳴った。

 玄関のドアを開けると、そこにウラリニスが立っていた。

 今日の初出勤まではウラリニスが帯同してくれるという話で、出迎えにくるとは聞いていたが――


「あれ、まだ時間、早いよね?」


「ええ。でも、クラスト様がお腹を空かせているかと思いまして……」


 にこやかな顔で、道中で買ってきたであろう紙の包みを取り出した。封をされてはいるけれど、それでは抑えきれない焼き立てのパンの香ばしさが漂ってくる。


「いかがでしょうか?」


 どこまでも気がつく、如才のない男だった。


「ウラリニス! 君がいてくれて本当に助かったよ!」


「ははは、そう言ってもらえると嬉しいですな!」


 焼き立てのパンをたっぷりと食べてから、クラストはウラリニスとともにキクツキ工務店へと向かった。

 朝、王都そのものが起きあがろうとする時間帯。

 王都に暮らす人々が、仕事を始めるために往来を足早に歩いていく。その流れに乗って歩きながら、クラストは口を開いた。


「すごいね、この人の量は。さすが王都だ」


「ふふふ、クラスト様が暮らしていた村とは違うでしょう?」


「そうだね、何もかもが早い」


 もちろん、前世の記憶があるから未経験ではないのだけど、やはり、8歳児の記憶の印象――濃淡は現世に強く引っ張られる。


「大丈夫ですよ、クラスト様ならすぐに慣れますから。困ったときはいつでも私にご相談ください」


「頼りにしているよ、ウラリニス」


 キクツキ工務店は昨日までと変わらない佇まいだった。

 なので、昨日と同じく大きな口を開けている隣の作業場から入っていった。私たちに気づいた職人たちが手を止めて視線を向けてくる。


 ――違う。


 内部の空気が昨日と比べて明らかに違っていた。昨日までの、どこか好奇心が先行したふわふわした空気とは違う、熱――私という存在を値踏み、確かめようとする意思がそこにあった。

 おそらくは、昨日の顛末を親方のキクツキから聞かされてのことだろう。

 当然、腕利きの職人たちだ。

 昨日の話を聞けば心中穏やかではないだろう。私という特異点に興味を持っても仕方がない。怯む? いいや、昂る! そんな剥き出しの情熱を向けられれば、こちらの胸も燃えてくるものだ。ここは一流の職人たちが集まる場所。相手にとって不足はない。

 それに、一人、興味深いやつがいる。

 歳のころは14歳くらいだろうか、大人の職人たちよりもずいぶんと若い少年がいた。他の職人たちよりも鋭い、情念を剥き出しにした視線を投げかけている。


 もしも戦場であれば、一騎打ちを挑まれているような気分の気迫だ。

 面白い、実に面白い。


 さすがに異質な空気を感じたのだろう、ウラリニスがたじろぐ。

 私のほうは構わず大きな声をあげた。


「おはようございます!」


 最初の挨拶は人間関係の基本だからな。

 職人たちが、うーす、とか挨拶しているとか、していないのか、よくわからない声を返してきた。まあ、こちらを知っているとはいえ、正式な紹介もされていないのだから、そんなものだろう。これを仲間と認めさせ、いつかは心からの挨拶をもらいたいものだ。

 入り口で佇んでいると、キクツキがやってきた。


「おはよう、坊主。逃げずにきたな」


「よろしくお願いします」


「ガキだからって遠慮はないぞ。金を払っている客からすれば、年齢は関係ないからな」


「当然です」


 己を鍛え上げるために来たのだから否はない。こちらだって真剣勝負のつもりだ。

 そんな私たちをウラリニスが、まるで親が旅立とうとする子供を眺めるかのような視線を向けていた。


「クラスト様をよろしくお願いしますよ、キクツキさん」


「こいつ次第だ。だけど、耐えられるのなら、一人前――いや、十人前にして返してやるよ」


「それは頼もしいですね。それでは、私はこれで失礼致します。クラスト様、頑張ってください」


「うん」


 一礼して作業場から出ていくウラリニスを見送ってから、キクツキが大声を上げた。


「おい、お前ら、聞け! 新しい仲間を紹介するぞ!」


 職人たちが気だるげな様子で立ち上がる。


「こいつはクラストだ。どこぞの村をおさめる貴族の小倅だそうだが、普通に扱って欲しいと言っている風変わりな坊主だ。敬語はいらねえから普通に接しろ。文句を垂れてきたら俺に言え!」


「うーす」


「自己紹介しろ」


「クラスト・ランクトンと申します。家の建築を学びたいと思い、縁あってキクツキさんの下で働かせいただくことになりました。若輩者ですが、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」


「クラスト」


「はい?」


「キクツキさんじゃなくて、親方な」


「わかりました、親方!」


 それから順に職人たちが名乗っていく。興味深いのは――

「カランティス、大工だ」


「フロル、塗装工」


 大工、石工、レンガ職人、屋根職人、塗装工。

 興味深いのは、彼らが名前の他に役割を述べることだ。つまり、複数の役割がある。少し考えてみれば当然だ。建築が複数人で行うチーム作業である以上、それぞれに専門を置くべきなのだ。モンスターの討伐戦における敵の攻撃を受けるディフェンス、敵を攻撃するアタッカーのように。


「ロイド、大工だ」


 なぜか気配の入っている少年が名乗る。他の職人たちも愛想はないが、彼は愛想を突き抜けて、敵意にも似た棘を感じる。どうしたんだろう?


「で、俺が親方のキクツキだ」


 ……おや?

 一拍の間を置いてから、キクツキが続ける。


「もうわかってはいると思うが、それぞれ役割――専門分野を持ってもらう。坊主、お前にもいつかどこかに入ってもらうから、興味があるものを探しておけ」


「親方の専門はなんですか?」


「ああ、言わなかったな」


 キクツキがニヤリと笑った。


「俺はオールマイティ――万能だ。どれでもできるから、ヘマをやらかしてもフォローしてやるぞ」


 おそらくスキルで表現するのなら、他の職人たちは専門以外は普通で専門が抜けている。一方、キクツキは全てが高いのだろう。ちなみに、スキルレベルをみんな口にしないのは恥ずかしいからとかではなく、あれは私にしか見えないらしい。そして、私が見えるのも自分のものだけのようだ。レベルを共有できれば説明が楽なのだが。


 オールマイティ。素晴らしい言葉だ。私が目指すべきものだな。


 戦場でも役割分担は基本だった。盾を持つ騎士、両手剣を持つ戦士、強力な魔法を使う魔法使い、防衛のスペシャリストである神官――彼らが束となって初めて強敵を討ち果たすことができる。だが、前世の私はその埒外にいた。私はたった一人で戦い、たった一人で敵を撃破し続けた。私は最高のディフェンダーであり、最高のアタッカーであった。

 等量の才能を持つ肉体であれば、同じ領域を目指すのは当然のことだ。

 そもそも、私は一人で温泉宿を作るのだ。それくらいできなくてどうする?


「よーし、挨拶はすんだな。じゃあ、解散だ。各自、現場に向かってくれ」


 職人たちが荷物をまとめて作業場から出ていく。建築である以上、仕事は外での作業になる。ここでは建築作業で使う資材の作成や準備をしているのだろう。

 おそらくは複数の案件を抱えているのだろう、職人たちはいくつかのチームに分かれて出ていく。


「僕はどうしたらいいんですか?」


「仕事のイロハもわからんお前は、俺が面倒見てやるよ。ちょうど新しい案件がある――ロイド! お前もこい!」


 ……ほう、あの戦意マンマンの少年も同じなのか。近づく際、一瞬だけ私に飛ばしてきた視線は鋭く、刃を思わせるものだった。相当に私を意識しているな。

 ようやく初仕事というわけだけど、さて、どうなることやら。

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