第18話 一人暮らしの家

 しまった!

 私もまた、ようやく自分のやらかしに気がついてしまった。

 ……まず、わずか8歳の子供が、大人でも運ぶのには苦労しそうな木の幹を軽々と持ち上げていることがおかしい。

 もちろん、私にとっては何の不思議もない。物体の重心を把握して、最大効率で支えればこれくらいは造作もないことだ。種を明かせば誇るほどのものでもないのだけど。

 さらに、その幹を手刀で叩き割ったのも問題だ。

 基本的には、斧など刃物を使うからだ。村だと人の目があるときは技を使わないよう気をつけていたのだけど、王都ハイすぎて少し気が回らなかった。

 それを八歳児がしたのだから、外見状のインパクトがすごいのは認めよう。

 ……これを収めなければ……。


「ええと……置いただけで、木が割れた?」


「いや、むっちゃ手刀を振り下ろしていたよな? はあ! とか叫んで」


「木が古かったんでしょうかね? 意外と軽くて、脆かったです」


「そんな感じの木には見えねえがな?」


 割れた木の断面を見ながら、キクツキが小さく息を吐く。


「ま、いいさ。凄腕だって聞いているからな。邪魔して悪かった。続けてくれ」


 ……今度はちゃんと工具を使おう……。

 丸太から板を作るという作業は、単純にいえば、丸太を薄くスライスしていくことだ。そうすることで、丸太は木の板となっていく。私は斧を使いながら、丸太をバラしていった。次に、割った木の板をカンナで削って表面から荒さを取り除く。

 やがて――


「終わりましたよ」


 数枚の木の板が完成した。

 キクツキがしゃがみ込んで、私が作ったものに触れる。


「ほお……こりゃすごいな」


 口から漏れるのは感嘆の息。板を持ち上げて、じっと表面に目を走らせる。


「こいつはすげえな。表面に一切の歪みがねえ。凪の海みたいじゃねえか。絹のような触り心地も納得だな、こりゃ。おいおい、こんなもん、市場に出したら最上ランクで取引できるレベルだぞ!」


 キクツキの目が興奮で輝いている。それは、本当に素晴らしいものに出会ったときに職人が浮かべる目だ。

 派手な技による、工具不要の製造術が私の武器ではない。

 肉体を完璧に、ミリ単位の調整で動かせる技術がゆえの精密な動きこそが生産では役に立っている。鍛錬で極めたものは万事に役立つものだ。


「おい、坊主! お前、どれくらい研鑽を積んできたんだ!?」



「100年以上ですかね」


「ガハハハハハ! ふざけやがって! 冗談まで口にするとはたいした度胸だ!」


 本当のことなのだけど、この言い分を否定できるはずもないか。

 キクツキがウラリニスに目を向けた。


「おい! 気に入った! こいつはうちが引き取る!」


「本当ですか!?」


「ああ、とんでもないもんを連れてきてくれたな……こいつはマジもんの天才だ。俺が鍛えてやる。いや、俺以外には任せるな。こいつは俺のものだ」


 ウラリニスの顔が高揚で赤くなっている。握りしめた右手が小さく震えていた。

 感無量なのだろう。

 己が信じた『私』という才覚が、王都でも有数の職人に最大級の賛辞で迎え入れられたのだから。


「やりましたね、クラスト様!」


 私という存在が認められれば、紹介したウラリニスの株も上がる――だけど、彼の喜びはその埒外にあるものだろう。認められて欲しい知り合いが、そこに至ったことを心の底から祝福する感情だ。

 そんな人物に出会えたことが嬉しいし、そんな人物の想いに応えられことも嬉しい。


「ありがとう、ウラリニス。頑張るよ」 


 そんなわけで、私の王都での仕事先が決まった。

 明日の朝にまた来ると約束して、私とウラリニスはキクツキ工務店を後にした。


「これからどうするんだい、ウラリニス?」


「王都で、クラスト様が暮らす家を見にいきましょう」


「おお!」


 実にテンションが上がる。初めての一人暮らしだ。

 ちなみに、いくら家の管理に必要な細かいことはウラリニスがやってくれるとはいえ、8歳児が一人で暮らすのはいかがなものかとも思うのだが、両親は特に反対しなかった。


「大丈夫だろ、クラストは大人びているからな」


「そうね、100歳を超える老人みたいな落ち着きだものね」


 はい。100歳を超える老人です。

 確かに、生きる面でも心配はあまりない。暴漢に襲われてもひねりつぶす自信もある。


「ここです」


 ウラリニスが案内してくれたのは、キクツキ工務店から徒歩で10分くらいの近場にある家だった。

 それは、キクツキ工務店をそのまま縮小させたようなレイアウトだった。大きな倉庫部分があって、横には住居部分が併設されている。


「あの倉庫が僕の作業場所なんだね?」


「はい。入り口が大口の横型スライドドアですので、搬出の点も問題ありません」


 倉庫のドアに鍵を差し込んで、がらりと開く。

 がらんとした空間だった。村で使っていた部屋よりも広いくらいなので、作業するには充分だろう。壁際には古びた洗濯機があった。


「これは動くの?」


「はい、旧式ですけど……魔石など消耗品は言っていただければ用意いたします」


「それくらいは自分で買うよ」


 洗濯機とは、その名の通り、洗濯をしてくれる機械だ。ただ、普通の機械ではなくて、魔道具と呼ばれるものだ。ようするに、あらかじめ用意された魔法の力で動くのだ。洗濯機には『洗濯』の魔法がかかっているので、スイッチを押すだけで服を洗ってくれる。

 魔法の発動には魔力が必要で、それを供給するのが魔石だ。その名の通り、魔力がこもった好物で魔道具の動力源となる。

 倉庫には2つのドアがある。手前のドアが居住区域側へと繋がっていて、最奥にあるもう一方は――


「ここに洗濯物を干すのか」


 少しスペースがあって、ひさしの下に物干し竿が並んでいる。

 ドアを閉じて、居住部へと入っていく。

 ドアを開けると、そこは部屋だった。すでにベッドとデスク、クローゼットが置いてあった。デスクにはノートや筆記用具まで用意されている。


「私のほうで手配しておきました。こちらで大丈夫ですか?」


「ありがとう、充分だよ」


 棚とかがあってもいいと思うが、その辺は自分で買うか――いや、作るか。

 部屋には、入ってきたドアとは違うドアがある。玄関口につながるものだろう、押し開けると想像した通り廊下になっていて、その先に玄関がある。

 廊下の右手側には小さなキッチンが付いていて、左手側にはドアがある。

 ウラリニスがドアを開けた。そこはトイレとシャワー室、洗面台が一つにまとめられたユニットバスになっていた。

 ウラリニスが恐縮した様子で口を開く。


「セパレートのほうがいいとは考えたのですが、あいにく周辺になく――1に作業場所の確保、2にキクツキ工務店への通いやすさを優先させたのですが、問題ありますでしょうか?」


「いいよ、別に」


 気を使ったというよりは、本当に気にしていなかった。二人以上で暮らすとトイレとシャワーの利用を同時にできないデメリットがあるが、一人暮らしなので関係ない。


「では、外に出ましょうか」


 玄関のドアを開けて外に出て、見学ツアーを終了する。


「こちらが手配した部屋ですけど、どうでしょうか?」


「不満はないよ」


 むしろ、完璧だろう。作業場所もあるし、居住部分もそれなりの広さを確保している。キクツキ工務店で修行に明け暮れる予定で、寝場所さえあればいいと思っていた私にとっては素晴らしいくらいだ。キッチンの狭さが少し気にはなるくらいかな……。

 私の言葉を聞いて、ウラリニスがほっとした顔をした。


「よかったです、気に入ってもらえて」


「家賃はいくらくらいなの?」


 キクツキ工務店は王都でも賑わいの多い商業区域にある。そこの近場だから、高くはないと思うのだが。

 ウラリニスは首を振った。


「お気になさらず。私のほうで支払いますので」


「え、それはまずいよ」


 私が貧乏少年ならともかく、家具販売によって一定の収益を上げている。そこまでしてもらうのは悪い気がしてしまう。それでも、ウラリニスは首を横に振り続けた。


「こちらに住んでもらいたいのは、私の都合もありますので」


「どういうこと?」


「近場に住んでもらったほうが家具を作る時間を多く取ることができます。結果として、私の収益も上がります。もしも申し訳ない気持ちがあるのなら、そちらで返していただければと」


 商人の利をウラリニスは口にしているが、それだけではないのは明白だ。

 少しでも、この人の道行の手伝いをしたい――

 そんな強い感情が瞳には宿っている。前世でもよく向けられた瞳だ。人が、人に惚れ込んだときの目。

 ならば、素直に受け取るとしよう。


「わかった。そっちで頑張るよ」


「はい」


 本当に嬉しそうな笑みをウラリニスが浮かべた。

 仕事も決まり、家も決まった。これから王都での生活が始まる。1分1秒を無駄にするつもりはない。ウラリニスだけではなく、父や母、みっちゃん、村中のみんなが私に期待してくれている。

 この王都で己の腕を磨きあげるのだ。

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