第16話 約束と旅立ち
根を失った切り株など、この肉体でも充分に対応できる。
「ふん!」
気合いとともに、切り株を引っこ抜いて横に投げ捨てた。
これで終わりなら楽でいいのだが、残念ながら土に埋まった根の除去がある。ここばかりは前世の技も役に立たないので、地味に掘っていくしかない。持ってきていたスコップで地面をかき出しつつ作業を進めていく。
そんな感じで、しばらく温泉周りの木を切り倒していくのが私の日課となった。
もちろん、伐採した樹木はさらにバラバラに分解して、木材へと加工してハントに渡しておく。私が帰還した後、山ほど木材は必要になるのだから、少しも無駄にはできない。
そんなこんなで温泉周りをずいぶんと広くしてから、私は次の作業に取り掛かった。
建築である。
簡単に構造を考えると――
・温泉の周囲を背の高い柵で覆う。
・温泉内部も背の高い柵で区切り、男湯と女湯に分ける。
・周囲の柵と出入りできる形で、男女の脱衣所を作る。
こんな感じだろうか。
建築に関しては初めてなのだが、率直なところ、かなりしょぼい建造だ。ほとんど柵だし、脱衣所も簡単な構造――巨大な犬小屋くらいのイメージだ。温泉宿を作るときには大きく作り直すつもりだから、耐久年数も考慮しなくていい。そう考えると、木工の延長だろうから、今の私でもどうにかなるだろう。
そんなわけで、私は黙々と作業を進める。
そして、春が近づく頃、ついに簡易設備が完成した。
丸見えだった温泉は、私が作った柵にぐるりと囲まれている。
「わあああああ、すごおおおおおおおい!」
見るなり、歓声を上げてくれたのは、みっちゃんだ。
私が温泉周りの工事に入れ上げているのを知り、完成したら一番最初に教えてね! と(半ば無理矢理)約束させられたのだ。
私は律儀な男なので、もちろん、約束を守る。
ちなみに、みっちゃんの手にはお風呂セット一式があった。入って帰る気満々である。
「こっちだよ」
私は男性側の脱衣所へと向かった。
脱衣所は、無骨な直方体の小屋である。壁際には木製の棚を作っていて、そこに複数のカゴを置いてある。各自の服を置くためのスペースだ。防犯性能が皆無だが、今のところは田舎の勝手知ったる人だけが使うもの。妙な気を起こす人間はいないだろう。
「ここで服を脱いでから温泉に入るんだよ」
「うん、わかった!」
言うなり、みっちゃんが服を脱ぎ出した。
「待って、みっちゃん! 心が前向きすぎるよ!」
「え!? 脱いじゃダメなの!?」
「そうじゃなくて! ここは男性用なんだ! ここで脱いじゃダメ!」
「なーんだ、そうだったんだ」
服を脱ぐのをやめてくれたみっちゃんとともに、私は脱衣所を抜ける。
その先にあるのは――
「わー、温泉だあ♪」
みっちゃんが華やかな声を上げた。
ほかほかの温泉がそこにはあった。ちなみに、温泉の周囲が土のままだと悲しいので、ちゃんと地面の上にすのこを引いて足が汚れないように配慮している。
「よーし、入るぞ!」
声を上げるなり、みっちゃんが服を脱ぎ出した。
「みっちゃん! ここで服を脱いじゃダメだよ!?」
「え!? そうなの!?」
脱ぎかけた服を戻しながら、みっちゃんが首を傾げる。
「さっき、ここで脱いだじゃダメって言っていたけど、どこで脱ぐの?」
「ええと……男性はこっち側の小屋で脱ぐんだけど、女性はあっち側にある小屋で服を脱いで入るんだ」
「ふぅん、そうなんだ。あっち側に行くのは……?」
「ここは男性側だから、柵があるのでいけないね。さっきの小屋から外に出てぐるっと回る必要がある」
「そっかー、わかった! じゃあ、クラスト君も一緒に入ろう!」
そう言って、みっちゃんは私のお風呂セットを差し出してくれた。
なかなかの気遣いである。
屈託のない笑顔で誘われると、断る理由もない。男湯と女湯で分かれているし、複雑な気遣いをする必要もないだろう。
「いいよ」
みっちゃんと別れてから、私は脱衣所で服を脱ぎ、温泉へと入る。
「ほわあ……」
ああ……相変わらず、気持ちいい……。
冬の気温の冷たさと、とろけるような温泉の温かさと――この寒暖の差が私の気分をハイにしてくれる。前世を思い出すなあ……。
ぼんやりとしていると、柵の向こう側からみっちゃんの声が飛んできた。
『クラスト君、気持ちいいねー』
「うん」
『本当にすごいよね、クラスト君は』
「そう?」
『だってさ、こんなものを作っちゃうんだよ? 大人でもすごいのに、子供なんだよ? 私と同じ歳なんだよ? すごすぎるよ!』
「ありがとう」
ある意味で、それがこの肉体の才覚でもある。前世から引き継いだ『技』によって楽ができている部分もあるが、こと生産に関する勘の鋭さはこの肉体のものだ。前世の強さを失ったことは寂しいが、新しく手に入れたものもあるのは事実だ。
前世の強さが反転したほどの才能であるのなら、確かにすごいものなのだろう。
『ここに大きな宿を作るんだよね?』
「そうだね」
『そうしたらさ、この村に――ほとんど誰も来ないこの村に、いっぱい人が来るのかな?』
「来るよ。そうなるようにするんだ」
『そうしたらさ……村はもっと賑やかになって、もっと大きくなるの?』
「うん、そうなる。いや、そうするために、宿を建てるんだ」
静かで、100年後も変わっていない小さな世界。それはそれできっと素晴らしくて大切なものなのだけど、寂しさがあるのも違いない。きっと、もっと輝いてもいいはずだ。たくさんの笑いと喜びで、この村が広がっていって欲しい。
そのための旗印が、作ろうとしている温泉宿なのだ。
壁の向こう側から、ほーっと感心したようなみっちゃんの声が聞こえてきた。
「……すごいなー、私はそんな人のお嫁さんになっちゃうんだ……」
「ならないよ!?」
突拍子もない言葉に、私は慌てて言葉を返す。
「まだ8歳だから! そこまで思い詰めなくてもいいんじゃないかな!?」
「え、そう? でもさ、私、決めちゃったもん……ひょっとして、クラスト君は嫌なの?」
「嫌とかそういう問題じゃなくて……その……そういうことは軽々しく決めるものじゃないし、口にするものでもないと思うんだ!」
むっちゃ早口でまくし立ててしまった。
少しはみっちゃんに届けばいいのだけど……。
「ううん……でもね、私は決めたんだ。クラスト君のお嫁さんになるって!」
届いていなかった。
「もちろん、クラスト君が他の女の子を好きになっても別にいいよ? そのときは諦めるよ? でもね、私はクラスト君の一番になりたいんだ。一番を目指したい! 私がそういうふうに思うことも、迷惑?」
「迷惑なんて、そんな――」
正直なところ、私の胸に刺さるものもあった。
クラスト君の一番になりたい。
そんな言葉を言われて、喜ばない男はいるのだろうか?
「だけど、みっちゃん。どうして君は、僕にこだわるんだい? もしも助けたことを恩に感じているのなら、気にしなくてもいいんだよ?」
『そんなんじゃないよ』
みっちゃんが続ける。
「なんていうのかな……ずっと毎日がドキドキワクワクして仕方がないんだ。ううん、私だけじゃない、クラスト君がモノを作り始めてから、村のみんなが生き生きとし始めた。でもね、ものを作るから――それがすごいからってわけでもないんだ。村のみんなが幸せになるために頑張っている姿が眩しくて素敵なんだよ。そんなことできる人はなかなかいないよ? だから、君は私のヒーローなの。そんな人に憧れるのは変でもないよ。かっこいいよ、クラスト君。誰にも取られたくない。一方的で、勝手な思いだけど――」
すっと息を吸ってから、みっちゃんが続けた。
「君を好きでい続けても、いいですか?」
「うん、結婚しよう!」
「え、いいの!?」
「は!?」
うっかりノリと勢いだけで言ってしまった。いや、そこまで想ってもらえるだなんて……ちょっと感極まってしまう部分もあって……。
「い、いや……その……げっこん、げっほん、げほん、げほん、ごほん! 咳き込んじゃった」
とりあえずは、決定的な言葉はキャンセルしておこう。
8歳は早すぎるので。いろいろと問題がありすぎる。だけど――
「そっか、咳だったんだね」
「でもさ、僕も本気で考えてみることにするよ」
「何を?」
「……みっちゃんの一番になれるかどうか……」
「え、えええ!?」
あれだけの真心を見せてくれた彼女を、どうして雑に扱えようか。
それに……相手としては申し分ないのも事実だ。
みっちゃんとは気心も知れていて性格がいいのはわかっている。おまけに、顔立ちも整っている。前世で100年以上生きた経験から推測するに、間違いなくその美貌にはこれから磨きがかかっていくだろう。
とはいえ、年齢の問題もあるし、みっちゃんの心変わりもあるだろう。
きっと美しく成長したみっちゃんに愛を捧げる男は現れるだろうから。彼女の未来を考えても、今の時点で決めるべき話ではない。
ゆえに、これくらいで留めておくことが、いいだろう。
私なりの誠意を示せたとは思う。
「クラスト君、私、興奮しちゃった! そっちに行きたい! 一緒にお風呂入ろう!」
柵をどんどんと叩く。
……みっちゃんの圧が怖い。少し勇み足だったか。今はまだ、この柵があるくらいの関係性がいい。
適当にみっちゃんの相手をしながら、私は空を見上げる。
夜空にはたくさんの星が瞬いている。
その輝きが、私やみっちゃん、そして、村の発展を祝福する光であればいいのに。私は心の中でそうなることを願った。
翌日、私たちは村の人たちに温泉の存在を明かした。
ハントと同じく、暖かい水の存在を知っている人は少しいるようで、彼らを中心に村民たちは次々と温泉に押し寄せてきて――
あっという間にファンになった。
「おおお! 暖かい!」
「気持ちええなああ!」
「生き返るわあああ!」
思い思いに幸福の言葉を口にする。そんなふうに喜んでいる村民たちを見ることが、私にはたまらなく嬉しかった。
うん、いいことをした。
そして、それは当面、この村ではすることがないことを意味していた。
退屈する暇はない。なぜなら、そこで春が訪れたからだ。
約束通り、春の風を共として行商人ウラリニスが馬車に乗って現れた。
「クラスト様、お待たせいたしました。万事、王都での準備が整いました。参りましょうか?」
「うん、行こう!」
私は、家族やみっちゃん、村民たちに惜しまれながら王都へと向かった。
いよいよ、温泉宿を作る作業が動き出す。
楽しみで仕方がない!
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