第9話 行商人ウラリニスは気づく

 行商人ウラリニスは30代半ばの行商人である。

 残念ながら、王都で店を切り回すほどの財力も才覚もなく、ずいぶんと古くなった馬車に乗って、村から村を渡り歩いて商売をしている。


 特にその人生に不満はない。

 誰もがキラキラとした人生を生きていけるわけではないのだから。ほとんどの人間は、現実に沿った地味な生き方をしているものだ。自分もその中の一人だっただけ。


 そんなくたびれた考えのウラリニスだが、義理人情に厚い部分もある。


 彼は、普通の行商人たちならあまり足を運びたくはない、儲けの少ない寂れた村にも率先して――厳密には、少しばかりのダルさも感じつつも、それ以上の使命感とともに訪問を続けていた。


(だって、俺がいかないと、困る奴らがいるんだからさ……)


 その人の良さが、商人としての甘さでもあるのだけど。

 慢性化した長旅の疲れを感じながら、今ウラリニスが目指しているラグール村もそのひとつだ。


「ふぅ、やっとたどり着いたか」


 ウラリニスが馬車をゆっくりと歩かせながらラグール村へと入っていく。

 顔なじみの村人たちがウラリニスに気がついて手を振ってくれる。この瞬間が、ウラリニスはたまらなく好きだ。長旅の苦労も忘れることができる。


「おおい、待っていたぞ、ウラリニス!」


「ちゃんと仕入れてきたか! 買いにいくぞ!」


 村人たちの愛のある言葉が心地いい。


(……しかし、この村は妙に活気が出てきたな……)


 だいたい寂れた村など、時間の流れが止まっているかのように何も変化がないものなのだが。ここは数年前から、来るたびに何か村人たちの表情に明るいものが増えている気がする。

 きっとそれは、ここにずっと住んでいると気づけないのかもしれない。数ヶ月のスパンで定点観測できるウラリニスだから気づけたのかもしれない。

 だけど、そのことをウラリニスは深く考えるつもりはなかったが。


(とりあえず、今日は休んで明日からだな)


 そんなことを考えて、ウラリニスは一軒の家の前に馬車を停めた。

 この家は空き家なのだが、領主の好意によって、ウラリニスの来訪時は無料で宿にしていいとされている。

 古ぼけて埃っぽい、木でできたドアもガタガタするような家だが、ウラリニスに不満はなかった。むしろ、感謝しかない。旅のほとんどは野宿なのだから。


「よいしょっと……はい、ただいま帰りましたよ、っと」


 そんなことを言いながら、ウラリニスがドアを開ける。


「……え?」


 違和感があった。いつもならぎしぎしと嫌な音を立てて引っ掛かる建て付けの悪いドアが、あっさりと開いたからだ。

 部屋には入らずにドアを閉ざす。よくよく眺めると、それは真新しいドアに変わっていた。


「へえ」


 だけど、それだけのことだった。

 ドアが真新しくなっただけ――それは気分が良くなる事実だが、それ以上のものではなかった。


(領主の気遣いかな?)


 あとで土産でも持って礼でも行こうかな、などと考えつつ部屋に入る。

 入った瞬間、

「はあ!?」


 今度は純度100%の衝撃に、思わず口から声が漏れた。

 練ればギシギシとなるオンボロのベッドに、薄汚れたテーブルセット、ふたの壊れたワードローブ――そんな過去の記憶とは全く違う風景が広がっていた。

 それらはまさに新品だった。

 ピッカピカと表現しても過言ではないものに置き換わっていた。家具だけではない。床も壁も、こちらはリプレイスではないが、補修が必要な部分は補修し、きっちりと磨き上げている。


「たまげたな……」


 間違いなく、大きな街の宿屋でもやっていけるほどの内装だ。

 そこまで考えてウラリニスは、あっ! と声を漏らした。


「しまった! 家を間違えたか!?」


 普通に考えて、ただの空き家の家具をここまで新調するはずがない。であれば、ここには誰か別人が住んでいる。家を間違えたか――あるいは誰かが住みつき始めたか。

 慌ててドアを閉めて村に飛び出す。

 歩いている村人を捕まえて、ウラリニスは早口で喋った。


「すまねえ、久しぶりに来たせいで頭がボケていてさ……俺が泊まっていた空き家はどこなんだ?」


「え?」


 ぽかんとした感じで村人が口を開ける。


「そこだろ? あんたの馬車が止まってるじゃないか?」


「は?」


「そこだって」


「いや、あそこは誰かが住んでいるんだろ?」


「住んでいないよ、ここにずっと住んでいる俺が保証してやるさ。気にせず使いなよ」


 そう言って、村人は立ち去っていた。

 そんな太鼓判を押されても納得できないウラリニスは狐につままれた様子で呆然とした。が、開き直るのもどさ回り商人の仕事のうちだ。


(えええい! 聞くには聞いたんだ! 俺は悪くない! あそこで寝るぞ!)


 そう決意して、ウラリニスは空き家に戻った。

 夕食を食べるためにテーブルセットに腰を下ろす。そして、気がついた。


「ああん?」


 座り心地が半端ではなかった。簡素な木製の椅子のはずなのに、しっかりとウラリニスの体を受け止め、支えてくれる。安物の椅子としか比較できないウラリニスだが、明らかに次元が違うものを感じた。

 それだけではない。


「おいおい……」


 座った後、テーブルに下ろした手も未体験の感触に驚いた。

 その木製のテーブルの表面は『心地よかった』。手のひらを置いただけで、皮膚の細部にまでフィットするというか。手のひらでぐるりと円状に撫でると、あまりの心地よさに目が細まる。ずっと撫でていたくなるような心地よさだ。


「なんだこりゃあああああああああ!?」


 テーブルセットの異常さに気がつき、ウラリニスは思わず叫んでしまった。

 それから、慌てて新調された他の家具も調べていく。

 どれも異常だった。

 異常なほどの、高品質。

 家具を売買するわけでもないし、貧乏な行商人として個人的にも高い家具と縁がないウラリニスだが、いいものを見分ける感覚には自信がある。


(……ここにある家具、どれもやばくないか……?)


 さっき、街の宿屋でもやっていけそうな佇まいとウラリニスは判断したが、甘かった。家具に関しては貴族が泊まるような最高級の宿でも通用するレベルだ。


(どういうことだ、これ……?)


 まるでお伽話の、魔法で立派なドレスを着た貧乏な女の子になったような不思議な気分だ。なぜ、こんなことが起こっているのか理解ができない。

 今すぐにでも誰かに話を聞きたいと思ったが、もう夜も遅いので明日にすることにした。


(……ああ、だけど気になるな、ハントのやつなら別にいいか……?)


 これじゃあ、こんばんは寝付けないぞなどと思ったが、それは杞憂だった。

 新調されたベッドに横たわった瞬間、体を包み込むかのようなベッドの心地よさにウラリニスはあっさりと眠りに落ちたのだった。

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