第6話 みっちゃんを助けよう

 ある日の夜、父が帰ってきたのは夕食が終わった後だった。

 家族団欒の時間を大切にする父にしては非常に珍しい。帰ってきた表情も普段にはない険しいものだった。


「あなた、どうだったの?」


 テーブルの食器を片付けている母親の声には心配そうな響きがあった。


「ああ……ラム婆さんの話だと、みっちゃんの熱病を治す薬は、もう村にはないらしい」


 ちなみに、ラム婆さんとは村に住んでいる薬士だ。

 みっちゃんが数日前から病気なのは私も聞いていた。

 ……寝ていたら治るものかと思っていたが、父親の表情と息を呑んだ母親の様子からして、どうにも簡単なものではないらしい。


「すごい高熱よね……助かるの?」


「特効薬を作るためには、そこの森の奥にあるコーネリア草が必要らしいんだが――」


 そこでため息をこぼしながら、父は首を振った。


「ハントの話だと、今は森の奥に狼の群れがいるらしくて危ないから危険だと言われた。村の大人たちで向かうという意見もあったんだが、それでも無理だとなった」


「じゃあ、どうするの?」


「みっちゃんの体力に賭けるしかない。神に祈るだけだな」


「そんな……」


 母親が悲しそうな顔を浮かべる。

 当然だろう、みっちゃんは俺の幼馴染として、しょっちゅう家で遊んだ仲なのだ。そんなみっちゃんが生死の淵にいるのだから、心が痛まないはずもない。


 そして、それは私も同じだ。


 みっちゃんとの楽しい思い出は私の心の中に刻まれている。

 前世であれば、小指を振った衝撃波だけで破裂させることができた狼ごときに屈するのは、私のプライドが許さない。


「僕、もう寝るよ」


 そう言って、自室へと下がる。下がるが、もちろん、それはフェイク。リュックサックを背負うと、窓を開けて、ひょいと外に出た。


 そこで立ち止まり、静かに深呼吸する。


 そして、前に歩きながら、拳を左、右、そして、左のハイキック。一呼吸の間に繰り出す。どの一撃も、ひゅっと音を立てて空気を切り裂いた。

 この世に生まれ落ちてからも、鍛錬は欠かさなかった。

 その成果がこれだ。

 それに前世での戦闘経験を加えても――


「この程度か……」


 実に物悲しいものだ。

 前世で7歳の頃であれば、私はすでに拳聖としての名声を勝ち得、人類最強とまで呼ばれていたのに。


 それが今はどうだ。

 この拳では、せいぜい騎士団長クラスを倒すのがやっとだろうな。

 肉体の強靭さによる限界か……。


 だが、しかし、みっちゃんを助けるには充分であろう。それだけの力があることを、今は運命に感謝するべきだ。

 暗くなった人気ひとけのない村を歩いていく。

 目的地は狩人であるハントの家だ。


「ハントさん、僕だよ、クラストだよ。開けてくれないかな?」


 夜遅くに子供が訪ねてくる――それほど、不思議でもない。なぜなら、私の家具作りはもう有名になっていて、作業場で泊まることも知られているからだ。

 ハントがドアを開ける。


「坊ちゃん、どうしたんだ?」


「うーんとね、コーネリア草の位置を教えて欲しいんだ」


「ええ!? どういう意味だい、それは!?」


「学術的な興味だよ」


「みっちゃんを助けたいのか? いや、でもそれは……」


「教えてくれないの?」


「教えられねえよ! 狼の群れがいるんだ。悔しいけど、我慢するしかねえ。俺たちも辛いんだ。でも、どうしようもない!」


「じゃあ、いいよ。一人で森の奥に行って探すから」


「ダメダメダメ! ダメだって! 行かせるわけはいかねえ!」


 困ったな……ただの狼くらい余裕なのだが。ただ、外見は子供、中身は英雄! というのがイレギュラーすぎて説得力がないか。

 ならば、実力行使しかないか。


「わかったよ、ハント。僕には勝算があるんだ。教えてあげるから、耳を貸してくれないか?」


 そうやって首を下げたハントの首筋に、私は手刀を叩き込んだ。

 声を上げる間もなくハントが意識を失う。


「ごめんね。みっちゃんを助けるためには、これしかないんだ」


 意識を失ったハントの体を部屋の中に入れて、私は部屋を物色した。

 ハントとは仲良しなので、彼が何をどう管理しているかは知っている。この部屋にも何度も踏み入れている。私はすぐに目当てのものを見つけ出した。


 それは森の地図だ。


 ハントは意外とマメな男で、職場である森について詳細な情報を残している。それには薬草の群生地も含まれる。ざっと地図を眺めると、コーネリア草の場所も書き記されていた。

 さらに、薬草のスケッチも確認させてもらい、コーネリア草の外見も頭に叩き込む。


「助かるよ、ハント」


 私は村を出た。

 夜の森を歩いていく。狼が夜行性なので、本当は昼に向かうのが効率的だが、みっちゃんが予断を許さない状況なので、速さを優先するしかない。

 しかし、暗すぎるな。


 前世の肉体であれば、闇夜くらいであれば簡単に見通せたのだがな……。


 さすがに暗すぎるので、私は持ってきていたライトスティックを取り出した。30センチくらいの棒状のもので、真ん中あたりを捻ると発光する便利なものだ。

 淡い明かりが周囲を照らす。これで問題なく歩けるだろう。ライトスティックをカラビナで腰のベルトにつけて歩き出す。

 やがて、複数の野太い唸り声が聞こえてきた。

 きたか。

 立ち止まると、1匹の狼がのっそりと姿を現した。ぐるぐると威嚇の声を出しながら、私に敵意だらけの視線を向けている。

 じりじりと距離を詰めてきた狼が、一気に飛びかかってきた。


「グガァ!」


「ふん!」


 私の喉笛を掻っ切ろうと開けた大口の顎に、私はアッパーを叩き込んだ。狼の体が放物線を描いて後方へと吹っ飛んでいく。

 痛いのだろう、きゃいん! きゃいん! と泣きながらゴロゴロと転がっている。口元からだらだらと血を流している。顎が砕けたのだろう――


 そんな様子を眺めながら、私はひっそりと落ち込んでいた。


 完璧なクリーンヒットの手応えはあったのに、骨が砕けただけとは……己の弱体化が悲しくなってくる。


「ヒー、ヒー!」


 掠れる息を吐きながら、口を真っ赤に染めた狼がこちらを向いてくる。その目には怯えがあった。今にも逃げ出したいという欲求が。

 残念ながら、それはできない。

 なぜなら、ここは小さな村にとって大切な資源だから。我々にとって害獣である以上、叩けるうちに叩く必要がある。


 私は無造作に足元の石を手に取り、狼に投げつけた。

 高速で飛来した岩の直撃を受けた狼の鼻っ面はボコんと陥没して、そのままゴロリと倒れた。


 うん、まずは一体。

 そう、まずは一体でしかない。


 少し騒ぎすぎたのだろう。私を取り囲むように無数の気配が現れる。闇の向こう側から、たくさんの黄金色の双眸が私を眺めている。

 取るに足らない戦いなのはわかっている。

 勝敗の帰結がわかっている、ただ一方的な戦いなのはわかっている。


 でも、なぜだろうか。

 こうも魂が沸き立つのは! 戦いというものへの渇望を、私はいまだに忘れていないらしい!


「グルルルル!」


 10を超える狼たちが距離を詰めてくる。仲間を殺したものを処刑しようと怒りに燃えて。

 その先に、地獄が広がっているということも知らずに。


「さあ、始めようか。君たちの願いを、本気でぶつけてくれ」


 狼たちが咆哮を上げて襲いかかってくる。

 狼の素材か……さて、何かの役に立つかな?

 

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