第4話 もちろん、漢にはハンマーもいらない
いきなりで恐縮だが、実は妹がいる。
フィーナという名前で、まだ2歳になったばかりの幼児だ。まだ、だー、とか、うー、しか喋れないが、口元に唾液を輝かせながら、楽しそうに毎日を生きている。
今そのフィーナはリビングの床にベタ座りしているのだが――
上半身がぐらぐらしている。子供というものは等身に対する頭の比重が大きいので、とても不安定だ。これはいけないぞ……と思っていたら、案の定、フィーナの体が後ろに倒れた。
「あっ!」
気づいた母親が悲鳴をあげる。
しかし、おおごとにはならない。なぜなら、そこには危険を察していた私が動いていたからだ。ふんわりとフィーナの柔らかい背中を支えて、後頭部を床に打つという悲劇を回避する。
「あううううう、あうううううう!」
……それでも、急激な体勢の変化のせいでフィーナは大泣きしてしまったが。
「ありがとう、クラスト! フィーナ、大丈夫!?」
飛ぶような勢いで近づいてきた母がフィーナを抱っこして、よしよしとあやす。フィーナの様子が落ち着いてきてから、母が父に尋ねた。
「フィーナちゃんの椅子を買ってあげたほうがいいのかな?」
「椅子?」
「ほら、子供用の小さい椅子。危ないじゃない?」
「そうだなあ……あったほうがいいかもな」
私のお古があればいいのだが、残念ながら、そういうものは存在しない。なぜなら、私は上半身の鍛錬のために、背もたれを使わないように生活していたからだ。己の意志で背筋を律していたので、フィーナのように体がふらつくことはなかった。
「だけど、ウラリニスさんに頼んで持ってきてもらうと時間がかかるからなあ……」
ウラリニスさんというのは、この村にときどきやってくる行商人だ。売れ筋の日用雑貨であれば、いつも持ち込んできてくれるが、家具のような需要が乏しくてかさばるものは頼んでおく必要がある。
この小さな村に家具職人はいないので、彼だけが頼みの綱だ。
「その間に、フィーナ、大きくなっちゃうんじゃないか?」
「でも、3歳くらいなら使うんじゃない?」
「どうだろう? クラストは歩き始めた頃には、もうしっかりしていたからなあ……」
私を基準にするのはよろしくないぞ、父よ。
無駄な買い物はしたくない、というのが父のスタンスなのだろう。それは、妹がかわいくない、ということを意味しない。基本的に貧乏なのだ、我が家は。
どうやら、私のせいで妹の後頭部が危険に晒されそうだ。
これは兄として責任を取る必要がある。
私は覚悟を決めた。フィーナ用の椅子を作ってあげよう、と。きっと私の木工スキルも上がるので一石二鳥ではないか。
そんなわけで、私の人生の最初の製作物は妹用の小さな椅子と決まった。
まず、作り方を知る必要がある。
残念ながら、英雄の前世知識に椅子の作り方というものはないのだ。
先日、私が修復した椅子をひっくり返して眺めながら、作るべき椅子の設計をお絵描き帳に描いていく。ふむ、さすがは作図スキルだ、すらすらと気持ちよく描けていく。
ちなみに、この作業は両親がいないうちに行なっている。今の私はきっと、あまり5歳時らしくはないだろうから……。
次は素材探しだ。
基本的にはほぼ全て木材で完結するのが救いだ。木材を止めるのはネジだが、この辺は釘でも問題ないだろう。消耗品の釘は家にもストックがあるのでそれを使うことにする。いずれは釘も自作できるだろうが、今のところ、そこまでの能力はない。
工具については――
まあ、なくても構わないだろう。
「ううー、あうー」
何事かをつぶやきながら、フィーナが近づいてきた。そのフィーナの頭を私は撫でてやる。
「兄ちゃんが椅子を作ってやるから、待ってろよ?」
「ううー!」
言葉が通じているのかわからないが、短い両手をバタバタと振って、フィーナは喜びを表現した。
私はこっそりと家から出た。
私が暮らしている村は自然に囲まれている。言い換えれば、植物ならば取り放題だ。村の外れへと歩いていく。そこからは雑木林が続いていて、奥に進んでいくと倒木が見つかった。
触ってみると表面がカラッとしていて、おそらくは水分は飛んでいる。ゆっくりと木材を乾かしている時間はないので、これを利用しよう。
問題は、どうやって樹木を木材にするか、だ。通常であれば、ノコギリやら斧やらで砕いていくのが筋だろうが――
もちろん、何も問題はない。
なぜなら、ここに全身これ凶器の5歳児がいるからだ。
私は倒木をそっと撫でた。
今世の肉体は実に脆弱だ。前世の私であれば、5歳の時点で指先ひとつで樹木を切断できただろうに。
今の肉体にそれを望むことは不可能だ。
こんこんと指先で樹木を叩く。5歳児の力ではびくともしない硬度が伝わってくる。
しかし、問題はない。今の私には前世の5歳児だった私が持ち得ない『技』を持っている。100年を超える鍛錬が生み出した、超常的な技が。
私は立てた右手を樹木に押し当てた。
すうっと大きく吸う。
そして右手を振り上げて、
「はあ!」
気合いの掛け声とともに、手刀と化したそれを一気に振り下ろした。前世の私が持ち得る最高の『技』を込めたその一撃は、見事に樹木を真っ二つに切断した。
「ふふふ……!」
切断口を見て、私は思わずニヤけてしまう。英雄の技、未だ健在なり!
だが、前世と違うのは、ここで終わらないことだ。
前世であれば、私の仕事は破壊だけだった。しかし、今世における私の仕事には続きがある。むしろ、ここからが本番なのだ。
家から持ってきた、作成する子供用椅子の設計図に目を通す。
必要な分量の木材を作らなければならない。
私は、手刀など打撃技を駆使して木材をカットしていった。今はまだ詳細な寸法を決めるほどの感覚も経験もないので、大雑把に切断し、あとは組み立てるときに微調整すればいいだろう。
やがて、木材群ができあがった。
とはいえ、あくまでも寸法が合っているだけの、触るとガサガサな木材だ。こんなものに座れば、妹のフィーナは痛い痛いとすぐに泣いてしまうだろう。
必要なのは、研磨。
研磨するものがない? もちろん、問題はない。ここに私がいるのだから。
持ってきた布を手に持ち、指先に力を込めて磨き上げていく。私の指圧は暴力となって木材の表面にある凹凸をねじ伏せていく。
終わったときには、商品として売り出しても文句は出ないほどの美しい木材になっていた。
「よし」
何事も、うまくいけば気持ちがいいものだ。私は上機嫌なままに残りの木材も磨き上げていった。
これでパーツは揃った。
あとはこれらを組み上げていくだけ。そして、組んだ部分に釘を打ち込んで固定していく。
必要な工具はハンマーだ。
しかし、それもまた問題ない。打撃力が欲しいのだろう? 私の肉体があるじゃないか?
私は釘を椅子に当てた。
そして、指先でつまんだまま釘を押し込む。釘はずぐりと木材に沈み込む。そのまま押し込む。ずぐり。押し込む、ずぐり、ずぐずぐずぐり。
あっという間に釘は頭を残して木材に食い込んだ。
本当は景気よく拳で打ち込んでやりたいところだが、あまりにも釘が細すぎるのと、手加減を間違えると椅子そのものが吹っ飛ぶ可能性もあるので自重した。
そんな感じで作業を進め、ついにフィーナ用の子供椅子が完成した。
「うーん、いいんじゃないかな?」
初めて作ったにしては上出来だと自画自賛したく出来だ。
実家に持って帰ると驚いた様子の両親が出迎えてくれた。
「どこいってたの、クラスト……うん、その椅子は?」
「ええと、僕が作ったの」
「「え、え、え、えええええええええええええええええええ」」
両親がこれ以上は開けられないような口を開けて驚いた。
まあ、そうだろうな……普通の5歳児はこんなものを作らないから。どこかで拾ったとか、誰かにもらったとか適当に嘘をつくのも考えたが、自重しても意味がないと思ったのでやめた。
なぜなら、これから村を豊かにするための生産を始めようと決めているから。
ずっと隠し続けることはできないのなら、最初から明かしても問題はない。そのほうがきっと両親の協力も得やすいだろう。
父親が呆然とした様子でつぶやく。
「え、いや、ありえないだろ……」
「わからないわよ。だって、この子、小さい頃から手先が器用だから」
「でも、椅子だぞ? 大人だって無理だろ? 子供がハンマーとか使えるのか?」
「そうねえ……、でも妙に聡いところもあるから、ないこともないかなあ……」
母親がそんなことを言う。もちろん、それは精神年齢が100を超えているからだが、やはり母は見抜いていたか。
そこで詮索は後回しにすることになった。まずは、この椅子をフィーナに与えることが先決だ。
フィーナは恐る恐るという感じで椅子に座ったが、座ったあとは座り心地が良かったのか、嬉しそうに両手をあげて、歓声を上げた。
「あいー! あいー!」
「「おおおおおおおおおおおおおおおおお!」」
フィーナ以上に感動しているのが両親だった。愛娘の喜ぶ姿が嬉しいのだろう。
その光景は、まるですべての苦労が報われるようだった。民衆のために戦い巨悪を討ったことに比べれば小さなことだけど、充実感は変わらなかった。
人のためになる、それは、とても素晴らしいことだ。
よし、この道を頑張ってみよう。この村を少しでも豊かにしよう!
私はそう決意を新たにした。
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