第156話 異質 異分子 異常事態

「 前に一度見せつけられてわかってはいたけど……あの化け猫が自信満々なだけあって〝完成品〟は本当にとんでもないわね……」


 薄暗い室内に、犬飼洋子の慄然とした声が響いていた。

 視線の先、煌々と光るモニターに映し出されるのは、山田カリンの深淵攻略配信だ。

 だがいままさに大歓声で終わろうとしていたその配信には、あまりにも異常な存在が映り込んでいた。


 その凄まじい魔力は画面越しはおろか、別棟で猫屋敷忍を介してまで伝わってくるほどで――。


「……ちっ。暗殺や封印なんてちゃちな策とはまるで違う。圧倒的で純粋な暴の化身、タイラント・ギガース人造の巨神か。もしかしたら共倒れしてくれるんじゃないかと期待してたけど……山田カリンあのバケモノも今度こそ終わりね」


 気にくわない元部下である猫屋敷忍が満を持して投入したその異常戦力を改めて目の当たりにした犬飼洋子は、檻に捕われたまま複雑極まりない声をこぼした。



      ※



 直前まで配信画面がカクつくほど大量の書き込みが流れていたコメント欄が、いまや完全に停止していた。


 テロリストによる大規模ダンジョン崩壊を食い止めるために深淵の最奥までソロで辿り着くという偉業を成し遂げたカリンの姿が、破壊と衝撃の渦に飲まれて消えたのだ。


 あまりのことに誰もが思考を停止し、その様子を中継していたTVスタジオでは万が一も想定したはずの放送のプロ出演者たちでさえ凍り付く。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 そしてその止まった時間の中で咆哮をあげる〝巨人〟は、あまりにも異質で異常だった。


 突如として深淵最奥に現れたそれは身の丈10メートルほど。

 特別巨大な体躯というわけではない。


 しかし暴力的なまでの筋骨に巌のような黒い硬皮、「漆黒の巨人」と形容するにふさわしい威容から発される圧は、、これまで人々の前に姿を現した深淵の怪物たちと比べてさえあまりに別格怪物すぎた。


 理解の範疇を超える異常に、誰もがいまだ思考停止から抜け出せないほどに。


 だが画面越しでも根源的な恐怖を揺さぶる咆哮が、一般人でも異常とわかるその気配が、そしてなにより――地面から引き抜かれた巨人の拳に張り付く「ドレスの残骸」が、停止していた人々の意識を強引に現実へと引き戻した。



〝……は?〟

〝え……?〟

〝おい、おいなんだよこいつ!?〟

〝お嬢様!?〟

〝おいあれお嬢様のドレスじゃねえの!?〟

〝は!?〟

〝おい嘘だろなんだよこれ!?〟

〝お嬢様返事して!〟


 

 カリンがこれまで一発の攻撃すら掠らせなかったドレス。

 その一部が無惨に引き裂かれ巨人の拳から落ちて舞う信じがたい光景に悲鳴があがる。


 直後、


「……! 無事ですわ!」


 舞い上がる土煙を吹き飛ばすように拳を振るい、カリンがカメラの前に姿を見せた。



〝お嬢様!〟

〝無事でしたのね!?〟

〝よかった!〟

〝!?〟

〝いやでもこれ……!?〟

〝嘘だろ……!?〟



 かろうじてその奇襲を回避していたらしいカリンに歓声があがる。

 

 だがその書き込みが次第に勢いを鈍らせていくように……無事を叫んだカリンの様子は決して手放しに安心できるものではなかった。


 。つまりいま巨人の拳から舞った紫の布は正真正銘カリンのドレスの一部。掠るどころか完全に攻撃を食らった証であり、カリン本人も余裕がないのかそれ以上コメントに返事をすることもない。


 そして事態は、「奇襲によるドレス破損」どころの騒ぎではかった。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


「っ!!」


 カリンの無事を視認した瞬間、漆黒の巨人が破壊の爆音と化した。


 極めて堅牢なダンジョン壁の地面がその踏み込みだけで陥没粉砕。

 その巨体にあるまじき速度でカリンに迫り、圧倒的リーチを誇る手足を縦横無尽に振り回す。


 ドッゴオオオオオオオオオオオオオオオオン!

 ボゴゴッゴゴオオオオオオオオオン!

 ドゴシャアアアアアアアアアアアアアアアア!


 そしてそれだけで、深淵第4層が目茶苦茶に破壊され尽くした。

 拳が直撃すれば数百メートルに渡って壁が粉砕、音をとっくに置き去りにした蹴りの余波でダンジョンそのものが揺らぎ、広間に暴風が吹き荒れる。


 強化され尽くしたあの大猿が赤子に見えるほどの〝暴〟が、カリン1人に襲いかかっていたのだ。


「……!」


 そんな猛攻を前にカリンはこれでもかと目を見開き、回避に全力を尽くす。


 だが、


「こ、れは……!?」 


 巨人の猛攻は、決して威力と速度だけではなかった。


 感知がしづらい。

 先読みの精度が荒い。

 

 それはかつて別の深淵で出会ったことのある、攻撃直前まで完全に気配を消すモンスターに近しい感覚。カリンが普段そうしているように、魔力を極限まで抑え隠しているような技術スキルの気配。カゼナリによって反射能力が向上し、そのうえで警戒を続けていたカリンが初撃で死角を取られた理由。


 そしてそんな手合いが凄まじい身体能力で暴れ回れば――ズガガガガガガアアアアアアン!


「……!」


 巨大な拳がドレスのスカートをかすめる

 凄まじい膂力で砕かれたダンジョン壁の欠片が衝撃波を伴う散弾と化して布地を削る。

 金の髪が蹴りを食らって宙に散る。


 防戦一方に陥るばかりか、これまで決して触れさせることのなかったお優雅の象徴が次々に千切れ飛んでいた。


 ドヒュンッ!


 瞬間、カリンはジリ貧を避けるようにカゼナリで全力飛翔。反撃の糸口を探るように装備していた〈モンゴリアンデスワーム〉で飛ぶ斬撃を解き放つ。


 が――バッ!


 その遠距離斬撃はとばかり、巨人が当然のような素振りで回避。

 さらには「空中に逃げられたほうが都合がいい」とばかりに落ちていたダンジョン壁を握り砕き、宙を舞うカリンへと投擲。


「――!」


 凄まじいまでの範囲砲撃を受け、カリンはさらにドレスをボロボロにしつつ空中よりも早く動ける地上への帰還を余儀なくされる。


 そうして繰り返される超高速戦闘と巨人による一方的な猛攻にパニックとなるのは視聴者たちだ。



〝なんだよこれ!? なんなんだよこれ!?〟

〝どうなってんだ!? 〟

〝なにが起きてんださっきから!? いろんな意味で!?〟

〝速すぎてわけわかんねぇけどこれお嬢様押されてないか!?〟

〝嘘だろ!?〟

〝そもそもなんであのお嬢様が不意打ち食らってんだよ!? なんなんだよあいつ!?〟

〝いや不意打ちどころか……正面戦闘でもドレスが千切れまくってないか!?〟

〝おい超スローで見たらあの巨人お嬢様の飛ぶ斬撃初見で避けてねえ!?〟

〝はぁ!?〟

〝あり得んだろ!? お嬢様は深淵ボスも楽勝だったんだぞ!?〟

〝おい、じゃあ……だったらアレはなんだってんだよ……!?〟

〝あのお嬢様がこんなになるって……そんなもん……!?〟



 誰もが血の気の引いたような声を漏らしコメント欄も一気に鈍化する。

 そしてその混乱は一般視聴者だけに留まらなかった。



「そんな……!? なにが……!?」

「カリンお嬢様……!?」


 先ほどまで祝福ムードだった穂乃花と光姫が凍り付く。


「……!? あのクソガキが……冗談だろ……!?」


 荒川ダンジョン周辺の最警戒地区であろうことか酒盛りをはじめようとしていた影狼が絶句する。


「……!?」


 既に100枚を超えつつあったカリンのファンアートの仕上げに取りかかっていたたまご先生が傍らの護衛とともに息を呑む。


「なん……っだこれ……!? いくら画面越しとはいえ俺が強さをまったく感知できない!? じゃあこいつは……!? まさかそんなことが……!?」


 とある現場でカリンのダンジョン踏破の報を聞き一瞬だけ配信をチェックしていた福佐刑事がその場に崩れ落ちて声を漏らす。


「なぜだ!? どうなっている!? 荒川ダンジョンがいくら高難度とはいえ……ここには深淵までしかないはずだろう!?」


 カリンの攻略をずっと見守っていた金剛寺総理が取り乱す。


「フ〇ック! ファッ〇ファ〇ク〇ァック! どうなってやがるクソッタレ!? あのテロリストどもは……裏で一体なにをしでかしてやがるんだ!?」


 遠い異国の地ですっかりカリンのファンになっていた国家転覆級探索者カービィが感情を露わに叫ぶ。


「あり得ない……!? いくらなんでも……!」


 そして福佐刑事や異国の女王と連携しとある任務についていた真冬が、スマホを取り落としそうになりながら掠れた声を漏らす。

 

 その頭にひたすら巡るのは「あり得ない」の五文字だ。

 確かに今回の深淵攻略にあたり罠がある可能性は極めて高いと踏んでいた。どんなイレギュラーがきてもいいよう警戒し準備を重ね心の準備もしていた。しかし……それにしたって限度というものがある。その冷静な頭脳がひたすらあり得ないを重ねて叫ぶ。


 だが……目の前に映る現実は。

 既にカゼナリをフルに使っているはずのカリンを圧倒するこの力は。

 明らかに深淵を飛び越えた魔力の奔流は――、


「奈落級、ですって……!?」





〝おいこれ、まさか奈落級モンスターってやつじゃねえのか!?〟

〝はあ!?〟

〝奈落級って……あの奈落級!?〟

〝いくらなんでも冗談だろ!?〟



 奈落。


 深淵をさらに超える、世界有数の大ダンジョンのみで存在が確認されているという領域。誰も生きて帰った者がいないとされる魔窟。そのレベルのモンスターが深淵に現れたと実力者たちがいち早く気づき愕然と声を漏らす一方、コメント欄でも遅れて指摘された可能性に恐慌めいた混乱が広がっていた。


 しかしそうしてカリンの身を案じる声が世界中でパニックとともに加速するなか、


「あはははははははははは! ご明察! ですがまあ、これだけ圧倒的な強さを見せつければ、誰でもその可能性に思い至りますよねぇ」


 数多のマジックアイテムが埋め尽くす薄暗い部屋の中。


 夥しい数の人々がに恐れ戦く様を心底楽しむように……その巨人と精神をリンクさせることで遠隔憑依使役を可能とした猫屋敷忍が、混乱するコメントに目を向ける余裕すら見せながら1人悪辣な笑みを浮かべていた。


 そう。この規格外の強さを持つモンスターとその使役こそが、今回の作戦のキモ。

 人為的なダンジョン崩壊と並ぶ猫屋敷忍の研究結果功績にして、山田カリンを確実に潰すために急ピッチで用意された最終兵器だった。

 

 その力は真冬たち歴戦の猛者が画面越しに予測したとおり、正真正銘の奈落級。


 深淵までしか存在しない荒川ダンジョンではいかなるイレギュラーが重なろうと決して出現しないはずのバケモノだった。


 ならばなぜそんな力を持つ怪物がこの場にいるのかといえば……作ったのだ。


 モンスターを使役することで猫屋敷自らあらかじめ荒川ダンジョンに侵入し、ランダム出現した深淵ボス「アースタイラント」に触れてマーキングすることで遠隔使役。ほかの深淵モンスターやボスを強制的に捕食させ、極めて強力な強化種を人為的に生み出した。それこそ犬飼洋子が首塚研究所でやっていたのと同じように。


 ただ当然、奈落級と呼ばれる隔絶した戦力がその程度のことで作れるわけではない。


「苦労したんですよぉ。母国ラヴィリスタンにある〝原初の大穴〟。その奥底から極希に採取される奈落モンスターの素材を、深淵級モンスターが食べても破裂しない技法を確立するのは」


 ダンジョンではモンスター同士が争い片方が死んだ際にもドロップアイテムを落とすことがある。そしてそれがダンジョンに吸収される前に発見できれば、確率としては極低いがモンスターと交戦せずとも素材を入手することが可能だった。


 そしてダンジョン大国ラヴィリスタンでは以前からモンスターを遠隔使役することで疑似的に奈落へ進出し、極々稀にそのエリアから素材を持ち帰ることがあったのだ。


 しかしそこは紛う事なき奈落素材。数々の逸脱した技術を隠し持つラヴィリスタンでも一切の加工ができず宝の持ち腐れとなっていたのだが……その使い道を猫屋敷忍は生み出した。すなわち特殊な処理を施すことで、限界まで器を強化した深淵ボスに投与。奈落級に等しい力を与えることに成功したのだ。あらかじめマーキングしておけば、奈落級の力を発揮してなお引き続き使役できる破格の状態で。


 もちろん相応のリスクはある。


 こうして多くの労力と超希少素材を使って作り上げた奈落級モンスターの寿命はわずか数日。加えて作り上げたダンジョン内でしか活動できないため、確実に山田カリンとぶつけるためにこのようにダンジョン崩壊テロ予告大仰な仕掛けを施しおびき寄せる必要があったのだが……その甲斐はあった。


「なにせこうして、あの怪物山田を圧倒できているですから!」


 ドゴオオオオオオオオオオオオオオオン!


「――!!」


 文字通り自らの手足のように奈落級巨人――人造の巨神タイラント・ギガースを操り、猫屋敷はカリンへ一方的に攻めかかる。


 その力はまさしく圧倒的。


 深淵級モンスターなどの比ではない身体能力に、ダンジョン壁以上の強度を誇る鎧のような体皮。完全ではないがカリンのふざけた感知をすり抜ける気配隠蔽能力。加えてこの巨人はまで発現しており、無尽蔵ではないにしろ極めて強大な生命力を有しているのだ。


 数々の条件と引き換えに手にしたそのスペックは、まさに奈落級を冠するにふさわしい神話の怪物である。



〝おいマジでなんなんだよこのバケモン!?〟

〝お嬢様ヤバいって!〟

〝さっきからドレスだけじゃなくて嵐式や雷式の鎧までぶっ飛んでない!?〟

〝お嬢様装備! 新しい反則装備はないの!?〟



「……!」


 そんななか視聴者たちがカリンの隠し持っているだろう装備の展開を叫び、カリンもまたコメントを見る余裕がないなか、まるでその声援に呼応するように残ったカゼナリを最大出力。巨人から距離をとってアイテムボックスから武装を展開しようとする。


 だが――、


「あははははははは! 無駄ァ!」


 これだけの怪物を用意しながらカリンの消耗狙いや隠し装備の情報収集など一切の油断なく策を重ねていた猫屋敷忍が、巨人のスペックだけで確実に勝てるなどと思い上がっているわけがなかった。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 猫屋敷忍と同期した巨人が魔力を練り上げ咆哮をぶち上げる。


 次の瞬間――


 それはかつて影狼やブラックタイガーがカリン対策に使ったマジックアイテム封じ。一時的にとはいえ対象が持つ魔法装備やマジックアイテムの効果を完全に打ち消す破格の魔道具。猫屋敷忍が巨人の口内に仕込んでいた切り札がこの局面で容赦なく炸裂したのだ。


 まるで巨人の咆哮にそのような効果があると見せかける形で。


 無論、カリンにマジックアイテム封じへの対抗手段があることは知っている。

 山田カリンはブラックタイガーに襲撃された際、改造したアイテムボックスに大量の魔力を注ぎ込むことで無効化を解除してみせたのだ。


(けどアレは大量の魔力を注ぎ込むために一瞬の間が必要になる! そしてその〝一瞬〟は、この高速戦闘の最中では果てしなく長い!)


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」


「っ!!」


 獣声をあげた巨人がこれまで以上の勢いで攻めかかれば、魔法装備の沈黙に驚愕していたカリンがさらに目を剥く。


 ドッゴオオオオオオオオオオオオオオン!


「……やりますねぇ」


 既にボロボロのドレスをこれ以上気にしている場合ではないと判断したのだろう。恐るべきことに素の身体能力を発揮したカリンは魔法装備なしでも巨人に応戦。カゼナリを失っているにもかかわらずそれと同じかあるいは上と思わせる機動力を発揮して攻撃を回避してみせた。まったくつくづくバケモノである。


 だが、


「計算どおりですねぇ!」


 そのイカレた身体能力も、奈落級を相手取りながらマジックアイテム封じを解除できるほどのものではなかった。第3層ボス戦で観測できた以上のものはなく、カリンはこちらの攻撃を回避するのに精一杯で反撃の隙を見いだせないでいるのだ。


(こいつの本気の身体能力が唯一の不確定要素でした。けどこれなら――このまま完封できる!)


 もちろんこの怪物のことだ。なにか無茶苦茶な手段で武器を取り出してくる可能性もあるが、それが問題となるのは魔法装備封じのマジックアイテムが使い捨てだった場合の話だ。


(私が今回用意した魔法装備封じはブラックタイガーが所持していた最高級品という名の粗悪品使い捨てとは違う! 回数制限ありとはいえ何度も使えるうえに、数も大量に用意して巨人の体内に仕込んでおいた!)


 ゆえにもしカリンがなんらかの手段で武器を出そうが、あまつさえその場で作り出すことがあろうが、確実に封じることが可能なのだ。何度でも何度でも。このエセお嬢様が力尽きるまで!


「しかし……これはそこまで入念にやる必要もなかったかもしれませんねぇ」


 安全地帯で巨人を操る猫屋敷忍はニヤァと悪辣な笑みを浮かべる。


「……ッ」


 念のためにと大量に仕込んだ魔法装備封じを繰り返し使うまでもなく、カリンは引き続き巨人の猛攻になにもできず防戦一方になっていたからだ。


 そしてその形勢は、異次元の高速戦闘をほぼ視認できていない視聴者たちにも確実に伝わりつつあった。



〝おい本当にどうなってんだよこれ!?〟

〝ちょっと待てあの巨人魔法装備封じ発動してねぇか!?〟

〝スカイフィッシュ状態お嬢様の色がくすんでる!?〟

〝飛び散ったドレスや魔龍鎧装の欠片が色あせて……〟

〝嘘だろ!?〟

〝なんなんだよこの巨人マジでなんなんだよ!?〟

〝魔法装備封じはもともと特定モンスの素材も使って作るからそういう能力のモンスがいてもおかしくはないんだが……このスペックのモンスターが使っていい能力じゃねえぞ!?〟

〝いやでもお嬢様まだ粘ってないか!?〟

〝それでもお嬢様なら……〟

〝いや粘ってるだけで一方的に攻撃され続けるだろこれ!〟

〝こんだけドレス削られてて反撃できてないのは……〟

〝お嬢様無理しないで! 逃げて!〟

〝ダンジョン崩壊は最悪どうとでもなるから早く逃げて!〟

〝武器なしで奈落級はいくらお嬢様でも無理だって!〟

〝無茶苦茶すぎる……撤退しないとダメだってこれ!〟



 巨人が有するあまりに埒外な能力。


 そして世界に絶望を発信するためあえて魔法装備封じの対象から外されていた浮遊カメラに映る明らかな劣勢に、カリンがもはやコメントをチェックする余裕がないと誰もが察しながら逃げろという声をあげ続ける。


 だが……、


「無駄ですねぇ」


 人々のその必死な声を猫屋敷忍は嘲笑う。


 そもそもなぜ山田カリンを仕留めるために、ダンジョン崩壊テロなどという大仰な方法をとったと思う? 


 数日しか稼働できない人造巨神のもとへカリンを誘い確実にぶつけるためというのはもちろんだが……なによりの理由は、山田カリンがこの脅威から逃げられない状況を作るためだ。アニメに憧れお優雅なお嬢様を目指しているなどと本気で言っているこの狂人を死地に縫い止めるためだ。


 もちろんいくら山田カリンがイカれているとはいえ、それで確実に留まってくれるわけではないだろう。だがたとえ周囲にいざとなれば逃げるよう念押しされていたとして、脳裏に逃走の選択肢が浮かんだとて、すぐに決断できるものではない。

 

 ここでカリンが逃走を選択すれば、発生するのはカリンでも被害をゼロに抑えるのは不可能な都内での大規模ダンジョン崩壊。かつてない経済の混乱。テロリストに屈するしかないという世論。命ほしさに街の大破壊を許した自分。


 そ んな状況で逃走など容易に選択できるものではなく、そうして生じる迷いは人の動きから精彩さを奪う。命のかかった極限の戦闘において、刹那の逡巡は驚くほど大きく致命的な隙となるのだ。


 こんな風に!


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 瞬間、巨人の口内に莫大な魔力が凝縮した。

 そして放たれるのは、純粋な魔力の塊で構成されたブレス。単純な砲撃。

 だが奈落級の魔力で放たれるシンプルなブレスはそれだけで局所災害と呼べる威力と化し――凄まじい爆発を引き起こした。


「――!」


 かろうじて回避したカリンだったが、衝撃に吹き飛ばされさらには周囲を舞い上がった砂塵に包まれる。そして視界が完全に塞がれたなかで、


 魔力隠密!


「ッ!?!?」


 ドッッッッゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!


 攻撃の気配を可能な限り消した巨人の拳が、神速でもってカリンの身体に直撃した。


 その小さな身体が隕石のような速度で吹き飛び、周囲に衝撃波をまき散らしながらダンジョン壁に激突。頑強なはずの壁を粉々に破壊し、その姿が砂塵に埋もれ見えなくなった。



〝え〟

〝え〟

〝は?〟



 なにかが凄まじい勢いでダンジョン壁に激突した。

 かろうじてそれだけを認識した視聴者たちが凍り付いたようにコメント欄が停止する。

 いやだがまさか、と誰もが現実逃避するようにその最悪の予感を振り払おうとしていれば、現実を覆い隠していた砂塵が晴れていき、


「――元々結果の見え透いた戦いでしたが、勝負を決めたのは一瞬の迷いだったというところでしょうか。まあ強化種となる過程である程度上の階層まで進出できるようになっているこの巨人から逃がすつもりもありませんでしたが」



「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 勝ち誇るように猫屋敷が呟き巨人が咆哮するなか――ダンジョン壁の瓦礫に埋もれてぴくりとも動かなくなっているカリンが配信画面に映し出されていた。



〝―――〟

〝―――――――――――――〟

〝――――――〟

 

  

 最初に配信画面に流れたのは、唖然としたような沈黙。

 だがその否定しようがない絶望的な現実光景は、すぐにとてつもないパニックとなってコメント欄を埋め尽くした。



〝は……? は……?〟

〝おい……おい! ちょっと待てよ! 嘘だろ!?〟

〝お嬢様!?〟

〝嘘だろ!? 生きてるよな!? お嬢様生きてるよな!?〟

〝いやこれ……仮に生きてても……〟

〝おい本気でなんなんだよあのバケモン!? ついさっきまでダンジョン崩壊阻止大成功だったはずだろ!?〟

〝お嬢様が……やられた……!?〟

〝お嬢様が勝てないって……〟

〝おいてか待てよ……このままお嬢様がやられてダンジョン崩壊が止まらないとしたら……が地上に出てくるのか!?〟

〝嘘だろお嬢様立って! 立ってくれよ!〟

〝おいこれテロリストの罠って話が出てるんだが……まさかあいつらお嬢様倒せるようなモンスター作れるのか!?〟

〝こんな状況で不安煽るようなデマ流すな!〟

〝いやでもこんなん……!? 人為的なダンジョン崩壊とかやれる連中なら……!?〟

〝おいなんだよこれ! なんだよこれ!〟

〝こんなの……荒川ダンジョンの悲劇の再来じゃあ……!?〟


 

 響き渡る混乱と絶望が勝利の美酒のように猫屋敷の心を潤していく。

 だが、


「まだ息がありますねぇ」


 いまだ感じ取れる命の鼓動に、猫屋敷忍は油断なく意識を向けていた。

 恐らくあの状況でも咄嗟に攻撃をガードしていたのだろう。


(では確実なトドメを刺すとしましょうか。我らが母国ラヴィリスタンが……いやがこの世界を支配する最終作戦の最大障壁となっただろうこの末恐ろしい怪物に)


 と、猫屋敷は巨人の全身に逸脱した魔力を滾らせカリンを叩き潰そうと踏み出した――そのときだった。




「――アハ」




「……え?」



「――あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!!!」



 突如として響いたけたたましい笑い声が、巨人を介して猫屋敷忍の耳朶を打った。


「………!?!? は……!?」


 ゾワッ!!


 そのあまりに場違いな、心底嬉しそうな笑い声に思わず総毛立った猫屋敷が巨人の動きを止めた――直後。


 ドゴオオン!


 


 かと思えば、


「わたくしとしたことが! あまりにも興奮しすぎて不覚をとりましたわ! まさかまさかとは思ってましたが……この威力! この速度! その能力に気配を消す技術の巧みさ! 奈落級! あなた正真正銘の奈落級ですのね!?」


「ああ! やはり奈落にはこんなに強い方が実際にいらっしゃるんですわ!? それがなぜこんなところにいきなり現れたのかはわかりませんけど……本当になんということでしょう! いままでは親友に奈落への挑戦を固く止められていたので戦う機会なんてなかったのですけど……向こうから来てしまったのなら仕方ありませんわよねえ!?」


「かつてない強敵! 命の危機! あなたを倒せばわたくし! もっと強く! もっと大きく!! セツナ様憧れの背中にまた一歩近づけますの!!!」



「……!? こいつ……!? 一体なにを……!?」


 あまりのことに猫屋敷忍が愕然と声を漏らすなか――カリンはダンジョン崩壊阻止配信の真っ最中であることなど先の一撃で頭から完全にすっぽ抜けたかのように爛々と目を輝かせて、かつてないほど獰猛な満面の笑みを浮かべていた。


――――――――――――――――――――――

トトロ! あなたトトロっていうのね!? みたいなノリでテンション爆上げのカリンお嬢様。はぐれメタルの群れ100匹に遭遇したくらいの脳汁ドバドバ状態ですわ


というわけで深淵編クライマックスの週2更新、次回は日曜更新ですわ!

そしてもうひとつお知らせで、お嬢様バズ書籍版3巻が10月18日発売決定ですの! 穂乃花様や光姫様もいよいよ登場の第3巻、相変わらず素晴らしいイラストなので是非お買い求めくださいまし! 真冬様とカリンお嬢様の過去話SSもちらっと書き下ろしてますので、楽しみにしていただければですわ!


書籍の売り上げは続刊や漫画化アニメ化といったメディアミックスにも繋がりますので、もしお財布に余裕あれば買って☆入れたりしてもらえるとリアルスパチャになって嬉しいですわ!(もちろんカクヨムでの☆やフォローでの応援もランキングに影響してお嬢様の活躍が多くの人に広まるきっかけになるので、当然そちらだけでも非常に嬉しいですわー!)

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