第131話 用意周到


 事前に穂乃花を介してアポがあったにも関わらず、「総理大臣が直接家に来て頭まで下げるなんてありえませんわ! こいつぜってー偽物ですの!」とパニックに陥ったカリンが失言をまき散らしながら真冬に電話で助けを求めたあと、本物とわかってぶっ倒れた事件からしばし。

 

「はぁ……」


 諸々の打ち合わせのために警視庁を訪れていた真冬は、いままで生きてきたなかで最大級に深い溜息を吐いていた。


「……本当に荒川ダンジョンの攻略を依頼することにしたんですね。未成年のカリンに」


「総理も覚悟のうえだよ」


 真冬の低い声にこちらも苦い顔で応じたのは、公安の牧原霞だ。


「本当にカリンお嬢様に依頼していいものかギリギリまで悩んでたみたいだからね。お嬢様が失敗した場合はもちろん、成功した際にも場合によっては責任を取って自分の首を切るつもりらしいし」


「それは辞職という意味ではなく、物理的に首を切って責任をとるという意味でいいですか?」


「か、勘弁してよ……君が言うと冗談に聞こえないんだから」


 真冬が本気で言っているわけではないとは知りつつ、霞はここ数日の騒ぎで疲労の滲む顔を引きつらせる。


「君が彼女を心配する気持ちはわかるけど仕方ないだろう。これだけの大事件、解決可能な誰かが絶対に動かなきゃならないんだから。君には説明するまでもないだろうけど、人為的ダンジョン崩壊なんて今回のデタラメは世界に与える負の影響がでかすぎる。それこそ、いくらお嬢様が国家転覆級のなかでも頭抜けて強いだろうとはいえ、政府が未成年に事態収拾を依頼しなきゃいけないくらいに」


「……」


 霞の言葉に真冬は口をつぐむ。


 霞の言う通り、あまりにも唐突に世界を震撼させた人為的ダンジョン崩壊という未曾有の脅威は、それに伴いとてつもない被害と悪影響が予想されていた。


 その「とてつもない被害」とは都市部での深淵級ダンジョン崩壊による人的被害や物的被害――ではない。


 というかむしろ、人為的ダンジョン崩壊〝そのもの〟はそこまで問題ではなかった。

 

 いや大問題ではあるのだが、今回テロリストが仕掛けてきた人為崩壊は発生の数時間前には察知可能。アメリカとアフリカでの崩壊を大都市圏で行わなかったことや、統計から大きく逸脱しない発生頻度からみるに自由自在に起こせるものでないのは明らかで、各国の国家転覆級もこれだけの事態にはさすがに率先して鎮圧に動いてくれるとなれば、事前予測不能な大地震や通常のダンジョン崩壊よりもある意味ではマシとさえ言えるものだったのだ。


 では一体なにが最も恐ろしいかといえば……人為的ダンジョン崩壊を目の当たりにした人々が抱くテロへの恐怖だ。テロ組織の要求に屈するしかないという情勢が構築され、膨れ上がるパニックによって各種経済をはじめ様々な悪影響が連鎖することがなによりも最悪だった。


 それこそ既にダンジョンを有する各国の大都市圏では、東京を筆頭に不動産の価格が暴落。大恐慌どころではない大混乱が巻き起こりつつあるのだ。


 不安や恐怖は経済の悪化に直結する。

 そして人命などに比べて経済は軽視されがちだが……現実として景気の大幅な低迷はときにダンジョン崩壊や戦争よりよほど効率よく多くの人を殺すのである。


 東京という世界有数の大都市で実際に被害が出る前に人為崩壊は食い止められるものであると示さなくては、最終的に一体どれだけの国益と人命が損なわれるかわかったものではなかった。テロリストの狙い通りダンジョンへの忌避感が強まれば、それこそ将来的には探索者の質、ひいては国防にすら影響が出るだろう。


 そしてそれはもはや日本だけの問題ではなく……初見深淵踏破が朝飯前などと発言したカリンを投入しないという選択肢はもはやなくなっていたのだ。


 そしてとある理由から、荒川ダンジョン崩壊がテロリストのブラフなどではないということは予告動画投稿の当日には既に確定していた。


「お嬢様が参戦宣言する前に荒川ダンジョン周辺をブラックタイガー元クランマスター黒井の〝事前危機察知〟で調べた結果、少なくとも半径2㎞圏内で、装備なしとはいえレベル2000超えの黒井の身に危険が及ぶなにかが起きると判明してる。このままなにもしなければ都内で深淵級のダンジョン崩壊が起きるのは確実だ」


 人為的ダンジョン崩壊の予兆を正式に観測できるのは発生の数時間前だが、それとは別に身柄を拘束されている黒井を利用して確定したその情報を霞は語る。


 黒井のユニークスキルは実力差のありすぎる存在が絡むと誤作動を起こすため、カリン参戦で事態がどう動くかまでは正確に予測できない。だがなにも対策を講じなければ崩壊が発生し大きな被害が出るのは最早確実だったのだ。ゆえに総理はカリンの問題発言の直後、国の長として依頼を決断したのである。


「まあ依頼するだけならまだしも、攻略の様子まで配信するのはボクも最初はどうかと思ったんだけど……これも不可欠なことだ。誰も見ていないところで食い止めても「テロリストと取引して止めてもらった」なんて言われたら目も当てられないし……繰り返しになるけど、今回の一件で最も厄介なのは人為崩壊に伴う民衆の恐怖と混乱。だから、必要なんだよ」


 人為的なダンジョン崩壊は阻止できるという純然たる実例が。

 ふざけた強さを持つふざけたお嬢様存在がテロリストの卑劣な目論みをぶっ飛ばすという希望が。

 物語のヒーローのような規格外が理不尽を吹っ飛ばすエンターテインメントが。


 そしてそんなことが可能なのは、アニメに憧れてフィクションのような強さを身に付けた異常ダンジョン配信者、山田カリンしかいないのだ。


 そしてそれらの事情は「適材適所としてセツナ様のような人気配信者であるあなたに崩壊を食い止めてほしい」と、カリンの夢を壊さない形で総理からカリンにかいつまんで説明されていた。


「そのあたりの事情は言われなくてもわかってるわ」


 真冬は霞の話に再び溜息を漏らしながら答える。


 これだからカリンの実力が公になりすぎる事態は避けたかったのだ。

 大騒ぎになるのはもちろん、様々な事件の解決をどうしたって期待されることになり、余計なリスクや負担を背負うことになるから。


 まあさすがにこれだけのことが起きるとは予想だにしていなかったし、こんな世界を揺るがす大事件となればカリンの実力が知れ渡っていようがいまいが頼らざるを得なかった可能性が非常に高いのだが……いまはそれよりも。


「カリンが攻略に動かなくてはいけないのはもう仕方がないとして……いま一番の懸念はカリンが1人で荒川ダンジョンに挑まざるを得ないこと。もう一度確認ですが、協力要請可能な国家転覆級は本当にいないんですね?」


「そうだね……」


 真冬の問いに、霞は珍しく忸怩たる表情で言う。


「まず海外は……事態が事態だからね。どこの国も暗殺者掃討騒ぎの恩は返したいと言ってくれてるけど、この状況で自国の転覆級にリスクを取らせたりよそに派遣するわけにはいかないって姿勢だ。荒川ダンジョンに注意を引きつけておいて、他国で予告なしの崩壊をやろうとしてる可能性もあるわけだしね。まあそもそも各国が頷いてくれたとして、転覆級本人が乗り気になってくれなきゃ無理なんだけど」


 それから日本国内だけど、と霞は続ける。


「こっちもやっぱり無理だね。1人はまたなにか嫌なことがあって山にでもこもってるのか連絡がつかない。いままでの傾向からして最低でも1ヶ月は戻ってこないだろう。そしてもう1人は……カリンお嬢様と同様にテロリストのあげた動画に怒り狂ってて協力自体は簡単に取り付けられたんだけど……この情勢だ。し、そもそも地上側には転覆級を最低1人残しておく必要がある」


 今回の攻略においてカリンが配信を行うのは、(あくまでついでではあるが)万が一崩壊が防げなかったときに備え、地上に進出してくるモンスターの情報を地上に届けるためという側面もある。


 だ がその情報も、地上側にモンスターを食い止められる戦力がいなければ意味がないのだ。深層モンスターなら国内最強級クランや自衛隊精鋭が結集すればどうにか防衛戦を維持できても、第二派で深淵級が出てくればいくら情報があろうと転覆級以外では対処不能。人知を越えた怪物の脅威が東京を襲うことになる。


 そうした様々な理由から、カリンとともにダンジョンへ潜ることはできないのである。


「そうですか……」


 わかっていたことではあるが……真冬は三度息を吐く。

 政府も色々と必死に奔走してくれているのは間違いないので、これはもう本当にどうしようもないのだろう。


 本来であれば細かいあれこれを抜きに頼れる転覆級がいたはずなのだが……。


『本当にすまん! この妾がなにかあれば必ず助けに行くと言ったというのに……!』


 と、真冬のスマホ越しに頭を下げるのは――シャリファー・ネフェルティティ。

 深淵級ダンジョン崩壊を鎮圧するために一時帰国し、そのままアフリカ連邦に留まっているダンジョン女王だった。


「いえ、事態が事態ですから。仕方ありません。あれだけ好き勝手しておいて、一番肝心なときに助けに来れないとかなんて使えないサバ読み女だろう、とか思ってませんよ」


『だからすまんて!』


 無礼など知ったことかと言わんばかりの真冬の低い声に女王はひたすら謝り倒す。

 とはいえ……真冬も本心から言っているわけではない。


 現在、中東あたりの国々がアフリカ連邦の国境付近で極めて不穏な動きを見せているのだ。

 普段であれば報復を恐れてシャリーの長期不在時でも決して手を出そうとしなかった国々が、不自然なほど本気の気配を漂わせているのである。まるで何者かに唆されたかのように。


 ただでさえダンジョン崩壊により国民が不安になっているこの状況で他国を優先すれば国の統率に関わるし、このダンジョン社会、万が一本当に戦争でも勃発すれば流れる血の量はダンジョン以前のそれとは比べものにならない。そんな状況での援軍など絶対にカリンは望まないだろう。それもあって真冬はシャリーを本気で責めてはいなかった。


 もし本当に怒っているとすれば、それはこんなときにろくに戦えもせず後方支援くらいしかできない自分自身に対してだろう。自らの怪我がこれほど恨めしいと思ったのは始めてだ。


 なにせ今回の一件はあまりにもキナ臭い。


 本命と思われる3回目のダンジョン崩壊でダンジョン先進国ではなく日本の大都市圏を狙ってきたことといい、あんなあからさまな挑発動画といい、アフリカ連邦への侵攻の動きといい……カリンを単独で深淵へと誘い込もうとしている気がしてならないのだ(もちもちたまご先生の護衛が重要視されているのも、カリン絡みでなにかあってもおかしくないと思われているからだ)。

 

 もしそうであるならば相手は人為的ダンジョン崩壊などというあり得ない技術を有しているばかりか、忌々しいほどに用意周到。荒川ダンジョンになにかしら罠が仕掛けられている可能性すらあった。


 ゆえに万全を期すためカリンにはできれば転覆級とパーティを組んで欲しかったのだが……と真冬が険しい表情をしていたところ、


「肝心なときに助けになれず本当にすまん。ただ、これは気休めの言い訳というわけではないのだがな……過度な心配はいらんじゃろう。なにせカリンあやつは、妾よりも確実に強い』


 その身一つで大陸を統一してみせた若き女王が、揺るぎない声音で断言した。


『あのきさらぎダンジョンの騒ぎで確信した。妾がやろうと決めてから10年近くかかった大陸統一。あやつならば3年でやり遂げる。集団戦に有利な魔法スキルも〈ぱくぱくもぐもぐ〉のような兵站確保のスキルもなしにの。たとえどのような小細工が待ち構えていようと、あやつなら荒川ダンジョンを間違いなく攻略してくれるじゃろう』


 それに、とシャリーは続けて、


『あやつには希少深淵ボスから作ったアレがあるし、妾からも大量の切り札を渡しておる。……まあほとんどあやつの頭おかしい能力練度の産物みたいなもんじゃが……なんにせよ保険はいくつかある。念には念を入れてパーティでいければベストじゃったが、あやつならソロでもどうにかなるはずじゃ』


「……ええ、確かにそうですね」


 世界最強クラスの確信がこもった言葉に真冬はややあって頷く。


 状況が状況だけに、どうしたって心配は拭えない。


 だが同時に真冬はカリンの人柄と同じくらい、セツナ様に憧れ狂気と呼べるほどの鍛錬の末に培った異常な強さがいかほどのものかも知っているのだ。それこそシャリーに言われるまでもないほどに。


 であれば最後の最後までカリンのためにあがくのは当然として、いま取るべき態度はきっと――カリンを信じることだ。


「連中はいまも成長を続けるカリンの本当の強さをまるで知らない。深淵最奥に誘い込んだでどうこうなると思ったら大間違いだわ」


 そして瞳に殺意めいた決意を滲ませて、


「荒川ダンジョンはカリンに任せて、こっちはこっちでやれることに全力を尽くす。こんなことをしでかした連中の捜査はもちろん、カリンが無事に事件を解決したあと、あの子に降りかかるだろう過剰な期待や負担を軽減して一配信者に戻れるよう全力を注ぐわ。たとえ世界の常識を完膚なきまでに破壊することになろうとも。荒川ダンジョンに潜れないぶん、当然あなたにも全力で協力してもらいますよシャリファー陛下」


『うむ! もちろんじゃ!』


「ね、ねぇちょっと!?  なんかさっきから当たり前みたいに2人で話してるけど君たちあのお嬢様の強さをどこまで把握してんの!? というか毒蜘蛛君はちょっとカリンお嬢様の情報伏せすぎでしょあの子いったいいまどのくらい強いんだい!? あと常識破壊ってこれ以上なにする気!? ねぇ!? いやもう未成年に頼らざるを得ない以上、引き換えにこの先どんな激務も覚悟の上だけどさぁ!」


 と腹をくくった真冬とシャリーの会話に霞が泡を食うなか――ダンジョン崩壊阻止に向けた動きは着々と進み――あっという間に訪れた崩壊予告当日。




「それじゃあカリン――準備はいい?」


「ええ! テロリストどもの企みを100%バチボコに粉砕するため、今回は深層配信のときのような魅せ装備だけじゃありませんわ! シャリー様からいただいたアレや深淵希少ボス様から作ったいい感じの装備はもちろん、のほうも念のため準備ばっちりですの!」


 真冬の問いにカリンは奥多摩ダンジョン攻略のときと同じく元気いっぱいにお返事。



 ダンジョンの出現によって世界の常識が激変してから数十年。

 その一変したあとの常識をさらに塗り替えたと評される配信がはじまった。


―――――――――――――――――――――――――――――

ちなみにテンポなどの関係で端折った総理訪問場面は「これだけの事態に相手を呼びつけて依頼するわけにはいかないと思っての行動だったが自分の立場的に逆に良くなかったかと反省する金剛寺総理」「真冬の言葉と感知スキルで総理が本物とわかりひっくり返ったあとゲボ吐きそうになるカリンお嬢様」「絶対に笑っちゃいけない護衛24時にいきなり放り込まれたSPのみなさま」の地獄絵図だったようですわ


加えて補足すると真冬様はぶっちゃけカリンの安全と世界の混乱なら断然前者優先ですが、もしあとでカリンが自分の強さが現実離れしていると知ったときに「あのときなにかできたはずなのに」と酷く後悔するだろうから止められない、という面もありますわ


(あと黒井センサーはドレスをたくさん積み込んだ護送車で大人しくなった黒井様を運び、荒川ダンジョンを中心に各地点で停車、「ここで〇日後(崩壊当日)まで待機する」と告げたあと黒井様が危険を察知するかどうか、という方法で調べたようですわ。こんな雑なやり方でも危機が察知できるあたり大変便利ですわね。そしてあとがきが多いですわ!)

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