第78話 佐々木真冬の諦観

 元々、少々懐疑的ではあったのだ。

 

 深層を踏破したくらいのことで、本当に疑惑が「完全に」払拭されるのかと。


 もちろん親友の提案を疑っていたわけではない。

 実際にチャンネル登録者数や同接はドチャクソとんでもないことになっているし、いまやネットは「お嬢様の無実証明完了!」の大合唱だという。


 けれど……それは本当に「完全な」払拭だろうか。

 少しだけ、あとほんの1歩だけ、インパクトが足りないのではないだろうか。


 真冬は優しいから、安全マージンなどを第一に考えて、足りないインパクトはこっそり自分が頑張ることで埋め合わそうとしているような気がする。


 それに、ほんの僅かでも疑惑をふっかけられる余地が残り、工作員とやらが知人友人に迷惑をかけ続けるかもしれないと思うと本当に嫌だった。お優雅ではなかった。だから、


「今日は特別に、もうちょっとだけ先に進んでみますわね!」


 山田カリンは深層最深部にて、浮遊カメラに向かいそう宣言していたのだった。



      〇


「同接とチャンネル登録者数、なかなか良い数字ね」


 自宅マンション。

 ブラックタイガーと彼らに協力する工作員への対処に動きつつ動画配信を見守っていた真冬は、カリンの深層踏破に伴う各種数字に概ね満足していた。


 最後の超巨大要塞型モンスターはいささか強すぎて少しカリンの実力が世間に知られすぎてしまったきらいはあるが……深層ドレス無傷配信の時点で相当だし、そこはもう不可抗力と割り切るほかないだろう。


 なんにせよこれだけの数字と世界記録のインパクトに自作自演疑惑などほぼ払拭されたと言ってよく、今回の深層配信は大成功と言えた。


 ただ……油断はできない。

 むしろ真冬にとってはここからが本番だった。


「単なる世界記録と多数の命を劇的に救ったヒーロー性による人気は違う。それはブラックタイガーもわかっているはず。それでも普通ならこれだけ不利な状況になった時点で手を引くはずだけど……そもそも警察と手を組んだカリンに喧嘩を売ってくる相手。未来感知に近い能力の所持も疑われる以上、工作員を使って重箱の隅をつつくような言いがかりを続ける可能性は低くないわ」


 今回の件で資金源を大きく削ったとはいえ仮にもトップクラン。まだまだ体力はあるはずだし、彼らに与する有力者の影もある。身元の特定に手間のかかる工作員を使って情報戦を続けることは十分ありえた。


 ゆえに真冬としてはここからやるべき長い仕上げがいくつもある。


 カリンが深層攻略を成し遂げたことで世論を気にする必要もなくなった警察が全力で捜査にあたるとはいえ、即殺できる便乗アンチと違って海外を経由している工作員を全員社会的にブチ殺すにはどうしても時間がかかることは変わらない。長年追及を逃れてきたブラックタイガーを別件逮捕するための粗探しも容易ではないだろう。その間にも続くかもしれない誹謗中傷の封殺、状況の不利を悟ってブラックタイガーを裏切ろうか迷っている者の特定及び籠絡など、悪徳クランにトドメを刺すための暗闘はここからが正念場と言えたのだ。


 特にカリンへの誹謗中傷を続ける工作員への対処は絶対。最優先。

 カリンの深層攻略によってもう世論に与える影響はほぼないとはいえ、先ほども言ったようにつつける重箱の隅はあるのだ。「深層ソロ攻略達成」は十分なインパクトを持つが、それで油断していれば根強いアンチの増殖を見過ごしてしまうかもしれない。


 そもそも、ようやく夢を叶えつつあるカリンへの不当な妨害を見過ごすつもりなど毛頭なかった。


「ブラックタイガーの勢力削りとあわせてネットの工作員潰しなんてキリのない重労働だけど……私は怪我で公安も実質引退した身。ほかにやりたいことがあるわけじゃないし、カリンが笑って配信を続けられるなら別にいいか」


 ブラックタイガーにしろ工作員にしろ便乗アンチにしろ、カリンの顔に泥を塗ったことを何年かけてでも後悔させてやる。


 唯一現状に不満があるとすれば、結果的に公安の思惑通りカリンという絶大な力をブラックタイガーの勢力削りに使うような構図になってしまっている点だが……なんにせよカリンが無事に深層攻略を成し遂げた次はこっちが頑張る番。


 いくら上記の懸念を全部ぶっ飛ばしてブラックタイガーを一気に殲滅する手がなくもないとはいえ、カリンにこれ以上のことをさせるわけにもいかないし……と真冬は自分のなすべきことを見据えて気合いを入れ直していた。


 ――そんなときである。


『今日は特別に、もうちょっとだけ先に進んでみますわね!』


 配信内でカリンがそんなことを言い出したのは。


「……………は?」


 一瞬、なにかの聞き間違いかと本気で疑う。

 だがカリンは言葉通り、深層最奥に出現した道をずんずん歩いていっており、先ほどまで祝福ムード一色だったコメント欄も深淵に向かって突き進むイカれたお嬢様に対する「は?」で埋め尽くされていた。


「なにしてんのあのバカ!?」


 まったく予定にないカリンの行動に泡を食った真冬は速攻でカリンに電話をかける。


『もしもしですわ~?』


「もしもしですわー、じゃない!」


 配信をミュートにして電話に出たカリンの呑気な声に、真冬は大声を叩きつける。


「あんたなにしてんの!? なにするつもり!?」


『それなんですけど、やっぱり深層ソロ攻略だけじゃ少しだけインパクトが足りないと思いまして。ちょっとだけ深淵も覗いてみようかなと思いますの!』


「……!」


 やっぱり、と真冬は絶句する。

 だがそんな真冬にカリンはなにを勘違いしたのか、


『あ、でも大丈夫ですわよ。深淵とは言っても第1層のボスまでにするつもりですし、普段から真冬に言われてる通り本気の魔法装備なんて使わず、今日のために用意した派手さ重視の深層ボス級程度の装備に留めるつもりですし』


 そういう問題じゃない!


 いやもちろんカリンの安否も心配だが、最もまずいのは別のことだ。


 深層どころか深淵までソロで突き進める16歳の存在など、配信すれば国際的に注目されすぎて間違いなく面倒なことになる。それこそ〈神匠〉クラン結成などよりも遥かにだ。カリンならば考え得る問題をすべて力ではね除けることは可能だろうが……なんにせよ七面倒なことになるのは間違いなかった。


 だがそんなことを真正面から言ってもカリンの夢を壊すことになるし、そもそもそのあたりのちょっと難しい話をしても間違いなくカリンは理解できない! 少なくとも電話越しにこの短時間では!


「~~っ! あのねぇカリン、あんたの力は知ってるけど、さすがに配信しながらそこまで行くのは危険でしょ!? 視聴者の前で大怪我したり、ましてや死んだらお優雅じゃないよ!?」


 ゆえに真冬はひとまず無難な口上で止めにかかる。だが、


「大丈夫大丈夫ですわ。影狼様の一件でバズって以来、伸びまくる数字が怖くて絶対にお優雅な配信を堅守しなければと配信の裏でこっそり修行お稽古も頑張ってレベルもゴリゴリ上げてますし!」


(……ッ! この発展途上の成長期め!)


 案の定カリンには通じない。こうなると止めるにはがっつり色々説明するしかないだろう。

 この世界で深淵まで平気な顔をして突っ込んでいけるのは単騎国家転覆級探索者。国がご機嫌をとりつつ存在を秘匿するような真の最強クラスであり、セツナ様たちのように10代で奈落まで攻略するような存在は完全無欠のフィクションだと。


 いやでも、そんなサンタを信じる子供の夢をいきなりぶち壊すような真似を、1年以上も過疎配信を頑張ってきたこの子に……!? いや流石にもうそんなことは言ってられる状況じゃないか……!? と真冬が葛藤していたそのとき。


『それに真冬。あなた、どうやってかはわかりませんけど、深層ソロ攻略だけじゃ疑惑の完全払拭に足りないぶん、わたくしに内緒でこっそり色々頑張るつもりでしょう?』


「……っ!?」


『ほらやっぱり!』


 しまった……! 真冬は一瞬動揺してしまったことを後悔するがもう遅い。

 自分の直感に確信をもったらしいカリンは『ああいや、別に責めてるわけじゃないんですのよ?』と前置きしつつ、


『ですが今回の騒ぎはわたくしのほうから知恵を貸して欲しいと泣きついたわけですし……真冬は優しいから色々やってくれますけど、負担をかけすぎるのは心苦しいのですわ。それにやっぱり、ほんの少しでも疑惑が残ってたまご先生や対探課の皆様に迷惑が続くような状況は避けたいですし……ここらで1発ガツンとやっておきたいんですの! ボスモンスターを思い切りぶん殴りまくって塵一つ残さずぶっ殺すみたいに徹底的に! そのためならわたくし自身にふりかかるリスクなんて二の次ですわ!』

 

「……っ」


 断言するカリンに真冬は今度こそ言いよどむ。


 カリンに常識はないが良識はある。

 その力をお優雅配信や人助け以外でみだりに使うことは決してない。 


 セツナ様でも引き合いに出して説得すれば、深淵配信を止めることは本来容易だっただろう。これまでカリンが真冬のアドバイスを参考にして、お紅茶攻略が可能な下層配信までで視聴者を楽しませていたように。


 しかしその行動が誰かのためであるならば――山田カリンは止まらない。


 そんな、ついつい世話を焼きたくなってしまうおバカな親友に真冬が二の句を告げないでいると、


『あ、そろそろ深淵についちゃいますわ。でっけー気配も結構ありますし、さすがに危ないので切りますわね!』


「あ、ちょっ!?」


 ぶつり。電話が切れる。

 すると入れ替わるように別の相手からの着信が鳴り響いた。


『ちょっと毒蜘蛛くーん!? なんかあの頭おかしいお嬢様が深淵に行こうとしてるんだけど!? 聞いてないんだけど!?』


 電話の相手は公安の女――牧原まきはらかすみだった。

 かつて真冬と接触し、深層ボスを殴り殺したカリンについて問いただしていた女性だ。

 だがそのときの飄々とした態度は完全に霧散しており、電話口で盛大にまくし立てる。


『平気な顔して深淵まで行くような子がその様子を全世界に配信とか下手したら普通に国際情勢に影響が出るんだけど!? いやまああのデカブツを無傷で倒して底が全然見えてない時点でもう完全に荒魂級確定で既に結構アレなんだけどさぁ!?  てかあの子どうなってんの!? 想定より全然強いんだけど! 日本は表向きダンジョン後進国って体裁とってるんだよわかってる!? ぶっちゃけいますぐ配信止めたいんだけどブラックタイガーの妨害で配信が途中で絶対に切れないよう色々ガッチガチに対策しまくったのが裏目に出てそれこそ深淵まであの子をおっかけてカメラをどうこうするくらいしかすぐに配信を止める方法ないしさぁ! さっきからお偉方からの電話が鳴り止まないしどうするのこれ!? ブラックタイガーと組んでDDoS攻撃でも仕掛ければ私たちの手で増設しまくったあの化物サーバー落とせるかなぁ!?』


「……もうここまできたら、包み隠さず見せたほうがいいでしょうね」


 まくしたてる霞に、真冬が大きな溜息とともに告げた。


「〈神匠〉クラン結成未遂時みたく中途半端にカリンの脅威を見せて警戒されるより、ある程度しっかり明かしてしまったほうがずっとマシ。核ミサイルを作っていると疑われるより、既に持っていると喧伝したほうが安全とでもいえばいいのか」


『……っ!?』

 

「まあ、あなたたち公安や国のお偉方はしばらく関係各所への調整で寝る暇もないだろうけど……色々とどうしようもない事情はあれど、いままでブラックタイガーを野放しにして増長させてきたツケを払うときがきたってことで諦めてちょうだい」


 カリンを止められない以上、これでもうブラックタイガーは完全に終わり。

 世論はもとより、恐らくほとんどの有力者(善悪問わず)がカリンの機嫌を損ねまいと悪徳クランの敵に回るだろう。奥多摩ダンジョンでの収入も激減する以上、ブラックタイガーに与する利点はもうほとんどないのだ。


 カリンは間違いなくそこまで考えてはいないが……なんにせよ真冬の献身を見抜き、野生の勘に近いなにかでブラックタイガー潰しに繋がる最善手を打ったのである。真冬がカリンの実力露見を恐れて避けていたブラックタイガー完全潰しの一手を。真冬たちへの負担を軽減するために。


 こんなときだけ察しの良いカリンの気遣いに、そんな場合ではないのに不覚にも嬉しく思ってしまう自分がいる。


 とはいえ……。


「はぁ……。まあ、あの子が憧れを追う以上、いつかはこうなると思ってたけどさ」


 ブラックタイガーのせいで思ったよりずっとずっと早く世界に知られることになってしまったカリンの実力(の一部)に、真冬は再び大きな溜息を吐くのだった。


      〇


 深淵。


 それは深層を超えた先にある正真正銘の人外領域。

 感知に秀でた探索者が遠距離から様子を探ろうとしただけで半狂乱に陥ったという噂話まであるアンタッチャブルだ。


 その詳細は深層とすら比べものにならないほど謎に包まれており、ネットでは誰も真偽を確かめられないのをいいことに荒唐無稽な与太話だけが一人歩きしている。


 そしてそんな魔窟にのほほんと突っ込んでいく1人のダンジョン配信者に、1000万人を超える視聴者たちが大混乱に陥っていた。



〝カリンお嬢様ああああああああああ!?〟

〝なにしてんの!? マジでなにしてんの!?〟

〝は……?〟

〝え、ちょ、ほ、本気ですの……?〟

〝え? え? え? 深淵? ソロで? え?〟

〝登録者1300万人で数字が足りないってなんですの!?〟

〝登録者数なんて今後さらに増えるだろうし同接1000万なら累計視聴者数は5、6000万とかいってるはずだからもう疑惑払拭としては十分だって!〟

〝は? これマジで深淵向かってる? え?〟

〝なんかSNSで変な騒ぎになってたから見に来たら……え、なにこれ……〟


¥50000 @光姫

カリンお嬢様!? え、あの、聞いてないんですけど……!?


¥50000 @光姫

カ、カリンお嬢様の実力は疑ってないんですけどそれでもその、あの……ちょ、ちょっといったん止まりませんか!?


〝光姫ちゃんが止めてる!?〟

〝お、おいこれ本気でヤバいぞ!?〟

〝光姫様が止めに入るレベル……〟

〝ガンジー助走並みの慣用句爆誕したな……ってんなこと言ってる場合じゃないんだが!?〟


¥50000

誰かこの爆走お嬢様とめてえええええええええええええ! ブラックタイガー野放しにしてたのは謝るからやめてええええええええええ!〟



 あまりの事態にひたすら困惑したコメントやカリンを止める絶叫が並ぶ。

 そんな彼らに「大丈夫ですわ! 安全マージンはとりますし、ちょっと第1層を巡るだけですので」とカリンがのほほんと告げていれば、


「お、着きましたわね!」


 岩窟の天然階段を降りていった先から覗く強烈な光にカリンが目を細める。

 そしてほとんど躊躇らしい躊躇もなく、一気に光のもとへ躍り出た。


 果たして浮遊カメラが映し出した光景は――どこまでも広がる開けた丘陵だった。



〝は?〟

〝え、なにここ〟

〝地上……?〟


 

 これまでの岩窟がウソのような、地下深くとは思えない森と丘。

 信じられないことに青空さえ浮かぶ人智を超えた景色にカリンが「お~」と感嘆の声を漏らす。


「えー、皆様ご覧いただけますでしょうか。ここが奥多摩渓谷ダンジョンの深淵ですわね。 どうやらかなり爽やかな部類のようで、地下であることをつい忘れてしまいそうですわ。いつかはこういう綺麗な場所でもお紅茶を嗜みたいですわねぇ」



〝いや、あの、あの(言葉が出ない)〟

〝そうですわね! こういうとこで飲むお紅茶は美味しそうですわ!(思考停止)〟

〝な、なんでこの人、中層や下層での配信みたいな顔して普通に「解説」できてるんですかね(震え声)〟

〝なんでわたくしたちが想像だにしなかった深淵の光景に絶句してるのにお嬢様は当たり前みたいな顔してるんですの……?〟

〝こ、このお嬢様まさか普段から深層どころか……!?〟

〝なんでほかの深淵を知ってそうな口ぶりなんですの……?(真顔)〟

〝待て待て待て待てマジでちょっと待て!〟

〝休憩させて! 温泉に2時間くらいゆっくりつかって気持ちの整理をしたいからちょっと休憩させて!〟



 あまりにも理解を超える映像と展開に、同接1000万を超えるとは思えないほどコメント欄の動きが鈍い。


「「「グルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」」」


「早速お出ましですわね」


 そんななか轟くのは、爽やかな景色に似つかわしくない凶悪な鳴き声。


 これまでにないほど真剣な瞳を浮かべたカリンの視線の先にいたのは、


「それでは、ここからはオマケ配信。奥多摩渓谷ダンジョン深淵第1層をボス部屋までちらっと覗いていきますわ!」


 魔龍鎧装・嵐式、片腕のみのパイルバンカー、ちゅぱかぶら――ドレス姿のカリンは複数の武装を一斉解放。


 皆様に良いところをお見せして配信を盛り上げませんと! とばかりに宙を駆け、絶句する視聴者たちを置き去りにする速度で深層ボス級モンスターの群れへ突撃を開始した。




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