第58話 2人のお嬢と虎視眈々(後編)


 カリンがいつもの調子でトンデモ配信を行い新しい武器を作製する一方。


「はぁ……」


 ダンジョン中層で配信を行いながら大きく溜息を吐く美少女がいた。

 四条光姫。

 登録者数500万を抱える大人気配信者だ。



〝光姫ちゃん大丈夫!?〝

〝しばらく前からたまに様子が変だったけど、この前の配信から特に元気ない感じ?〝

〝そりゃまああんな怪物に技を完コピされれば……〝



「え、あ、いえいえ、全然大丈夫ですよ! ただちょっとその、お気に入りのパンが今日はちょっと売り切れてしまってたんです!」


 配信中にあるまじき憂鬱な溜息を吐いてしまったことに気づいて光姫は慌てて弁解する。しかし当然、光姫の悩みの種はそんなことではなかった。


 フィストファック。


 最高の推しに最低の黒歴史を刻み込んでしまった己のやらかし。

 償いようのない原罪に光姫はずっと懊悩していたのである。

 

(本当、なんで私はあんなバカみたいな書き込みをしちゃったんでしょう……)


 光姫がダンジョンアライブ25話の配信動画にフィストファックと書き込んだのはスマホを買い与えられてしばらくした頃。


 別にストレスが溜まっていたとか、実は裏で変態趣味があったとかそういう事情は一切ない。

 

 ただなんとなく魔が差したというか、少しイタズラがしたくなってしまったのだ。


 ネットの匿名性を利用して、ちょっとした悪ふざけがしたくなった。

 そういう年頃だったのである(フィストファックという単語もネットでたまたま知っただけだ。そうたまたま)。


(ただそれだけのことだったのに、まさかこんなことになるなんて)


 光姫は中層モンスターの生態と倒し方を解説しつつ何度繰り返したかわからない苦悩を脳裏で呟く。


 ちなみに、光姫は一時現実逃避で「もしかして自分以外の誰かが同じ事を書き込んでいてカリンお嬢様が目にしたのはそっちじゃないんでしょうか?」とも考えたのだが……。


 ネット民が総力をあげて探し出した「元凶」動画は光姫が書き込んだものだけ。ダンジョンアライブのネット配信が当時は極限られていたこともあり、自分が元凶であることはまず間違いなかったのである。


 その事実に光姫の罪悪感は天元突破。


 さらには先日の配信で不意打ち遭遇した生カリンは想像以上に異常で良い子。光姫のことをベタ褒めしてくれたり今後の配信でも名前を出していいか丁寧に訊ねてきたりと、ますます光姫を夢中にさせてくれる素晴らしい配信者だったのだ。


 ゆえに、苦しい。


(ああ、うう、いつかは絶対に覚悟を決めて謝らないと……真のフィストファックお嬢様は私だって公表しないといけません……。それが「お優雅」を目指すカリンお嬢様のためにもなるんですから……ああけど……カリンお嬢様に万が一にでも嫌われると思っただけで猛烈な吐き気が……!)

 

 と、推しへの愛が深まれば深まるほど強まる苦悩とジレンマに悶絶しながら光姫が配信を続けていたそのときだった。



「――ああ畜生! 全然上手くいかねえ!」



「……?」


 ダンジョンの奥から微かに聞こえてきた怒声に光姫が首を向ける。

 

「ふざけやがって……! あのガキ、マジでどんだけ戦闘技術を極めてんだ……! 頭おかしいだろ……!」


 耳をすませば、その怒声は収まるどころからさらに語気を強めて再度響いた。


 最初はモンスターとの戦闘時に自分たちを奮い立たせるための喊声かんせいかとも思ったが……どうも様子が違う。戦闘音はないし、響く声は怒りや苛立ちにまみれていたのだ。


 ――なにかトラブルかもしれない。


 光姫の脳裏をよぎるのは、先日のカリンの配信に映り込んだブラックシェルの狼藉だ。

 国内最強クランの一角ホワイトナイトに所属する探索者として、なにより生粋のカリン党カリンファンとして見て見ぬ振りをすることはできなかった。


「すみません皆さん。トラブルかもしれません。少し様子を見にいってみます」



〝気をつけて光姫ちゃん!〝

〝なんかめっちゃガラの悪い声だったな……無理に見に行く必要は……〝

〝光姫ちゃんなら大丈夫だと思うけどヤバそうだったらすぐ逃げようね!〝


 

 そんな書き込みが溢れるなか、光姫は可能な限り気配と足音を消して怒声の聞こえるほうへ進む。そして声の聞こえてくる広間を高級浮遊カメラとともに覗き込んでみれば……、


「ああうざってぇ! 無理だろこんなもん!」


(アレは……影狼砕牙……?)


 ダンジョン中層で1人怒声を繰り返すその探索者に光姫は目を見開いた。

 

 影狼砕牙。


 若手最強の呼び声高い実力者であると同時に、あらゆる層から嫌われている迷惑系配信者だ。


(ダンジョン崩壊騒ぎを境にネットでの発信がほぼ途絶えてましたけど……界隈でも有名なあの迷惑系配信者が中層なんかで一体なにをしてるんでしょう……?)


 影狼の姿を認めた光姫は警戒心に満ちた目を向ける。

 光姫としては結果的にカリンの飛躍のきっかけとなった影狼に(生贄として)感謝はしているし、彼が業界内での評判最悪のブラックタイガーから抜けたという話も聞く。

 

 だが彼がカリンを逆恨みして非常識なリベンジを仕掛けた危険人物であることは事実であり、目の前で怪しい行動をしていることは間違いない。


 なので光姫は証拠保存の意味もあり浮遊カメラとともに影狼の様子をじっと窺っていたのだが――。


「畜生! マジでどうなってやがるあのクソガキ……! どうにか〈無反動砲〉は習得してLvも上げたっつーのに全然水面が安定しねぇ……! 本当に〈無反動砲〉スキルだけであんな馬鹿げた芸当してんのか? いや単に俺のスキルLvが足りてねえのか……あるいはスキルだけじゃなく技量も相まってあのふざけた挙動を? しかも紅茶をこぼさずモンスターどもの攻撃を完全回避ってことは感知系のスキルもズバ抜けてやがるはず……ああクソ一体どんだけの人外技能を同時発動してんのか見当すらつかねぇ……! たかだか中層で動きを真似してみた俺がこのざまだぞ……! 屈辱だがこうなったらまずは上層で……いやさすがに人が多すぎて周辺警戒してても誰かに見られる確率が跳ね上がるな……やっぱ一気にやろうとせずにあのクソガキの動きをもっと分析して「感知」「身体制御」「無反動砲」と必要そうな技能を1個ずつ極めていくのが一番効率が……」


「………………………ん?」


 考えを整理するように独り言を漏らす影狼を見て、光姫は盛大に首を捻った。


 語気こそ荒っぽいが、彼がブツブツ呟いている内容はなにやら非常に真面目な鍛錬の試行錯誤。そしてどこかで聞いたことのあるスキルの考察。


 また、まるで回避訓練でも行っていたかのようにボロボロな影狼の足下にはいくつもの割れたティーカップが散乱していて――。


「……あれ? これはもしかして……配信に載せてはいけないやつじゃありません……?」


 と数秒ほどフリーズしていた光姫がようやくそんな声を発した、直後。


「あ……?」

「あ」


 ばちり。


 影狼がスキル考察に集中していたせいか、あるいは光姫のスニーキング技術が高かったせいか。


 いまようやく光姫の気配に気づいたらしい影狼と光姫の目がバッチリあった。


 瞬間――ダッ!


 光姫は全力で駆け出し、


「っ!? 待てゴラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 影狼が凄まじい怒声をあげ、決死の形相で光姫を追いかけてきた。


「~~~っ!」



〝光姫ちゃん逃げて超逃げて!〝

〝完全に丑の刻参りを見ちゃった系の流れで草〝

〝笑えばいいのか光姫ちゃんを心配すればいいのかわかんないよ俺!〝

〝……!?(宇宙猫状態のワイ)〟


 

 コメント欄も盛大に混乱しつつ、しかし光姫に逃げろと叫ぶ。

 光姫も「見てはいけないものを見てしまいました!」と全力で逃げる。

 だが、


「待てっつってんだろうがあああああ! 〈加速する弾丸ラピッドファイヤ〉!」

「ちょっ!?」


 元々影狼は、レベル900の光姫よりも強いレベル1000。

 さらには大人げなくユニークスキルまで発動。

 走れば走るほど速度と突進力の増すスキルを使って影狼は即座に光姫に追いついた。


「おいてめえ! 見たな!? 見たよな!? いいか勘違いすんじゃねえぞ!」


 光姫の首根っこを掴み、顔を真っ赤にしてまくし立てる。


「別に俺はあのクソガキに影響されたとかじゃねえ! あのふざけたダンジョン攻略を再現できりゃ、バケモノじみた強さに少しは近づけると思っただけだ! つまりまたリベンジするためなんだよ! 敵を潰すために敵を研究するなんてよくある話だろ!? そうだろ!? なぁ!? だからいま見たことは絶対に外に漏らすんじゃねえぞ! 言いふらしやがったらどんな手ぇ使ってでも――」


 と、そこで影狼の恫喝がぴたりと止まった。

 あまりにも激しい影狼の慌てぶりに圧倒されていた光姫の顔を指さして、


「おま……!? ホワ、ホワイトナイトのとこの……!?」


 そして影狼が次に気づいたのは、光姫から少し離れた位置でふわふわ浮かぶ浮遊カメラ。

 影狼は浮遊カメラと大人気配信者四条光姫の顔に何度も視線をさまよわせて、


「……」


 無表情でスマホを操作。

 光姫の配信チャンネルを開いた。

 瞬間、



〝いえーい! お吐瀉物様見てるー!?〝

〝心配しなくてももう既にお吐瀉物様のオモシロ映像が全世界に配信されちゃってまーす!〝

〝影狼お前……いつからそんなあざといキャラになっちまったんだ……!?〝

〝失望しました。影狼のチャンネル登録してSNSでも宣伝します〝

〝笑いすぎてパソコンにコーヒーぶっかけちゃっただろ! 責任とってドレス配信しろ!〝

〝最近音沙汰ないと思ったらがっつりカリンお嬢様に影響されてて草ァ!!!〝

〝そりゃまあ特等席で渋谷決戦見せつけられたら脳の1つや2つ焼かれるわなwwwww〝

〝だからって焼かれすぎだろwww ネットでの発信一切断ってダンジョンでお紅茶修行とかwww あのゴミカスだった影狼はどこいったんやwwww〝

〝これもう穂乃花様の兄弟子だろwwwwwwww〝

〝草〝

〝おハーブプランテーション開園!!〝

〝不意打ちすぎて腹いてぇwwwwww〝

〝すげぇ数の切り抜き職人が集まってきてる……!!〝

〝影狼お前、過去最高に輝いてるよ!〝



「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」


「すみません修練の様子を映すのはマナー違反でしたすみませんあとで正式に謝罪するのでひとまずいまはお互い冷静じゃないと思うのですみません!」


 と、スマホを叩き割らん勢いで絶叫する影狼の隙をついて光姫は逃走。

 

 SNSでは即座に「お吐瀉物系お嬢様」がトレンド入りし、切り抜き動画が数百万再生を越える大盛況。影狼アンチスレが「影狼お嬢様トレンド入りおめでとうございますわ!wwwww」の祝福で埋もれる異常事態となり、ちょっとした祭りになるのだった。






「……はぁ。久しぶりにやっちゃいましたね……」


 影狼に正式な謝罪を行い、チャンネルでも謝罪動画をあげたあと。

 光姫はホワイトナイトの本拠地で大きな溜息を吐いていた。 


 色々と不可抗力だったとはいえ、探索者の鍛錬や戦闘風景など、情報が漏れるような場面を無断で配信に映すのは普通にマナー違反。偶然映り込んでしまうのは仕方ないとはいえ、その場合はすぐにカメラを逸らすのが原則なのだ。


 カリンへの謝罪で頭がいっぱいだったこともあり、そのあたりの対応ががっつり遅れてしまった。


「本当に、カリンお嬢様の件については早くケジメをつけないとですね……いやまあそれがなくともあの衝撃映像にはフリーズしていたような気がしますけど……」


 なんにせよ早くカリンお嬢様には謝罪しないと……けどどうやって心の準備をすれば……と光姫が再度大きな溜息を吐いたちょうどそのとき。


「あ、四条。いいところにいた。ちょっといいか?」


 光姫に声をかけてきたのは、長髪と眼鏡が特徴的な美人。

 長年ホワイトナイトの広報や事務など裏方を支えてきた女性職員だった。

 

「本当に急で悪いんだが、もし空いてたら明後日の集団ダンジョン講習の引率、引き受けてもらえないか?」

「え? ダンジョン講習ですか?」


 光姫は目を丸くする。


 ダンジョンには一部例外を除き、14歳から立ち入りが許可される。

 14歳をすぎれば探索者組合ギルドにてライセンス取得が可能となり、モンスターを倒してレベルを獲得することで正式に探索者としてデビューできるのだ。


 これは従来1人で、もしくは見知った者とパーティを組んで行うことが多かった。


 だが近年ではいくら上層モンスター相手とはいえ少数でいきなりダンジョンに潜るのは不安という者向けに、学校単位で探索者デビュー希望者を集めて一斉にレベルを獲得するという「ダンジョン講習」が主流となっていた。


 引率のベテラン探索者から現地でレクチャーを受けられるということもあって評判がよく、大手のホワイトナイトなどはよく引率を頼まれる立場だったのだ。


「そういえばもうそんな時期でしたか……構いませんけど、私は去年引率をやったから、今年は別の人が受け持ちじゃなかったでしたっけ?」


「それが今年はちょっと特別でな。できれば配信をやってる探索者に引率をやってほしいんだそうだ。それも講習の様子を配信しながら」


「え、配信しながら?」


「ああ。どうも話を聞いた感じ、探索者に興味を持ってくれるヤツをさらに増やしたいみたいだな。にしても本当に急な要請だったからな。警察に人材とられそうでダンジョン庁も焦ってんだろ、ってのが私やほかのクランの連中の見解だ」


 あのトンデモお嬢様の影響力もすげぇもんだな、と女性職員は笑いつつ、


「でまあ、その点お前は実力あるし人気も抜群。ダンジョン庁に恩を売れそうなくらい適任だし、どうかなと思ってな」


「なるほど、そういうことなら」


「助かる! じゃあ急で悪いが明後日はでよろしくな。手当は弾んどくから」


「了解です」


 と、光姫は急に入った仕事にも嫌な顔ひとつせずに対応。 

 むしろ最近の自分のダメっぷりを挽回しないととばかりに気合いを入れ直すのだった。



 少しばかり急な以外には特に不自然な点のない仕事……その裏に隠された策謀に気づくこともないままに。

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