第36話 放送事故


 ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッ!


 渋谷のど真ん中にけたたましい警報が鳴り響いていた。


 その原因はただひとつ。

 ダンジョンの出入り口周辺の地面が半ば陥没するようにヒビ割れ、大量の魔力とモンスターが湧き出しているのだ。



〝おいおいおいおいおいおいおいおい!〝

〝ヤバイって! ダンジョン崩壊とか嘘だろ!?〝

〝野次馬ども逃げろいますぐマジで!〝

〝よりにもよって週末夕方の渋谷でかよ!?〝

〝しかもゲロが地名ゲロしてたせいで野次馬まで集まってるとかこれガチでヤバイだろ!〝

〝最悪すぎる……〝

〝あかん10年前のトラウマが……〝

〝いくらお嬢様いるとはいえどんだけ犠牲者出るかわからんぞいますぐ全員その場から離れろ財布だのなんだの拾うな!〝



 先ほどまでの影狼イジりなど一瞬で霧散。

 コメント欄が一気に緊迫したものになる。


 だがそのコメントも、カリンが先ほど発した「逃げろ」という警告も、鳴り響く警報さえ現地ではなんの意味もなかった。


 悲鳴とパニックが錯綜し避難もろくにできていない。

 週末の人出の多さが加わり、その混乱は加速する一方である。


 だが冷静に行動できないのも無理はない。


 ダンジョン崩壊。


 現実にダンジョンが出現して以降、世界各地で何度も発生した最悪のイレギュラーは人々の脳裏にそれだけの被害と惨劇の記憶を植え付けてきた。


 なんらかの原因でダンジョンが一時的にその維持機能を失い、吹き出した魔力によって短時間なら地上でも活動できるようになったモンスターが人々を襲う最悪の災害。


 まだ強力な探索者が一握りしかいなかったダンジョン発生初期には都市を丸ごと壊滅させた事例もあり、当時出回ったショッキングな映像とともに人々から恐れられていたのだ。


 なんの悪意か。ダンジョン周囲を防壁で覆っても崩壊時の魔力がダンジョン壁ごと防壁も破壊してしまうため、できる対策といえばダンジョン周辺に建物を建てないようにして倒壊の危険をなくすことだけ。


 幸いにしてダンジョン崩壊は発生頻度が極めて稀。人為的な発生も不可能で、万が一起きてしまった際には十分な戦力を持つクランと自衛隊を即出動させる体勢も整っている。だがそれでも一度発生してしまえば大量のモンスターによって間違いなく惨劇が引き起こされるイレギュラーであった。


 特に人口密集地だろうがおかまいなしに出現するダンジョンでそれが起これば――たとえ最終的に問題なく鎮圧できるにしても事態収拾の過程で発生する犠牲者の数は計り知れない。


「「「グルオオオオオオオオオオオオッ!」」」


「な、ふ、ざけんなあああああああああ!?」


 そして湧き出たモンスターの凶刃はダンジョンの近くにいる者――特に弱者へ最優先で降りかかる。


 気絶寸前で錯乱するほどの傷を負った影狼などその筆頭。

 死にかけで地面を這う若手最強に、たかだか中層モンスターの致命的な一撃が迫った。


「させませんわ!!」

「「「ぐがああああああああああっ!?」」」


 一閃。

 

 影狼の前に立ち塞がったカリンがモンスターたちを一瞬で消し飛ばした。


「なっ、おまっ!?」

「静かに! 舌を噛みますわよ!」


 さらにカリンの行動は止まらない。

 大怪我を負った(負わせた)影狼に加え、最早逃げ切れないと察したのかスピーカーを介して避難を呼びかけ続けていた守衛2人も軽々と抱え跳躍。


 まだダンジョン崩壊の影響が届いていない建設禁止区域の外縁部にある小さなビルの屋上へ3人を一瞬で避難させた。


 そんなカリンの行動に影狼が目を丸くする。


「な……おま……なんで俺を助けて……俺はお前を潰そうとして……なんなら今後もお前を付け狙うつもりで――」


「なにをバカなことを仰ってますの!? 今度こそ本当に錯乱してらっしゃるようですわね!」


 朦朧とした影狼の言葉をカリンは一瞬で切って捨てる。


「あなたがなんであろうとも、目の前の方を見捨てるわけがございませんわ! そしてそれは――この場にいる全員同じですの」


 ドレスを翻して向けた視線の先には、いままさに完全崩壊しようとするダンジョン。


 大きく亀裂の走った地面からは下層域のモンスターまで湧き出しはじめ、あと30秒もしないうちに外周部で逃げ惑う人々へモンスターの凶刃が届くだろう地獄の一歩手前だ。


 だがカリンは誰もが犠牲を覚悟するその光景を前にして、


「わたくしの目の前では誰も死なせはしませんわ! 誰か1人でも亡くなれば、それはお優雅ではありませんもの!」


「……っ!?」



〝うおおおおおおおおお! カリンお嬢様あああああああああ!〝

〝やってくれえええええええ! 頼むううううううう!〝

〝いやでも……〝

〝わかる、わかるよ。お嬢様がこの場のモンスターを殲滅できるってのはわかる。けど〝

〝どう考えても手が足りませんわよ!?〝

〝こんな状況、ブラックタイガーやホワイトナイトがいますぐ全員瞬間移動でもせんと犠牲者0は無理やろ……強さとかではなく純粋に手数が足りん〝

〝お嬢様背負い込みすぎないでくださいまし!〝

〝アニメと違って全員救えなくたって誰も責めませんの!〝



 この場にいる最高戦力としてカリンを応援する声と心配する声。

 特にカリンが過度な責任感から冷静さを失い背負い込みすぎているのでは心配するコメントが多く流れていく。だがそんななか、


「……とはいえ、これはわたくしでも手が回りませんわね」


 カリンは極めて冷静に、そして迅速に自他の状況を見極めていた。


「アイテムボックスは……やはり先ほど影狼様が使用したマジックアイテムが尾を引いて使用不可。ですが魔力の具合からしてその効果が及ぶのは発動した際に身に付けていたものだけ。あとから出したアイテムは使用可能。8割以上が純電子機器とはいえ魔力で動く浮遊カメラに影響がないことからもそれは明らか。となると――皆様、今日の配信はここまでですわ」


 ぶつっ!


〝ふぁ!?〝

〝配信切れた!?〝

〝カリンお嬢様配信切ってる!?〝

〝さすがに人死にが出ると思って配慮した!?〝



 真っ暗になった画面にいくつかのコメントが流れる。


 が、それらの類推は的外れだ。

 カリンは死人が出ることを確信したからではなく、死人を出さない戦いのために同接40万になろうかという生配信を躊躇なく切断していた。

 

 念のためにと浮遊カメラも素早くしまい込み――そしてカリンは突如、自らの口に手を突っ込む。


「お優雅さの欠片もないのでこのスキルはたとえカメラを切ったとしても使いたくないのですが――いまはそんなことを言っている場合ではございませんものね! ……うおえっ」



 瞬間、ズルルルルルルルルル! 



 カリンの口から引きずり出されたのは――2丁のゴツいガトリング砲。


〈神匠〉によって生成された重量級魔法兵器だ。


「いつの間にやら習得していたアイテムボックスの劣化スキル〈体内収納〉! 絶対カメラには写せませんが、こういうときは便利ですわ!」


 どう考えても人体におさまるはずのないそれを当然のように両手に構え、カリンは「お優雅」を気にすることなく全身に魔力を漲らせる。


 ――が、カリンはこのとき完全に失念していた。

 

 いまこの場を映しているカメラが自身の浮遊カメラだけではないことを。

 多くの視聴者が、影狼のチャンネルとカリンのチャンネルを2窓していたことを。

 ほとんどの視聴者が「そういえばゲロも配信しとるやんけ」と速攻でチャンネルを移動したことを。


 結果、口腔から武器を引きずり出すアレな姿が引き続き全世界に配信されていることなど、カリンはまったく気づいていなかった。



〝【悲報】カリンお嬢様やっぱり人間じゃなかった〝

〝はあああああああああああ!?〝

〝ちょっ、なんだそれ!? なんだそれ!?〝

〝色んな意味でなにあれ!? なんか口からバカでかい銃が出てきたけど!?〝

〝魔法装備やマジックアイテムはまだ使えないんじゃなかったの!?〝

〝スキル!?〝

〝エイリアンかよ!?〝

〝お嬢様とは一体……?〝

〝完全に放送事故ですわよ!?〝

〝おいカメラ止めろ!〝

〝カリンお嬢様はとっくに止めてるんだよなぁ……〝

〝影狼のボディカメラとかいうお嬢様の一撃を耐えた本日のMVP〝

〝お嬢様これゲロのほうで配信続いてるの気づいてないやろwwww〝

〝ガトリングぬっとぬとで草〝

〝臭〝

〝くっさ♥〝

〝臭いわけないでしょう! カリンお嬢様の体液はお花の香りですのよ!?〝

〝ラフレシアかな?〝

〝エッチコンロ点火! エチチチチチチチ! ……え、なにこれ……〝

〝正気に戻るな〝

〝てゆーかなにあの銃!? 本物!?〝

〝どっからかっぱらってきたんだよ!?〝



 あまりの絵面にダンジョン崩壊のことも一瞬忘れてコメント欄がパニックに陥る。

 だがその大混乱も次の瞬間にはさらなる衝撃で吹き飛ばされた。


「魔力充填完了。目標完全捕捉。弾速十分。それでは――皆殺しですわあああああああああああああああああああああああああ!」


 ドガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ!!!!!!!!!!!!


 カリンの構えた2丁のガトリング砲が一斉に火を噴いた。


 否。


 その銃口からとてつもない速度で放たれるのは純粋な魔力の塊。


 1発1発に濃密な魔力の凝縮された怒濤の弾幕が眼下のモンスターたちに撃ちこまれる。


「「「「「グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」」」」」

 

 ダンジョンから溢れ出すモンスターたちが爆散。

 人々の命を食らおうと駆ける異形の群れが消滅。


 それは下層から這い出そうとしていた『別世界』の怪物たちも同様で。


 ミノタウロスが、ロックタートルが、バタフライパンサーが魔弾の雨に飲まれて消し飛び、さらには下層ボスのラージキメラすら地面から顔を出した瞬間頭を吹き飛ばされて絶命する。



〝おいおいおいおいおいいおいおいおいおいおいおおい!?!?!?!?〝

〝ちょっとまってこめんとかけない〝

〝なにが起きてんのこれ!?〝

〝んだこれ魔力弾!?〝

〝どっからかっぱらってきたのかと思ったら実弾じゃないぞこれ!?〝

〝まさかこれ魔法装備!?〝

〝神匠で作った!?〝

〝どんな威力だよ!?!?!?! どんな連射性だよ!?!?!??!〝

〝モンスターの群れが豆腐みたいに吹っ飛んでるんだが!?〝

〝なんかいまラージキメラみたいなのが顔出した瞬間死んだんだけど気のせいだよな……?〝

〝冗談抜きでコメント打つ手が震えてるんやが……?〝



 そしてその性能は破壊力だけに留まらない。


 いままさに人混みへ突っ込み一般人へ襲いかかろうとしていたモンスターの背中へ、強力な魔弾が正確に着弾。周囲に被害をもたらすことなく仕留めてみせる。


 それも1発や2発の偶然ではなく100発100中。

 数秒後には人々の血と断末魔がまき散らされていただろう場所を、モンスターの死骸で埋め尽くしていく。


「オラオラオラオラアアアアアアアアッ! 地上に出てきたことを一匹残らず後悔させてやりますわあああああああああああああ!」


 さらにその弾幕は尽きることがない。

 膨大な魔力を垂れ流しているにもかかわらず、カリンはダンジョン周辺300mの地面から湧き続けるモンスターをひたすら撃ち殺しまくっていた。



〝えええええええええええええええええええええええええええええ!?!?!?!?〝

〝なんやこれ……〝

〝あかん……これまでで一番意味がわからん……本気で理解が追いつかん……〝

〝待って 待って 本当になにこれ……〝

〝なにこれ映画!? 生配信って聞いてきたんだけど!?〝

〝さっきまでダンジョン災害の映像を見てたはずなんだが……いつの間にアニメに切り替わったんだ……?〝

〝テレ東かな?〝

〝なにが起きてんだよこれ!? カリンお嬢様マジでどうなってんだ!?〝

〝あの……なんかこのガトリング砲……弾がモンスター追尾してません……?〝

〝おかしいだろ!? なんでその威力と連射性で追尾機能までついてんだ!?〝

〝アイテムボックス級の装備隠し持ってるんじゃないかって考察あったけどそれどころじゃねえなんだよこの終わらねえ魔力弾!? どっかに魔力溜めとく装置でもあんのか!?〝

〝俺のサイドエフェクトが囁いてるんだが……この魔弾1発1発に並の探索者なら魔力切れ起こしてぶっ倒れるレベルの魔力がぶち込まれてる……〝

〝マジでそんくらいの威力と性能あって草〝

〝じゃ、じゃあなんでカリン様はそんな装備ぶっ放し続けて全然疲弊してないの……?〝

〝彼女の名は山田カリン 理由はこれでいいか?〝

〝あまりのことにみんなお嬢様言葉吹っ飛んでて草〝

〝カリンお嬢様もチンピラ化してるからセーフ〝



 カリンの無茶苦茶な戦闘に、コメント欄はダンジョン崩壊がはじまったときよりもむしろ混迷を極めていた。


 恐らくコメントを打つより唖然としている者が多いのだろう。

 カリンの戦闘を映す影狼の生配信は未曾有の同接50万を記録。

 SNSを中心にネットでとんでもない大騒ぎになっているのかその数は加速度的に増えていくが、コメントは逆に流れが少しのんびりしているように思われた。


 そして同接があっという間に60万を超えようかという頃、


 ジャコンッ!


「っしゃ! 一段落ですわ! 感知スキル的にも犠牲者は0ですわよ!」

 

 地上にのさばっていたモンスターたちは一匹残らず消滅。

 顔を出そうとしていた後続のモンスターや下層の脅威も完全に叩きのめし、安全を確信してからカリンは一斉掃射を取りやめた。



〝うおおおおおおおおおおおおおおおっ!?〝

〝マジかああああああああああああああ!?〝

〝本当にダンジョン崩壊を1人で食い止めたあああああああああああああ!?

〝犠牲者0!?〝

〝週末の都心で起きたダンジョン崩壊やぞ!?〝

〝カリンお嬢様こんだけのことやってのけて表情にほぼ疲れがないんだが……?〝

〝これもう国民栄誉賞もんだろ……〝

〝いくらたまたま現場にいたからってできることじゃねえんだが!?〝

〝お優雅どころの騒ぎじゃねえ……〝

〝この女傑がフィストファックお嬢様と同一人物ってマジ!?〝


 

 コメント欄に爆発したような賞賛が流れる。

 あまりの勢いに画面がフリーズしかけているほどで、サイトの管理人がなんらかのサイバー攻撃を疑うレベルになっている。


 だがそんな賞賛の嵐のなか、


「ま、だだ……恐らく第二波が来る……!」


 それまでカリンのトンデモっぷりに呆然としていた守衛の1人がはっと我に返ったように掠れた声を漏らした。


「この渋谷ダンジョンは深層まである上位ダンジョン……! いまのうちに一般人の避難を進めないと――」


 と、アラートを聞いて駆けつけた探索者たちが「なんだこれ!?」「モンスターが全滅してる!?」と驚愕しつつも一瞬で切り替え人々の避難誘導を優先するなか――ズンッ!


「っ!」

「……っ!? まさか……もう来たっていうのか……!?」


 さらに大きく地面が揺れて。


 これまで溢れてきたすべてのモンスターをひとつにまとめてもまだ足りないと思えるような魔力の塊が、地下深くからせり上がってきた。

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