第3話 お忍び来訪

「キミと会うのはかれこれ十六年ぶりか。本当に懐かしいよ」


 グレイはコートを脱いでソファに腰掛け、懐かし気に俺の顔を見る。

 彼の背後にはフードを被った護衛らしき人物が一人。


 現皇王の護衛がたった一人とは……どうやら完全にお忍び来訪らしい。

 まあグレイの剣の腕前があれば、護衛なんぞ不要ではあるだろうけど。


「あのなぁ、来るなら手紙の一枚でも寄越してくれよ。お陰で歓迎の用意もできやしない」


「構わないさ。今回は完全にオフレコだからね」


「俺は構うんだが? もし皇王に万が一があったりすれば、大臣共からドヤされるのはこっちなんだぞ」


「僕にその万が一・・・が、本当に起こるとでも?」


「……思わんけど。言ってみただけだ」


 グレイの実力は嫌と言うほどよく知っている。

 俺みたく護身として剣術を身につけてる奴とは違い、彼はその道を極めた正真正銘の剣士。


 魔術に頼らずとも、剣術だけで一騎当千の強さを誇る。

 戦時中はマティアスと並んで、常に斬り込み役を買って出ていたほど。


 で、華麗に暴れるだけ暴れて必ず笑顔で生還するという。

 並大抵の兵士や野盗では、例え徒党を組んでも彼を倒すことはできまい。


 そういう意味では不安はないが、そうじゃないんだ。

 だって皇王様だぞ?

 この国のトップだぞ?

 そうとは知らない領民が無礼を働いたりすれば、それだけで首が飛ぶって。

 もう勘弁してほしい。


「突然で悪かったとは思っているよ。だからどうか邪険にしないでくれ」


「ハァ……そういう豪放磊落ごうほうらいらくなところは変わってないな」


「キミこそ。あの頃のクーロ・カラムのままだ」


「俺はすっかり変わったよ。今じゃ平穏無事な毎日を貪る、怠惰な中年辺境領主様さ」


「それはだろう? キミが怠惰に過ごしているから、ハーフェンは今日まで平穏無事でいられたんだ」


「……!」


「僕にはわかっているさ。クーロがハーフェンの領主に名乗り出たのには、ちゃんと理由があるとね」


 グレイは僅かに身を乗り出し、両手の指を組む。


「……十六年前の大戦の後、皇帝を失った『デネボラ連合帝国』は内部から分裂。内戦状態に陥り、中でも紛争が過激化したのはハーフェンのすぐ傍の地域だ。ここは帝国領との国境に位置する場所だからね」


「……」


「当時、紛争の飛び火が国を跨ぐ危険性は十分にあった。だからキミは抑止力として自らここに来たんだ」


 そう言って、相変わらず微笑を浮かべたまま――


「救国の大英雄の一人にして、天才魔術師にして、稀代の魔術発明家――

”【全属性使いオールエレメンター】のクーロ・カラム”としてね」


 称えるように、かつての俺の二つ名を口にした。


 ……【全属性使いオールエレメンター】。


 それはこの世界に二人といない、俺だけに与えられた特別な称号。


 ――この世界の魔術には〔属性エレメント〕の概念が存在する。


 【聖術式】/〔炎〕〔風〕〔雷〕〔光〕

 【呪術式】/〔水〕〔土〕〔氷〕〔闇〕


 大別して二種類の大属性と、そこに内包される八種類の小属性。


 これが魔術における〔属性エレメント〕であり、言わば陰と陽。

 魔力を持つ全ての人間は、右のてのひらに【聖術式】が、左のてのひらに【呪術式】が刻まれた状態で生まれてくる。


 この術式には画数かくすうがある。

 例えば右手に一画あれば〔炎〕の魔術が使え、左手に二画あれば〔水〕と〔土〕の魔術が使えるといった具合で、その者は合計〔炎〕〔水〕〔土〕の三属性を発動することができるのだ。


 逆にそれ以外の〔属性エレメント〕は絶対に発動できず、どんな魔術が使えるかは持って生まれた術式の画数によって決まってしまう。


 一般的な魔術師なら左右どちらかの掌にだけ術式が刻まれ、画数はせいぜい二画程度。

 両手に術式が刻まれて合計四画も持っていれば、そいつは国でも有数のエリート魔術師に出世できるだろう。


 ちなみにグレイにも術式と画があり、右手に【聖術式】〔炎〕〔雷〕〔光〕の三画が刻まれている。

 左手の【呪術式】は一切持たないが、それでも十分優秀な部類だ。

 戦時中の彼が”聖剣士”の異名で呼ばれていたのも頷ける。

 

 ――で、対する俺はと言うと。


 右手に掌に【聖術式】〔炎〕〔風〕〔雷〕〔光〕の四画、

 左手の掌に【呪術式】〔水〕〔土〕〔氷〕〔闇〕の四画、


 合計二つの術式と八つの画が、両手にびっしりと刻まれている。

 要するに全ての術式と画を持っているのだ。


 故に――【全属性使いオールエレメンター】。

 理論上ありとあらゆる魔術を発動できる、唯一無二の存在。

 この才能を持つ人物は、今のところ俺しかいないらしい。


 加えて面白いことに、この世界の魔術は〔属性エレメント〕と〔属性エレメント〕を混ぜ合わせて新しい魔術にすることが可能。

 例えば〔炎〕と〔水〕を混ぜたりとか、〔氷〕と〔闇〕を混ぜたりとか……。


 それを知った俺は実験ついでに戦場であれこれ試し、新魔術を発明しまくった。


 そうだなぁ、だいたい千種類くらいは新魔術を作ったかな?

 少なくとも帝国の奴らが対策を講じるよりも早いスピードで、どんどん発明していったからな。


 お陰で戦時中は、帝国の奴らに「【全属性使いオールエレメンター】が戦場に現れたら、未知の魔術で戦局をひっくり返される」と恐れられていたらしい。

 噂では”全属性使い恐怖症オールエレメンター・フォビア”が一部で流行ったとかなんとか……。


 ……いやまあ、何度かひっくり返したことはあるんだけど。


「キミが魔術の開発もせず怠けながらハーフェンを守ってくれたお陰で、変に警戒されることも、国内に紛争が飛び火することもなかった。皇王として僕はキミに礼を言う」


「や、やめてくれ。そんなんじゃない……」


「だが事実だ。それはエステルも高く評価していたよ」


「――! エステル、が……」


 その名前をグレイの口から聞いて、俺は言葉を詰まらせる。

 だがすぐに作り笑いをして見せ、


「ハ……ハハハ。そうか、あの子まだ俺のことを忘れてないんだな」


「……クーロ」


「で? 結局皇王サマは、どんな目的でこんな辺境までお越しくださったんだ? 本題を聞かせてくれよ」


 話を逸らすように、俺は切り出す。


 というか、これを聞かずにはいられない。

 本来であれば、大勢警護を引き連れて仰々しく来訪しなければならない皇王グレイ。

 それがどうして、わざわざ身を隠すような真似をして俺の下を訪れたのか?


 恐らくかなり重要で機密性の高い話になると思われるが――


「うん……では早速、話をさせてもらおうか。わかっているとは思うけど――」


「オフレコで、だろ。絶対に口外しないよ」


「助かるよ」


 グレイも意を決した様子で話し始める。

 そして彼は、



「……クーロ・カラム、こうしてキミの下を訪れたのは他でもない。キミに――”娘”の教師をやってほしいんだ」



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