【二十二話】「未来へのお楽しみに」

 昼間になるとお天道様てんとうさまは天上を昇り、日差しを障子から遠ざけていく。


 清潔さと慎重さ、和の優雅を感じさせる庄司家の広間だが、私は嫌な思い出しかない。


 拘束された状態で初めて連れて来られた屈辱、瀏鑪哢るるるを見逃したことにより罰として全身を隈なく切り刻まれた記憶に新しい出来事。

 第一印象とは表裏な最悪な場所である。


 二度に渡り、そんな仕打ちをしてきた者は、座布団の上でふんぞり返りながら妙な形へと曲がり溶けた刀を大きな指先で触っている──厳つい大老男およしお


 入室し、十六夜の前で正座してから八分。

 沈黙としながら彼は、まるで私がいる事に気付いていないかのように、縫われた双眸と手触りで霞命の十握剣トツカノツルギを隅々まで確認していた。

 距離からして八尺二寸五分二メートル半ほど、今なら寝首を掻く事も出来なくは無さそうだが──


「おい」


 無言を貫いていた十六夜は刀を触りながらも視線を向けず、声を掛けてきた。

 私は何故ここに呼び出されたのかは知らない、罰としてまた私を斬りつける気なのか。


「何の用かしら……? 報告なら前にしたわよ。瀏鑪哢の後ろにいたのはアブラメリンで、霞命も霞命で決着がついたみたいだし……」


 そして、十六夜はまた沈黙へと戻る。


 小男の創人を殺した件か、はたまた瀏鑪哢と決闘させ酷い怪我を負わせた件なのか、どれもこれも悪い想像ばかりで彼奴きゃつの様子を伺うことしかできない。

 できれば、四肢が完治したばかりだから斬られたくはないのだが。


 それからも言葉が返ってこないので、私は瞳を据わらせて彼の持つ刀を見つめた。

 刃先のほとんどが焼損し、刀身も最後に見た時と比べ半分も削れており、右の方へぐにゃりと曲がっている。

 微細だった柄もボロボロに焦げており、価値すらも無い。これが……霞命の安珍・清姫伝説の力の結果だというのか。

 

「あのさ……」


 それよりも、と十握剣トツカノツルギを最初に見た時から気になっていたことを、良い機会だと問いてみる。

 私が話しかけようが、その男はかつて刃が有ったはずの溶けた位置へと人差し指を置いて微かに力を加えている。

 耳に入れてなかろうが、最後まで話させてもらう。


「その十握剣……じゃないよね?」


 すると、彼の手触りは止まり膝元へと刀を置いた。


「そうだが? あるわきゃねぇだろ、手前てめえぇんとこに出てくる童子切安綱どうじぎりやすつなもねぇだろうに。

 模造刀だよ、真剣の」


 冷静に言いながら頬杖を付いて、十六夜は見えぬはずの私を睨みつけている。


「そう……」


 しかし、たぶんそれだけじゃない。それだけの模造刀ではない。


「最初に見て思ったけど、何使ってるのこれ? ただの鉄だけじゃなさそうよね」


 続きを聞いてみると、十六夜は歪に曲がった刀を片手で持ち上げた。


「カーボンだよ。外見は刀に見えるようにして加工して貰ってな、一本だけでも結構な値段はした」


 口角を上げ、十六夜は少々自慢げにの正体を告げる。


 やはり……それにしても、カーボン?


 強度特性や耐熱性に加え、軽く腐食しにくい優れた性質をしてい有名な材質だ。

 刀身が黒いのはそれが原因か、中学生に持たせる護身用グッズにしては高価すぎる。


「へぇ、そりゃあお高い玩具おもちゃで」


 嘲笑を込めた言葉に十六夜の眉が微かに反応したが、彼は横へと十握剣を置き、仏頂面のまま話を続けだした。


 はてや、意外。


「……ようは、血ぃを。創人の血を物語の中で使っていた武器だと思い込ませる事で強い力を発揮できる。

 ──霞命もこれが本物じゃないって理解している。それを理解した上で、これを十握剣だと思い込んで使っていただろうよ」


 成程なるほど、昔会った“創人やつ”も同じようなことを言っていた。

 それを自身が使っていた武器だと思い込み──物語の登場人物に成りきって使うという役者にも似た一種の疑似技術。

 『それを可能にした』──その言葉の意味と溶け曲がった刀が告げてくる事をすぐに理解し、神経を研ぎ澄ませる。


「このカーボンブレードは金属含浸材で、五百度の熱も耐えることが出来る代物だ。……後はわかるな、糞鬼」


「──……を放出し、その上で千石瀏鑪哢せんごく るるるを殺めぬようにしていた、でしょ」


 私は納得のいかない表情を浮かべながらも、それしかない真意を語る。

 創人の力は謝れば他者を傷つけかねない、この世界に合ってはならない超能力のような物。

 それを目覚めたばかりの霞命が制御しながらも、武器の方が耐えることの出来ない力を放っていた。まさに尋常ではない。


 私の言葉を聞き、彼は予想通りと言いたげに大きな口を上げて哄笑しだした。


「はははははははっ! そうだ、そうだよ……ッ! いやはや、どうして! ……さすが霞命。なかなかの腕前だ! 上出来、上出来、こりゃ天晴アッパレだ! 嬉しいねぇ、はははははっ!」


 縫われていた眼の繊維もはじ切れそうなくらいの破顔をしながらも立ち上がり、宴と言わんばかりその高笑いは大きくなっていく。


 創人である私の口からもその話しが聞けたからか、霞命の強さが確信できたことが嬉しかったのだろう。

 確かにすごい事だ。それと同時に、人を傷つけかねないというのも視野に入れていない能天気な男。


「しかし、まぁおっしいことをしたな。霞命も」


 すると顎に手を乗せ、十六夜は思案するかのように落ち着きを取り戻した。


「あの大友興廃記のガキを殺しておけば良かったものを……そしたら完全なる白星だったのに、何故そうしなかったのか……今時の若者故の情けなのか?」


 一人考えながら首を傾げる十六夜を、私はただ黙って正座のまま見上げている。

 殺せた、確かに……創人私たちは人を傷つけ、殺す事も出来る。

 しかし──霞命は、たぶん、そんなこと望まないだろうな。

 そんな私だけが気付いている密かな感情を、彼の祖父はそのかんかすりとて感づく事は無かった。


 ※


 躰から微かにのぼり立つ湯気は夜風に掻き消され、お盆を両手に持ったまま床の溝部分を綱渡りのように歩んでいく。

 多少濡れた長髪が少し渇きながらも霞命の部屋へ着き、静かに襖を開け入って行った。


霞命かぁなっ、お風呂あんがと。かき氷貰ってきたよ」


 私の言葉に窓から浸透する月を見つめていた霞命はくるりと頭を回し、今の夜に似た静かな口調で「ありがとうございます」と呟いた。

 首や右腕、着物の中へと隠れている腹と背に包帯を巻きながらも、彼は普段と相も変わらぬ平気そうな態度を見せている。

 そろそろ邪魔な包帯も外れ、完治する頃合いだ。


「はーい、あーん」


 スプーンで掬い上げた苺色の氷を桜の唇に差し出すも、彼は咥えてはくれず私の目へと視線を移す。


「あげますよ、かき氷」


 遠慮がちに言う霞命、されど私は負けじと声を張った。


「いんや、霞命のだ」

甘味かんみですよ、なかなか食べれないでしょうに」


 冷たい意地の張り合い、何故こうなる。

 そこで私は打開策を練り、溶けだした氷を突き出したまま口にしだした。


「んじゃあ半分こ、交互に食べよう……良いね?」


 私の話を聞き、霞命は少しの間を置くと小さく頷き──溶けたかき氷を綺麗に飲み込んでくれた。

 しゃくり、しゃくり、と音を立てながら掻き混ぜた氷を私も頬張ると、久しぶりの氷菓子に酒とはまた別の感情が込み上げだした。




 生きててよかった、と感動する。




 が、調子を整え、忘れぬうちに聞く。


「……十六夜に言ったのさ、霞命でしょ。──私を痛めつけないようにって」


 ぐるりと視界目ん玉を回し、彼の様子を伺うと霞命は素直に頷いた。


 ……やっぱり。


 裏にいた男を殺し、何より殺せと命令された瀏鑪哢すらも殺めず連行してきたのに、あの男は残虐な罰も与えなかった。

 と考えると、孫に甘い彼だったら頼まれれば守るだろう、と結論づけた。


 どうやって自分がそういう罰を受けていると知ったのだろう──情報の出何処でどころは追及しまいが。

 あの日から当分稽古も休む事になったしな。


 今後の事、様々な憶測、などあれども……。




「う~ん……かき氷美味しいっ!」


 数年ぶりの氷菓子の前では、全て忘却の無に返る。


「あ~あ、これに酒があればなぁ……」


 体が溶けたかのように伸び、心の底から内を吐露する。

 霞命以外誰も聞いていないのだから良いだろう。


 すると霞命は突然ゆっくりと体を起こし、押し入れへと歩いて行った。

 開いて見える物は霞命の衣服が詰まった箪笥たんすしか無く、とても質素なもの。

 右腕の使えない体を這いつくばらせながら奥へと進んで行き、慎重な様子で何か大きなものを取り出してくる。



「ちょっと、片手でそういうことすると顔を打つって──んあっ、えぇ⁉」


 予想外なあまり、ついつい間抜けな声を上げてしまった。


 押し入れから顔を出した彼の小さな手に握られていた物は、とても不釣り合いで大きな瓶。


 それも筆で描かれた清逸な書道がラッピングされた日本酒『旭酒造あさひしゅぞう』の“獺祭だっさい”──その様な高級品を小さな体に抱え、今、私の目の前に姿を現した。


「そ、それそれそれ……」


 衝撃で体を支える指が震え、感想が纏まらず口を上下させてしまう。


「注ぐ物を持ってきますね」


 と言い残し、部屋を後にした彼を唖然としながら見送ると急いで獺祭の方へと近づき、赤子の様に抱き抱えて瓶越しに臭いを嗅いだ。




 間違いない、気分が高揚する。

 盛り上がった無意識下の中で霞命の分を残さぬまま、かき氷を完食してしまうが罪悪感は湧かない。




 盃を手に持ったまま彼は戻り、片手で瓶を開けようとしたが危ないので私が開けた。

 良い音を鳴らし、皿の上へ慎重に注がれ溜まっていくは神の水溜まり。


「助けてくれたお礼です、ジィジの代わりに。本当はお金が良いんでしょうけど……今はそれで許してください。大きくなったら僕が今までの分、全額払います」


 と、頭を下げながら優しい言葉を投げ、私は感動のあまり感極まって思わず頭を撫でながら無言で抱き寄せてた。


 私の体に埋もれる小躰を尻目に、一杯めを喉奥へと押し込んだ。


 二百年以上生きた先に見えた領域、爽やかとした好みな淡麗たんれい辛口が喉を駆け抜け、全身へと満遍なく旨味が透き通っていく。

 まるで夜なのに満天の青空を見ているようだ。スパゼロなんて敵ではない。


 『ふぅ』と溜息を洩らすと胸の中で霞命は私を凝視しつつ、ゆっくりと口を開きだした。


「それ、じぃじが持ってた一本なんです」

「…………盗んで来たの?」

「はい」

ずるい子」


 それでも感謝し酒を飲む。

 久方ぶりにこんなうまい酒を飲んだ、禁酒だらけで酒呑童子の名が廃る。


 一杯めを飲み終えると、こんなことをしてくれる霞命に申し訳が立たなくなり──酒の無くなった盃を揺らしながら、おもむろに一つの事をうち開けだした。


「ねぇ、霞命。──瀏鑪哢って子さ、たぶん“混血児”だ」

「混血、児……?」


 不思議そうにオウム返しをする霞命に視線を向けぬまま、言葉を紡いでいく。


「最初に思った時から言えば良かったんだけど、確信が少なくて──脇差とはまた別に持っていた、太刀と打ち刀……ありゃどっちもだね」


 千子村正せんじ むらまさを開祖とし、徳川家の悲運に関わる刀たちを作った一族たちの呪いめいた噂。

 いつしかそれは、伝説へと昇華され──


「大友興廃記、と……かの有名な“妖刀村正伝説”。どおりで剣が上手いわけだ」


 そんなのを霞命が相手にしてたとは、考えただけでも鳥肌が立つ。


「もしあの子がちゃんとした稽古を受けていて、技もたくさん身に付けて、鍛錬を重ねていたら……霞命は成す術もなくやられていただろうね」


 命知らずもいい所だが、もしその全てを身に付けていたら最初の時点で命を狩られていただろう。

 ──これは推測になるが脇差以外の刀の正体はあの子は、とも考えられる。

 できていたら、あの電撃以外の技も使っていたはず……。


 その話に最後まで耳を通し、霞命は視点を下へと向け沈黙している。

 何を考えているかは知らぬが……。

 瓶を持って、また盃に注ぎだすと霞命の前に差し出した。


「一緒に飲む?」

「未成年なので」


 と、少々ツンとした声色で一蹴されてしまう。


「律儀。

 ──人が考えたルールばっか守ってても、人間やっていけないってのに」


 詰まらなそうに呟きながら、自身の唇へと酒を付けた──が、少し止まり、畳へ落とさぬようにしながら酒を瓶の中に戻していった。


「じゃあ……これは全部飲まずに残しておこうかな」


 瓶に栓をしながら話す私に、彼は顔を顰めている。

 きっと最後まで全部飲み切ると思ったのだろう。

 無論、そうしたいが。


「霞命がお酒を飲める年になったら、この酒を一緒に飲もう」


 これは個人的な私たちの関係の契約延長のサインでもあった、ほろ酔った私を憧れの様に凝視し──霞命は小さな手で私の掌を包み込んで、貝殻掴みで感情を伝えてくる。


「そんじゃ約束だね。私は指切りで縛れる創人にんげんじゃないからね。指全部切られたことあるし、げんこつ一万発も余裕だし、針千本飲むのも簡単に飲めちゃう。

 まぁ、上手く手綱を握ってよ……ご主人様」


 夜の青白さに染まる、その白髪も、その赫眼せきがんも、今は私の為に輝いて、とても雄々しい。


「飲めるようになったら一緒にこれを飲みながら今日の事を思い出して、朝まで語り明かそうや」




 あぁ、不思議だ…生きる楽しみが増えてしまった。

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