【二十話】「交えなさい、喰みなさい、傷つきなさい」

「……ご安心ください、ここは庄司しょうじが管理下に置いているビルですので人は来ません。ご自由に刀を振るって構いません」


 颶風ぐふうが吹き荒れ、黒白と対する互いの長髪は生きた獣が如く暖簾のれんの様に仰がれる。

 余裕を失った小男を握りしめながら下へと落ちていった衆能江を尻目に緊急離着陸場ヘリポートが完備された六十を超える高層ビルの屋上で霞命かなは解説者のような口調を見せ、彼女を諭しだした。


「……了承してなんなのですが、一つお聞きしても?」


 瀏鑪哢るるる月白げっぱく色の着物を身に纏った霞命を真面まめんに凝視し、緊張を崩さぬよう問いてみる。


「何か」


 それに対して、霞命は相も変わらず早乙女さおとめの様な声色で返事をする。


「……もう私は貴方と戦う理由を完全に見失ってしまいました。救うはずだった父からあの男が取り除かれ、今や大江山絵詞おおえやまえことば様の手中にあります。もはやあなたを殺める意味はないのです。

 ──それなのにどうしてです?」


 脅迫同然で雇われてはいたが、アブラメリンの創人が取り除かれたことによって瀏鑪哢は自由の身になったと言っても過言ではない。

 であるにも関わらず、その暗殺対象であった庄司霞命は対戦場所まで用意して彼女に再戦を申し込んできたのだ。


 前回は霞命の惨敗、そして次もどうなるかわからない。

 そんな事、『また殺しに来てくれ』と頼むようなものだ。


 すると、霞命は眼を据わらせながら「嗚呼、そんなことか」と言いたげに、さほど問題にも思っていないであろう態度で唇を開いた。


千石せんごくさんのけんには、僕にないものがあったからです」


 凛とした、されど見惚れるような視線で彼は一部をダンボールで包装された三本の鞘を一瞥する。


「あなたにないもの?」

「僕には無い、ましてやどの技でもないまさに我流の。千石さんの言葉をお借りすれば『教科書を破り捨てた美学』だと直感して……見事に見惚れました」


 他者を褒めつつも彼の手には鞘から抜いたには既に“十握剣トツカノツルギ”が握られており、月夜の世界に漆黒のあらわしていた。


「当方一身上の都合ではございますが……

 千石瀏鑪哢様、貴方とのたいを願います」


 瀏鑪哢は彼の言葉に無言を貫き、初めて見るくろがねの刀を注意深く観察しながらも太刀に手を置き、姿勢を落とした。

 その態度だけで霞命は心中で感謝し、まぶたを細めていく。


 ビル風が耳鳴りを起こし、互いの五感を極限まで高まらせる。


 ──最初に静寂を破ったのは、瀏鑪哢の方だった。


 いかづちが如く疾風で一瞬にして距離を詰められる。

 懐に入り、太刀を勢いのままに抜刀して敵の肉を撥ねだす。

 風が電撃に痺れ、刃は霞命を狙うが届くこと叶わぬまま重音が重なる。

 お互いの顔は近く、鍔迫り合いで抑え合うも力では上手である霞命が静かに押し出していく。


 刹那、瀏鑪哢は体ごと横へと太刀をずらして十五歩ほど距離を取った。

 わずか数秒だったが、霞命の腕前が変化している事に彼女も感づきだしていた。


 攻撃する瞬間を待つ両者、刀を持つにはどちらも不釣り合いな恰好をしていた。

 一方は着物、振袖回して脚幅も狭まる。一見不利ではあるが彼のは特注品、その辺は試行錯誤が施されている。

 一方はセーラー服、血痕目立つ夏白制服、多少袖が邪魔だがスカートの乱れを気にしなければ身軽さでは此方にある。


「ハァァァァァァァァァァァァっ‼」


 そしてまたも接近するは瀏鑪哢から──横に振り切った太刀を霞命は跳躍して回避した。

 すると腰に巻いていた打ち刀を瀏鑪哢は瞬時に抜いて、彼の腕へと投げつけてきた。

 刃は袖ごと霞命の右腕を掠めて肉が裂けだすと、白い肌を流血が上書きしていく。

 それでも霞命の柘榴石ざくろいしに似た紅き眸は、獲物を見定める毒蛇の様に放そうとはしない。


 月光を浴びて揺らめく着物を翻して、次は霞命が打って出た。

 下から上へ撫で斬り、そのまま重力を乗せて振り切るが彼女の刀は落とせない。

 しかし、霞命の攻撃はそれくらいで収まりはしなかった。


「……ッ!」


 前とはうって変わって静寂、ではなく豪快な連撃が彼女を襲う。

 僅かな角の足場で跳ねて上から、ましてや空中で体を回転させて打ち込んでくる瞬間をわからなくなさせたりと様々な攻撃を加えてくる。


 ──連続して打ってくるから隙が無い、やりますね霞命ちゃん。あのお姉さんのおかげでしょうか。


 瀏鑪哢はただひたすらに彼の攻撃を受け続け、太腿や首に刃が掠める。


──ですが……!


 例え女だろうと霞命は攻撃に容赦がない、そして吐息の数が増え──瀏鑪哢は投げ落とした打ち刀を手に取って、彼の背中を切りつけた。


 息が上がる瞬間をと定めた攻撃は絶大であり、受け身の体勢を取るも霞命の背面は斬られた着物と共に紅く彩られていた。

 遊びも迷いも無い太刀筋、しかし此方こちらの方が上手うわてであろうと瀏鑪哢はそれでも警戒を解かない。


 すると背中に感じるはずの感覚もまるで無いかのように、霞命は瀏鑪哢の方へくるりと振り返った。


 その表情に瀏鑪哢は身震いした。いくら傷つこうとも彼のかおは死後硬直のように青白く、喜怒哀楽その全てを見せようとはしない。

 致命傷で無くとも何故平然と動くことが出来る、まるで亡霊の様に彼は目の前にいる自分を見つめ続けている。


「……霞命ちゃん!」


 霞命の気迫に押されまいと声を張り、瀏鑪哢は自分を奮い立たせる。


「貴方様には、我が家を復活する為の名を刻む手柄になって貰います!

 感謝しますよ、庄司霞命ちゃん! まさにこうなる事は天命とも解釈しましょう!」


 其方そちらが演劇の様な派手な技で圧倒しようというのなら、此方こちら外連ケレン味のある台詞で対抗しよう。


 霞命一人切ったところで千石家が復活するどころか、命を狙われるであろうことは承知している。

 しかし、それでも言っておかないと目の前にいる霞命あいてを倒すことは出来ない。


 紅く点滅を繰り返す航空障害灯は、霞命の美麗な白髪を薄紅に染めてくる。

 月光を血に汚れた背に浴びて逆光となった彼の眸は、不思議と紅く煌めているように見えた。


 そして顔に出ぬまま──心はほくそ笑む。


 太刀と打ち刀を収め、刀身から白き電流を流しながら脇差を抜刀すると──瀏鑪哢は三本の鞘を脚下に置いた。

 無論負けを察した故の行動ではない、少しでも勝ちに行く為だということは遠目から見た霞命でも理解できた。

 刃毀れだらけで柄もほつれていて古く修理すらされていない刀を月と電光の前に晒して、千石瀏鑪哢はそのどちらよりも強力な輝きを見せつける。


 彼女をいかずちに変え、雷切丸らいきりまるは目の前にいる蛇へと迅速に畳みかけに行く。


 ──前、取った!






 そして、鉄の音と共に彼女の顔と制服に血飛沫が降りかかる。


 刀を払い、血を払い落とすと彼女は瞠目とした表情でコンクリートの地面を見つめた。

 確かに彼を、肩から斜めにかけて着物も斬れていた。

 しかし手ごたえが少ない、それよりなにより。

 彼女は自身の横髪を触り、そして違和感を確信へと変えた。


 後ろを振りかえると焦げた黒い長髪が風に連れ去られて行き──その先で、霞命は逆光の中またも此方を見つめていた。


「……来ましたか」


 息を呑み、瀏鑪哢の心情に呼応して周辺にある明りがバチバチと強弱に光りだす。


 肩から胸にかけて切り裂かれた着物からは素肌が露出し、またも彼の血が衣服を壮大に濡らしている。


 先程の一撃、のだ。

 しかしまだ本調子ではないのであろう、攻撃は通っている。

 されど、少しずつ瀏鑪哢の速度に追いつけるようになっている事が問題なのだ。


 小さな口を開くと霞命の口内が燃えるかのように紅く光り、黒煙が夜風に紛れて小さな陽炎かげろうを作りだしていた。

 彼の眸は、既に獲物を凝視するものではなく──獲物を食い殺しに掛かる眸になっていたのだ。




 六月二日、午後八時二十四分三秒──高層ビル屋上、緊急離着陸場付近。

 庄司霞命に眠る“清姫”が開眼した。

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