【二十話】「交えなさい、喰みなさい、傷つきなさい」
「……ご安心ください、ここは
余裕を失った小男を握りしめながら下へと落ちていった衆能江を尻目に
「……了承してなんなのですが、一つお聞きしても?」
「何か」
それに対して、霞命は相も変わらず
「……もう私は貴方と戦う理由を完全に見失ってしまいました。救うはずだった父からあの男が取り除かれ、今や
──それなのにどうしてです?」
脅迫同然で雇われてはいたが、アブラメリンの創人が取り除かれたことによって瀏鑪哢は自由の身になったと言っても過言ではない。
であるにも関わらず、その暗殺対象であった庄司霞命は対戦場所まで用意して彼女に再戦を申し込んできたのだ。
前回は霞命の惨敗、そして次もどうなるかわからない。
そんな事、『また殺しに来てくれ』と頼むようなものだ。
すると、霞命は眼を据わらせながら「嗚呼、そんなことか」と言いたげに、さほど問題にも思っていないであろう態度で唇を開いた。
「
凛とした、されど見惚れるような視線で彼は一部をダンボールで包装された三本の鞘を一瞥する。
「あなたにないもの?」
「僕には無い、ましてやどの技でもないまさに我流の
他者を褒めつつも彼の手には鞘から抜いたには既に“
「当方一身上の都合ではございますが……
千石瀏鑪哢様、貴方との
瀏鑪哢は彼の言葉に無言を貫き、初めて見る
その態度だけで霞命は心中で感謝し、
ビル風が耳鳴りを起こし、互いの五感を極限まで高まらせる。
──最初に静寂を破ったのは、瀏鑪哢の方だった。
懐に入り、太刀を勢いのままに抜刀して敵の肉を撥ねだす。
風が電撃に痺れ、刃は霞命を狙うが届くこと叶わぬまま重音が重なる。
お互いの顔は近く、鍔迫り合いで抑え合うも力では上手である霞命が静かに押し出していく。
刹那、瀏鑪哢は体ごと横へと太刀をずらして十五歩ほど距離を取った。
攻撃する瞬間を待つ両者、刀を持つにはどちらも不釣り合いな恰好をしていた。
一方は着物、振袖回して脚幅も狭まる。一見不利ではあるが彼のは特注品、その辺は試行錯誤が施されている。
一方はセーラー服、血痕目立つ夏白制服、多少袖が邪魔だがスカートの乱れを気にしなければ身軽さでは此方にある。
「ハァァァァァァァァァァァァっ‼」
そしてまたも接近するは瀏鑪哢から──横に振り切った太刀を霞命は跳躍して回避した。
すると腰に巻いていた打ち刀を瀏鑪哢は瞬時に抜いて、彼の腕へと投げつけてきた。
刃は袖ごと霞命の右腕を掠めて肉が裂けだすと、白い肌を流血が上書きしていく。
それでも霞命の
月光を浴びて揺らめく着物を翻して、次は霞命が打って出た。
下から上へ撫で斬り、そのまま重力を乗せて振り切るが彼女の刀は落とせない。
しかし、霞命の攻撃はそれくらいで収まりはしなかった。
「……ッ!」
前とはうって変わって静寂、ではなく豪快な連撃が彼女を襲う。
僅かな角の足場で跳ねて上から、ましてや空中で体を回転させて打ち込んでくる瞬間をわからなくなさせたりと様々な攻撃を加えてくる。
──連続して打ってくるから隙が無い、やりますね霞命ちゃん。あのお姉さんのおかげでしょうか。
瀏鑪哢はただひたすらに彼の攻撃を受け続け、太腿や首に刃が掠める。
──ですが……!
例え女だろうと霞命は攻撃に容赦がない、そして吐息の数が増え──瀏鑪哢は投げ落とした打ち刀を手に取って、彼の背中を切りつけた。
息が上がる瞬間を隙と定めた攻撃は絶大であり、受け身の体勢を取るも霞命の背面は斬られた着物と共に紅く彩られていた。
遊びも迷いも無い太刀筋、しかし
すると背中に感じるはずの
その表情に瀏鑪哢は身震いした。いくら傷つこうとも彼の
致命傷で無くとも何故平然と動くことが出来る、まるで亡霊の様に彼は目の前にいる自分を見つめ続けている。
「……霞命ちゃん!」
霞命の気迫に押されまいと声を張り、瀏鑪哢は自分を奮い立たせる。
「貴方様には、我が家を復活する為の名を刻む手柄になって貰います!
感謝しますよ、庄司霞命ちゃん! まさにこうなる事は天命とも解釈しましょう!」
霞命一人切ったところで千石家が復活するどころか、命を狙われるであろうことは承知している。
しかし、それでも言っておかないと目の前にいる
紅く点滅を繰り返す航空障害灯は、霞命の美麗な白髪を薄紅に染めてくる。
月光を血に汚れた背に浴びて逆光となった彼の眸は、不思議と紅く煌めているように見えた。
そして顔に出ぬまま──心はほくそ笑む。
太刀と打ち刀を収め、刀身から白き電流を流しながら脇差を抜刀すると──瀏鑪哢は三本の鞘を脚下に置いた。
無論負けを察した故の行動ではない、少しでも勝ちに行く為だということは遠目から見た霞命でも理解できた。
刃毀れだらけで柄もほつれていて古く修理すらされていない刀を月と電光の前に晒して、千石瀏鑪哢はそのどちらよりも強力な輝きを見せつける。
彼女を
──前、取った!
そして、鉄の音と共に彼女の顔と制服に血飛沫が降りかかる。
刀を払い、血を払い落とすと彼女は瞠目とした表情でコンクリートの地面を見つめた。
確かに彼を斬った、肩から斜めにかけて着物も斬れていた。
しかし手ごたえが少ない、それよりなにより。
彼女は自身の横髪を触り、そして違和感を確信へと変えた。
後ろを振りかえると焦げた黒い長髪が風に連れ去られて行き──その先で、霞命は逆光の中またも此方を見つめていた。
「……来ましたか」
息を呑み、瀏鑪哢の心情に呼応して周辺にある明りがバチバチと強弱に光りだす。
肩から胸にかけて切り裂かれた着物からは素肌が露出し、またも彼の血が衣服を壮大に濡らしている。
先程の一撃、躱されたのだ。
しかしまだ本調子ではないのであろう、攻撃は通っている。
されど、少しずつ瀏鑪哢の速度に追いつけるようになっている事が問題なのだ。
小さな口を開くと霞命の口内が燃えるかのように紅く光り、黒煙が夜風に紛れて小さな
彼の眸は、既に獲物を凝視するものではなく──獲物を食い殺しに掛かる眸になっていたのだ。
六月二日、午後八時二十四分三秒──高層ビル屋上、緊急離着陸場付近。
庄司霞命に眠る“清姫”が開眼した。
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